巻頭column  更新時適宜掲載

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WEBサイトMANAしんぶん

創刊しました

主催者MANAよりのごあいさつ

 

 いつのまにか朝夕の寒さにコートやらストーブをあわてて取り出す時節になりました。みなさまにはいかがお過ごしでしょうか。

 「MANAしんぶん」ようやく創刊にこぎつけました。将来的には、個人的なWEBマガジンとして、「味」「海」「本」に、「山」を加えたデータベースとしての機能と、読者との情報交換の場となれればと考えていますが、現在は一方向のみの試作版第1号ぐらいでしかありません。

 いろいろな構想がありますが、まだHPの基礎がわかっていない面があり、実践で鍛えながら、先人の皆様のお知恵をお借りしながら内容の充実と使い勝手の良さをめざして改良を加えていきたいと考えています。そして、硬軟織り交ぜたアクの強いWEBサイトをめざしたいと考えています。アナログ人間ゆえ文字情報が多すぎるきらいがありますが、どんどんすっ飛ばして、戻ったり進んでいって、関心があったら足を止めて読んでみてくださいな。

 今後ともよろしくご支援、ご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。

 まずは冒頭のご挨拶まで。

2001年11月18日

編集長“MANA”


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PS:蛇足です。ひまならどうぞ。

 

フロントページ2000

は、どうしてこんなに厄介なソフトなのか

――ぼくのHP作りについての愚痴――

 

contents

ウイルスにやられる

エンサイクロペディア型HPって?

「索引」の「索引」のような機能

Front Page2000の弱点と利点を使い分けるのが難しい

「味」と「海」と「本」の公開型データベース

インターネット本の可能性

リュックにゴミクズを背負って

まあよろしくね

 

 

 わがデスクにパソコンが据えつけられてから2年になろうとしています。

 1年目は、ただひたすら従来からのワープロ機能をふる稼動させて、原稿書きとメール発信のひたすら繰り返しでしたが、昨年末、まったく予想もしなかったコンピューターウイルスの進入により2週間行動不能状態に陥ってしまいした。ウイルスが原因とわかったのはメール受発信ができなくなって1週間以上たってからでした。

ウイルスにやられる            次へ   HOME

 右往左往しながら、ウイルスの種類は「トロイの木馬型だったんだ」などと、ウイルスをうつしてしまった仕事先に謝りをいれながらも、なぜか心は、うきうき状態でした。授業料を支払わされたのに、いっちょうまえに“IT”時代のパソコン遣いの仲間入りができたような気になったのですからおかしなものです。

 これを機にウイルスバスターを導入し、内蔵のデータ処理管理ソフトをグレードアップして2001年の新年をスタートしたのでした。

 このソフトのなかに、フロントページ2000という、マイクロソフト社のホームページ作成ソフトが含まれていました。それまでは、インターネットの世界は、関心をもちながらも、ニフティーの「さくさく君」とかのプロバイダーサービスを利用して、簡単なHPをつくっただけで、ホームページづくりのテクニックなどはそのプロにまかせておけばいいぐらいにしか考えていませんでした。

 今年の春、貝井春治郎さんを福井に訪ねて、貝井春治郎さんのスケッチ帖をホームページにしようと「貝井春治郎美術館」をつくりインターネットに載せようと話がまとまり、東京に帰ってから、HP作りの作業に取り掛かったことが、この「MANAしんぶん」をスタートさせることになるきっかけとなりました。

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エンサイクロペディア型HPって?        次へ

 はじめは、1から10まで、まるでちんぷんかんぷん。聞くところではフロントページはその使い勝手の悪さと難解さで敬遠されているということですからコンピューター知識には縁遠かったぼくが使いこなせるようになるとは思ってもみませんでした。いちどはフロントページを放棄し、IBNのホームページビルダーやら、雑誌の付録のなんとかの試作版やらを試しながら、HPを作ってみましたが、ページの見本やら色彩やボタンやら見かけと体裁の良さばかりがソフトの充実の中身だとだんだんわかってきました。

 ぼくが目差そうとしたHPとは、素人のくせに生意気をいうようですが、「公開型データベース」(こんな言葉があるかどうかもわかりませんが)の機能を持つHPとでもいうのでしょうか。あるいは、「エンサイクロペディア型」とでもいえばいいのでしょうか。すでに現在のインターネットがこういう機能と効用を備えているといえばいえるのですが、いまひとつ食い足りない、総花的すぎるように感じられ、「ぼくならこうするのに」というHPに挑戦してみることにしたのです。

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「索引」の「索引」のような機能             次へ  HOME

 ようするに、ぼく自身がこれまで生きてきて好奇心のむかうがまま啄ばみ、蓄積してきた雑なる関心事の情報の束の束を、格納するものであるとともに、必要事項から一発で格納された資料の束に到達できるようなものです。アナログ的に表現するなら「索引」の「索引」が完備したマイライブリーということになるでしょう。

