藤本養殖エビレポート

PART(1)

by Iwao Fujimoto 

藤本岩夫(養殖エビコンサルタント・現フィリピン在住)


MANAのいつものゴタク――(とばしてすぐ本文もくじへ→here)長年来の友人である有機エビ養殖技術を東南アジア・インドで普及実践を行ってきた藤本岩夫さんから数年ぶりにお手紙をいただいた。インド東岸のブラックタイガー養殖から撤退を余儀なくされ、ベトナム、バングラディッシュ、ミャンマーのエビ養殖普及に走り回っていたおり、体に変調を来たし、長年の熱帯の現場でマラリアに苦しめられてぼろぼろになっていた体に無理がきかなくなり、病院生活を送っているという情報は、氏の友人からはいっていたので心配をしていたところだった。フジモトさんのことだから死にはすまいと思っていたのだが、1年近く、メールやファックスを打っても返事がなく、こいつはどうかしちゃったのかと、マジに心配していたところに、とつじょ連絡がたてつづけに入った。病気は、確かだったし、現在もあんまり体調はよくないようだが、奥さんのビンビンさんや、息子のmasayuki君やガンジー君に娘のtosiちゃんらの応援体制も整って、別便で届いた手紙と、Eメールに添付された手紙の画像、写真が送られてきた。

藤本岩夫さんと奥さんのビンビンさん

まずは生きていてよかった、よかった。藤本氏のことは、『エビ養殖読本―有機エビ養殖のすすめ』(水産社)の本でご存知の方もおられるとおもうが、藤永元作大先生のほとんど最後の弟子とでもいえる立場にあったひとで、早くから藤永メソッドを、東南アジアの現地で生かそうと、単身現場に飛び込んでいき、自らの藤本メソッドに発展させていった現場一筋の方である。フィリッピン、インドネシア、タイ、インドなど各地で、独自のアイデアを詰め込んだ「有機エビ養殖法」をひっさげてコンサル活動や独自に養殖池経営をもおこなってきた。順風満帆とはとてもいかなかったけれど、もちまえのエネルギーと、現地人スタッフといっしょに泥水の中で作業することをいとわない性格は、フィリッピンのベテランスタッフや現地で育てたスタッフにオヤジ、ときにはアニキとして慕われ続けてきたのである。

まずは、そんな彼から届いた数通のレポートの最新分をお届けしよう。いつものことながら、若干MANAが手直しをして、文章の入れ代えや字句の挿入等をして読みやすくしているが、フジモトレポートのよいところは、細かな字句にはこだわらず、バリバリと活動する日記風の走り書きが、かえって迫真の現場の雰囲気を伝えてくれるところにあるのだ。僕のゴタクなどどうでもよいことであり、まずはエビ養殖に人生をかけてきた一人の男のレポートとして一読いただければうれしい限りです。第2レポート(それより1ヶ月目前に友人を通して預かったもの)および私がリライトをして、これまで雑誌等に投稿をしてきた記事のファイルは、なるべく早くページアップいたします。――ぼくの不精癖で4月に届いた手紙を3ヵ月後にページアップすることをご容赦ください。

また、本ホームページを読んで、藤本さんを懐かしく思われ連絡をとりたいと思われたり、また、頑張り続けているフジモトを応援してあげようと思われる方は、是非MANAまで連絡をいただければ、奥様宛てのメールアドレスをお教えいたしますので、ご連絡くださいませ。(MANA)

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も・く・じ

Part(1)フィリピンのエビ養殖における病気の現状とその対策についての一試論

 プロローグ(フジモトさんからの手紙)

 フィリピンにおけるエビ養殖の病気の現状

  W・S病の感染方法とその対策

 エビに加わるストレスとはなにか

 発症を防ぐ対策、それはエビ養殖の原点に戻ること

 伝統的な粗放養殖にこそエビ養殖が生き残れる原点がある

Part(2)アジアのエビ養殖の現状と将来(準備中)

 

 プロローグ 2004年4月2日付のMANA宛の手紙から

  前略 お元気ですか。時のたつのが早く感じる日々です。フィリッピンは毎日が暑くやり切れません。今回、少々のレポートを書きましたのでメールいたします。2月にフィリッピンの農業月刊誌に低塩分下のエビ養殖の方法についてレポートを書いたところ、読者より質問がきました。それに対する返事として、まとめた文章を、今回のレポートの下書きにしてまとめたものです。

  この内容は、たぶん、インドネシア、マレーシア、ベトナムで養殖事業にかかわっている人たちにいろいろな形で参考になるものだと思っています。いつものとおり、日本語を忘れかけているような暮らしですから、おかしなフレーズは適当に直してもらえれば助かります。

