浜に生きる 14


essay,interview  吉見宣子さん(よしみよしこさん―広島県東和町漁協婦人部長)

夫・唱・婦・随

東京の重役婦人から漁師の女房に


 山口県周防大島。瀬戸内海で3番目に大きい島に東和町がある。タイの一本釣りに代表される漁業とミカンが島の主力産業であるが、東和町を全国区にしているのが、「長寿の町」というキャッチフレーズである。

 町の人口5986人のうちで65歳以上の町民が2773人(平成7年度末)。いわゆる「高齢化率」は46パーセント。全国平均が14パーセント程度であり、文字どおりの「長寿日本一」の町なのである。

 確かに、若者たちが外へ出ていった結果の数字だともいえるのだが、この町を訪れたときに感じる不思議な「活気」「明るさ」はどこからくるのだろうか。「生涯学習都市」という看板が目につく。
「この町には都会でいうような引退した“老人”はいないんよ。漁師もそう。みんながシャキッとした現役。この町では70歳になっても老人クラブとは名ばかりの“青年団”なんだから」という吉見さん。「過疎なんて吹き飛ばせ」というような雰囲気が伝わる、元気ジルシの島、それが東和町である。

 吉見宣子さん。東和町漁協婦人部長になって2年目だが、東和町外入(とのにゅう)の住人になってからはまだ10年たっていない。ご主人公夫(ただお)さんは、東京に本社のある餌料会社の取締役という職をすべてなげうって、東和町にやってきたのが9年前のことだ。
 「とにかく、主人は海が好き、釣りが好き。定年になったら船で世界一周して1年中魚釣りのできる場所を探して永住するというのが夢という人です。いろいろ探したらしいのですが、東和町の小さな島が代々のもちものだったということもあってここに住もうとうちあげられたのです」という宣子さんは、この転身計画には大反対だった。宣子さんは別居生活を覚悟する。
 一方のご主人は、毎日釣りざんまいの暮らし。そのうち、地元の漁師たちから、釣った魚を組合に売ったらどうかという話を持ちかけられる。「主人がいまでも口癖のように、自分が釣った魚が初めて売れて、千何百円を手にしたときの感動は生涯最高の喜びだったといいます。

 わたしも、次第に主人におれて、一年後にはこちらに住むようになりました」公夫さんは、しばらくして東和町漁協の正組合員となり、6年前には自前のー本釣り船を新造する。
 定年後の第二の人生、新人漁師の誕生は、また宣子さんにとっても「漁師夫人」としての再スタートでもあった。
 「主人と二人で、ここに住むに当たって、『二人だけで仙人のような生活をするか、島の人と一緒に暮らしていくのか』ということを毎日お酒を飲みながらずいぶん議論をしました。わたしは後者の道を選びました」という宣子さんは、即断即決、行動を開始する。まず、ゲートボールの仲間にいれてもら.い、島の言葉から、習慣を教えてもらったり、すすんで審判をかってでたりと、一年間続けたという。

  「わたしは結構はでなゴルフウェア、で一緒にわいわいとやるもんですから、そのうち島の子供達から、『ハデオバサン』のニック・ネームをちょうだいしました」と宣子さん。持ち前の明るさと積極さが、仲間を増やしていくことになった。いまでは、雨が降れば、朝から吉見家は漁師たちの情報交換や酒を酌み交わすサロンに変じるまでになった。

 漁協総代の公大さん、婦人部長の宣子さん。二人のいいつくせない情熱と頑張りがあったからだろうが、I(アイ)ターン漁師夫婦に短期間で活躍できる場を提供した東和町に「長寿町」の底力を感じ、また新しい漁村の姿をみたような気がした。


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