 既存のデータベースソフトを使えばいいというひとがいると思いますが、やはりこれぞというものに遭遇していません。使い勝手を考えれば、自分で作るしかないと思うようになりました。稚拙なものからでもいい。自分にあったデータベースとして使えるものを「公開型」HPで実験しながら充実させていきたいと思うようになりました。

 こんな構想をいだきながら、HP作成ソフトでページを作っていき、10項目、20項目とリンク先の情報の小束が増えていったとき、多重層多項目同士のハイパーリンクのつなぎ具合が一目でわかるような設計図面の役割を兼ね備えた手近なソフトとしては、フロントページ2000がいちばんふさわしいということに気がつきました。

 ぼくが考えている公開型データベースのHPでは、派手な図像もCGIも駆使する必要はありません。データの中心はテキストと図像といってもせいぜい写真と地図ぐらいですから、マイクロソフトのワードとエクセルを駆使して、パソコンに普通に情報を格納し、それらにリンクを張っていけばいいのです。まさに自然体の感覚でHP作りできるのがフロントページであったのです。

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フロントページ2000の弱点と利点の使い分けが難しい  次へ

 ところが、このフロントページ2000には、とんでもない弱点があることをだいぶたってから知りました。

 HPの設計・構築には威力を発揮するのに、できあがったファイルをプロバイダーのサーバーに送って公開するときに厄介な問題があったのです。フロントページのファイルを読みこむ専用のソフト「フロントページ・サーバー・エクステンション」を備えたプロバイダーが10社程度とほんとうに数が限られています。FTPソフトで送る場合も、コンピューター知識に疎いものには、たとえば、最大手プロバイダーNIFTYに送ろうとすると、送れた場合でも画像や文字が変調したり、いろいろと不都合がおおくて、相性が悪いこととこのうえないのです。

 多くのページを管理し、適宜更新する手間を考えて、専用ソフトをインスト―ルしたプロバイダーのなかから、「MAXWEB」という島根県松江にあるプロバイダーにたどりつきました。

 フロントページ2000の解説本が、ほとんどない(知っている限りでは3冊)のも、こうした利用しずらいものなのだからでしょうが、ワードやエクセルと同じように簡単に作れて、しかもページ管理がこんなにも便利なホームページソフトなのに、こんなにもとっつきにくくしているには、マイクロソフトそのものや他のHP作成ソフトメーカーやプロバイダーそれぞれになにか思惑でもあるのではないかと??に思ってしまいました。まあ、そんなことはどうでもいいけどね。

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「味」と「海」と「本」の公開型データベースをめざす    次へ

 こうして、貝井さんの美術館のページからはじめて、この5年間東京新聞に連載を続けてきた味探検を本にする企画がもちあがり、過去の取材ノートの整理を始めたら、こいつは本という情報の公開の方法とは別に、ホームページで整理したら面白いかもしれないと「味」のページを加えることにしました。

 そして、これまでフリーライターとして取材のフィールドにしてきた「海」と、ぼくが発行者になっている小さな出版社でこれまで作ってきた「本」(MANABOOK)のページと合わせた3本立てメニューを柱としたサイト作りへと進んでいきました。

 「MANAしんぶん」というWEBマガジンの体裁をとり、情報提供と情報収集、そして情報交換というインターネットの世界が最も得意とする双方向性の可能性にちょっと足を突っ込んでみようと考えた次第です。

 なかでも、一番やってみたいと考えてきたのは、ホームページ公開「本」作りです。これまで全国各地の海沿いのムラを歩いて取材しているときに、漁師さんや地方の研究者が足で稼いでまとめたり、ラフスケッチを描いたりしてまとめた原ナマ情報がいっぱい詰まった小冊子や自刊集をたくさん目にしてきました。こうした手書きや小部数刊行物は、地方図書館にけっこう数がありますが、評価の対象とされないままほとんどほこりにまみれて眠っています。

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「インターネット本」の可能性          次へ

 こうしたものは、実は、インターネットという世界に載せるために、これまで眠ってきたのではないかというもののように感じられ、これらを新たに誰でも欲すれば目にすることのできるようにして、インターネットのの流れに載せて上げると、意外な読者との遭遇をさせる仲立ちとなれるのではないかと考えたのです。

 古めかしいアナログ情報には、非常にていねいな情熱のこもった仕事がつまっているものがとても多いのです。

 いま、すこしだけ形を変えて再デビューさせてあげれば、昔は地域的・専門的でしかなかった読者層も、また新しい需要を持ちうるものだと思います。こういう情報は、スキャナーでデジタル化してパソコンにとりこめば、大きなボリュームを要せず、インターネット上を流れていきます。