  わたしは、新年以来、養殖プロジェクトを立ち上げるべく努力してきましたが、フィリッピンでは知名度や、信用もままならず、なかなか思うように事業がすすみません。特に、銀行や公的資金は5月中の国政選挙が終わるまで動きそうもありません。ナガの県知事より、ビコール河の開発に興味ありとアプローチがありましたが、彼が選挙で再選されなければ、この話しも前に進みません。又、2月、3月とブラックタイガーの親エビに病気がひどく、種苗生産できない状況が続いています。

ビコール河デルタの支流と広大な低生産汽水域

  このような状況ですから、プロジェクトの開始は選挙後の5月以降となるでしょう。いま、実験的にテラピアの海水養殖を準備しています。どちらにしても、今後、毎月養殖日誌的なレポートを送ります。

岩夫三拝

 

 フィリピンのエビ養殖における病気の現状

  ホワイトスポット病(SEMBV)は、1993年に台湾で初めて発生した。1993年度中に、種苗の移動を通して、日本のクルマエビ養殖、中国の大正エビ養殖に拡散して致命的なダメージを与えた。そして、1994年末には、タイ経由でインドに飛び火し、ブラックタイガー養殖の夜明けを迎えつつあったインドの若いエビ養殖産業に壊滅的な打撃を与えた。又、1998年になり、タウラ・シンドロームやビブリオ菌、細菌の被害を克服しつつあった南米エクアドルのバナメイ養殖に突如ホワイトスポット病が襲いかかり、2000年までにはエビ養殖産業の息の根を止めることとなった。

写真1(↑)タンク内で大量へい死したBT親エビを取り出す。
写真2(↑)捕獲後24時間以内に全滅した。

  これら感染症の世界的な短期間での拡散は、人工種苗や親エビの密輸出入が主要因であり、そのほか渡り鳥によるものも考えられている。ただ、ホワイトスポット病のような感染症はMBV、中腸腺白濁症がそうであったと同様に、発生直後から2〜3年間は毒性が強く、抗生物質も効かず、手のほどこしようがないが、この期間を過ぎると、エビに抵抗力(免疫力)ができるのか、毒性が弱まり、養殖期間中エビへのストレスの総和が少ない場合、発症から逃げられるケースが増えてくる。

  ここがルミノス・バクテリア病などのビブリオ菌や他の細菌性疾患と大きく異なる。ルミノス・バクテリア病は、1987年にパナイ島ポンテビリア地区より広がりはじめ、2004年現在まで、程度の差こそあれ、周年フィリピン全土で発生し続けている。

  ただ、内湾内海で発生が多く、太平洋岸では極端に少ない傾向があり、フィリッピンに多発するというローカル性がある。2003年になり、ホワイトスポット病の発生がぶり返したように、ふたたび猛威をふるい始めている。そして、フィリピンのエビ養殖は、相変わらずのルミノス・バクテリア病と、ホワイトスポット病の蔓延により壊滅状態になっている。

 

 W・S病の感染方法とその対策

 

  ホワイトスポット病の感染には、「垂直感染」と「水平感染」の二通りある。垂直感染とは、親エビから卵、そして種苗へと感染する親子感染のことである。水平感染とは、水やキャリアー、渡り鳥を介して伝染することである。キャリアーには、甲殻類のエビ、カニ、アミエビ、フジツボなどといわれている。

  ホワイトスポット病のウイルスは、水中では1週間以上は生きられないといわれている。また、病気発生後の池を消毒する場合、池内でのキャリアーも含めたへい死体の完全除去、腐敗物の消滅したあと、池水を完全排水して、1ヶ月間、池底を天日乾燥すれば十分である。ただ、その時、石や貝殻、コンクリート水門等に付着したフジツボの除去が忘れられがちであることを付記しておきたい。

  養殖使用水塩素剤(60パーセント以上のカルシウム、ハイポクロライド)を30PPMの濃度で消毒し、1週間以上換気した水を使用する。その後、クローズドシステム、または、セミクローズドシステムで飼育すれば、水平感染を防ぐのに大きな効果がある。病気発生後、2年以上経過すると、その地域の天然親エビがウイルスに汚染され、天然親エビのハッチェリー内での大量へい死がおき始めると、人工抱卵親エビが使えなくなり、天然熟卵親のみに依存することとなり、人工種苗もウイルスに汚染されてくる。

  その段階から、人工種苗にウイルスへの免疫力が現われ始めてくるようだ。そして、この段階から、エビの卵からエビに加わってきたストレスの総和の大きさによって、発症したり、しなかったりの個体による違いが顕著になってくるようにおもわれる。

 

 エビに加わるストレスとはなにか

 

  それでは、ストレスにはどんなものがあるかを考えてみよう。

(1)親エビを乱暴に扱い、卵に加わったストレス

(2)高密度大量生産による低品質種苗の若年齢(PL8〜PL10)出荷販売

(3)高密度養殖と低品質餌料の投与、餌不足

(4)飼育環境(PH、塩分濃度、水温など)が短期間に急激な変化を繰り返すとき

(5)日間最低水温が23℃を下回る日が続く時(フィリピンでは11月から2月いっぱいまで)

(6)日間最高水温が35℃を上回る日が続く時(フィリピンでは3月から6月にかけて)

(7)池底土壌PHが6を切ると成長にブレーキがかかり、PHが5を切るとへい死がはじまる

(8)残餌、プランクトンの死がい、エビの排泄物の池底への蓄積による硫化水素・アンモニアなどの有毒ガスの発生

(9)大量水交換を頻繁に行うとき

  等々がストレスの主原因としてあげられる。養殖開始から養殖終了までの、これらストレスの総和の大きさにより、エビは抵抗力(免疫力)を弱めて、潜伏して持っていたウイルスが発病しやすくなてくるのだと考えられる。

  ホワイトスポット病に対する特効薬は存在しない。しかし、発症を少なくする方法はあろう。つまり、エビ養殖期間中に、エビに対するストレスの総和を少なくして、発症する前に成長させて出荷してしまう、ということくらいしか処方としては考えられないのが現実なのである。

  それでは、できるだけ、発症をおさえるにはどうしらいいか。私自身が失敗したり、目撃したりして経験してきたことからいえること、それは『えび養殖読本』を出した時の原点に戻ること、フジモト流でいえば“有機エビ養殖法”の実践ということを再認識している。いま日本では、JAS法の改正で、“有機”の形容詞をめたらやたら使えなくなっているらしいけれど、私のばあいは、強いエビをつくるための最低限行わなければいけない“粗放”あるいは“有機質肥料”の施肥などによる池土の改良など“エビ養殖するなら原点に戻ろう”ぐらいの意味から使用したことばであることを付け加えておこう。

 

 発症を防ぐ対策、それは“エビ養殖の原点”に戻ること

 

  以下に、発症を防ぐための養殖法の注意点を整理してあげておきたい。

(1)飼育水の塩分濃度が高いとエビの味はよくなるが、成長は遅くなり、塩分濃度が限りなくゼロに近くなればなるほど、成長が早くなる。つまり塩分が低いほうがエビへのストレスは少なく、早い成長が期待できる。しかし、軟水で純淡水は、エビには“毒”である。もと、マングローブ林を株伐採して切り株や根の残っているような海岸線に近い池は、しつこい酸性土壌になりやすく、エビへのストレスがかかりやすいので、エビ養殖には使用しない。少なくとも、ニッパ林あと地か、より内陸部の草原か稲田などの低湿地帯の土壌はPH6以上の中性に近いので、エビへのストレスは少ない。

写真3(↑)汽水域に群生するイネ科植物ボカッドのフィールド
写真4・5(↑)刈り取られ乾燥させたボカッドと、ボカッドを使って生産された伝統工芸品は欧米へ輸出されている。

(2)養殖適水温の期待できる3月以降10月までの期間で、台風やモンスーンの雨が少ない時期を選んで、少なくとも水深1メートル以上を池面積の10パーセント以上確保できるように池を設計する。

(3)エビのみの単一養殖でなく、魚とエビの混養を実施する。エビは、低密度(3尾/u以下)の粗放養殖に限り、年1回作のみとする。

(4)裏作には、農業の稲作、または、ボガット(フィリピンの汽水域に分布する多年生のイネ科植物で、イグサのような植物。収穫後乾燥させて手芸品の原材料として使われている)栽培をする。つまり、混養で発生した過剰有機物を植物に吸収させ、土の老化現象を抑え、再生産とその継続性を高める努力をする。

(5)ポンピングは、漏水や蒸発によって失った分を補充するだけでよい。つまり、十分にプロバイオ剤をつかって、水質の管理をして、大量水交換によるストレスを少なくして、安定した水質と水深を維持することが必要である。

(6)有機肥料をほどこし、天然餌料を繁殖させ、プロバイオ剤で処理しグレードアップした餌料を過不足なく与える細かな管理の実施を心がける。

(7)水のPHは7.5〜8.5を維持する。塩分濃度は、5以下にコントロールし、ルミノス・バクテリア病などの原因となるビブリオ菌や病原となるような細菌類の発生を抑えることが肝要である。