 いま、大事なものがどんどんと失われていっています。なくなってしまったものは、昔それを知っていた人には価値を評価できるものですが、なくなった後に生まれてきたひとにとっては、その存在すら理解されないものになってしまう。インターネットの世界は、とかく、マス情報の垂れ流し状態になりがちですが、そこに、情報の出典や内容の意味に整理と意義付けを加えたかたちできっちりとした、出版活動のような「ホームページ本」の復刻、あるいは新刊を図れば、地方の図書館のデータベース化の背景と併行して、新しい情報のスタイルに変身を遂げるのではないでしょうか。

 インターネットのマス情報にばかり目を向けがちですが、個々の情報の価値をいくつかのフィルターを通って限定的に高めてきたミニコミの情報を、ネットワークにのせるのにも都合がいいシステムなのだという点に着目するべきだろうと思います。

 パソコンやインターネットは、ひとことで言えば復刻とコピーこそがもっとも得意とする機能です。何百頁もある分厚い過去の論文はオンデマンド出版のようなアナログ的な復刻が性にあっているかもしれません。しかし、紙切れ1枚とか100ページ未満の過去の資料は、その価値を判断できる人が、きちんと分類とタイトルをつけて個人のホームページ上で復刻させていくのにふさわしいものだと思います。価値が高く内容も優れているのに出版しても商業ベースに載れないこうしたミニ情報は、それを見つけたひとが、版権をきっちりと確認をして、だれでもが利用できるようなHP上で再デビューさせればいいのです。

 そのような機能と役割をも「MANAしんぶん」でトライしてみたい。「海」サイトの「雑魚蔵書録」をその部屋にあてようと思っています。

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リュックにゴミくずを背負って              次へ

 MANA流のHPづくりをしながら、いつも頭の中に2人の人物のことを思い描いていました。

 1人は渋沢敬三です。彼が作りあげたアチックミューゼアム(屋根裏部屋博物館=現在は、神奈川大学常民文化研究所に受け継がれています)での実践は、情報処理の方法として、ぼくが理想モデルとして考えています。渋沢が作り上げた業績をぼくのようなものに真似ごと程度でもできるなどと思うつもりもありませんが、アチックミューゼアムの基本理念であった、その時代の中で誰もほとんど見向きもしないもののなかで、後世に残すにふさわしいたいせつな情報や情報所有発信者をかぎわける臭覚と目と知を兼ね備えた宮本常一や桜田勝徳や網野善彦やそれはもうたくさんの人材が全国の農山漁村を歩きまわり収集研究されたのでした。

 編集子とすれば、知は別にして、臭覚と視点だけは少しは備えているつもりです。

 もう1人の人物が19世紀末から20世紀の最高にして偉大なる怪人、宮武外骨です。今流の言葉でいえば「おじさんは怒っているんだぞー」の明治版とでもいえる、明治国家に対して諧謔精神をもって徹底批判の論陣を張ったユーモアとペーソスと気骨あふれたジャーナリストでありイラストレーターであり、ミニコミやサブカルチュア資料収集家ですが、こんなぼくの表現した陳腐な形容詞ではくくれない馬鹿でかい人物がいたのである。今年の夏、巣鴨周辺を味探検取材で散策中、染井霊園に眠る外骨先生の墓に念願かなって参る機会があった。奥様の名前と一緒に本名が刻まれた小さいけれど凛としたヒンのある墓でした。そして、気がついたのだが、この墓石は、歴代の徳川家の広い墓の真裏にあった。そして、意図したのか偶然なのかは別にして、徳川家の人々はお城の方向を向いて建てられているのだが、真裏の小さな敷地の外骨先生の墓石は、お城に背を向けているのである。

 すぐ脱線してしまうのがいけないのだが、とくにあてどもなく歩く旅の途中では、意外な発見をするものなのである。

 この2人のことは、サイトのエッセイでふれることもあるだろう。宮武の何について言おうとしたのかというと、現在の東京大学新聞研究所創設時代の最大功労者でもあるのだが、かれの後半生は、全国を旅して歩きながら、人はゴミクズとしかみない、ビラや新聞やチラシを集めた(拾った?)。せなかに背負ったリュックをそのようなものでいっぱいにして大学の自分の席に戻ってきたという。

 東大の圧倒的な学塔の前で、ステッキを持って“ゴミクズ”がパンパンにはいった大きなリュックを背負った宮武を撮った1枚の写真がぼくの脳裏に焼き付いて残っている。

 渋沢と外骨2人の大先生が現代のインターネットの世界に舞い戻ってきたら、きっと世の中をあっと驚かせる手法を思いつき、多様化しているように見えるけれども実は非常に画一化されたマス社会に対して痛烈なパンチを食わすようなデビューを果たすに違いない。

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まあよろしくね

 まあ、こんなことも考えながらのHP作りでありましたが、あっちへフラフラこっちにどっぷりと寄り道をしつつ、なんとか公開までたどり着けました。これから、ぼちぼちとMANAしんぶんのWEBサイトの充実を図っていくつもりであります。


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