(8)ドロマイトや農業用石灰を定期的に散布して、生活環境のアルカリニティを高めることに留意する。

(9)ハッチェリーを選び、PCRテストやストレステストを実施し、種苗の感染症有無や品質をチェックし、垂直感染のリスクを少なくする。

(10)親エビは汚染の少ない太平洋岸のものを使用する。

(11)もし高密度大量生産をしている場合には、PL15からPL17のものをナーセリーでPL20以上にして、十分大型の種苗にしてからPCRテストの陰性の種苗を使用する。

(12)塩分濃度5以下の大河の低湿地デルタ地帯では、ウイルスに汚染されていても、モンスーンの時の洪水によって汚染源は押し流されてきれいになり、次のシーズンに汚染された種苗を他から輸入しない限り、発症しずらい環境を保てることがカルカッタ、バングラデシュの例から実証されている。

(13)また、PL20以上の大型種苗からPCRテストによって検査の反応が出るようになるので、まず信頼できるハッチェリーを選び、PCRテストを必ず受け、垂直感染を押さえ込むことが必要である。

(14)なにをさておいても、エビへのストレスの総和を少なくする養殖管理を心がければ、ホワイトスポット病などの感染症は限りなく少なくすることができるはずである。

  この数年、急速に熱帯、亜熱帯地域でのエビ養殖は消えつつある。エビ養殖は、農民による食糧生産であり、よりやすい生産コストで、食品として、より安全な生産が行われるべき基本的な目的をもっているはずである。

 

 伝統的な“粗放養殖”にこそエビ養殖が生き残れる原点がある

 

  1980年代はじめの台湾、日本による養殖技術革新によって、会社組織による大規模生産方式によるエビ養殖が注目されてここまで発展してきた歴史がある。この大企業による大規模生産方式のエビ養殖は、投資効率、生産効率を優先させて、自然の摂理にまかせながらの生産方式を軽視してきた。科学力、人知を過大評価してして、自然へストレスを加えすぎたため、結果としてエビ養殖の継続性を失うこととなってしまった。自然にも限りがあるから、頼りすぎてもいけない。自然のながれに身を任せるといっても小農民や小作人たちにより草の根的な養殖活動や生産方式で、最低限彼らが生活を営むことができる範囲内での生産性、生産方式が、エビ養殖を継続を可能とする範囲であり適正な規模なのだということを、知るに至ったのである(ちょっと気づくのに遅すぎるけれども)。

  カルカッタ、バングラデシュを中心としたタイガデルタの汽水域に、自然発生的に存続してきた伝統的な放たらかしのままの養殖は、自然に逆らわず、天然種苗を使った魚類・エビ・カニの混養が行われてきた。病気が発生しても自然治癒力により回復してきた。自然と同様にガンコなほど保守的であり、新技術に対してはあくまで排他的であって、伝統的な養殖方法を守り続けてきた。その生産効率は、1haあたり200kg前後の低生産性ゆえに現在まで生き延びてこれたのだということもできる。

  メコンの大河デルタを誇るベトナムは、国民の勤勉性、技術レベルの高さゆえに、当然に投資効率を優先させ高生産性を追い求めるエビ養殖に切り替わってきたが、ここもまたやがて先人のテツを踏むこととなり、エビ養殖の継続性を危うくすることとなろう。

  けっきょくのところ、エビ養殖は、経済効率をおいもとめ、技術力を駆使した生産性の高い養殖形態は、定着することのないまま消えていく方向をたどらざるをえないのである。そして、すでに何度も書いたように、カルカッタやバングラデシュ、インドネシアのような伝統的な放たらかし養殖(つまり従来からいわれ続けてきた「伝統的粗放養殖」)の基礎生産力によってエビの供給が継続していくことが可能になるという、昔から何度も指摘され続けてきた課題に直面しているのだといえそうである。

  のこされた未知の生産力を秘めているのがミャンマーだが、この国が民主化される日には、多くのODA資金が投入されよう。世界銀行、アジア開発銀行は、ガンジス河デルタでの干拓事業を実現、伝統的な粗放養殖を中心とした生産力を支援する体制を定着させた実績がある。この方式による、資金の導入によってミャンマーの場合も、闇雲の大規模生産システムへの移行に頼ることなく、エビ養殖生産崩壊へのテツを踏むことなく、緩やかな発展を望みたい。いずれにしても、エビ養殖の存続と、その再建の道は、古くて新しいテーマである、伝統的な粗放養殖をベースにおいた地元農民の集合体の生産力によって発展がいまだ可能な、ベンガル湾北方3カ国、すなわち、インド、バングラデシュ、ミャンマーと、インドネシアの4カ国の今後の展開にかかっているといってよいであろう。

  古くからの友人であるナカジマさんの手で、わが雑文をあつめたネットサイトを作ってくれるというので、フィリッピンの地からながめた伝統的なエビ養殖発展の願いをこめて小文にしたためた。

 

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