Ice 003‐2 皆川重男氷業史資料―その2(氷業史資料文献目録 自筆内容紹介)

氷業史余話――先覚者 中川嘉兵衛翁

皆 川 重 男

 

〔掲載:「日本古書通信」(日本古書通信社)通巻268号(第31巻8号)昭和41(1966)年8月15日発行―同社及び皆川重男氏のご遺族の了解を得て転載しています。本ページの転載についてはMANAの許諾を得てください。リンクについてもご一報下さい。〕

――本文テキスト化にあたっては、原文和数字を洋数字に直し、原文中人名の明らかな誤記についてはMANAにより修正してあります――

 

 風にヒラヒラ氷旗、サラサラゆれる玉すだれ、ぬきえり姿の娘さん、赤いケットの縁台で、ガラス コップに雪の花。

 夏の風物、なつかしい氷水店の風景である。

 氷水店の前身で水売り、冷水売りのあった江戸時代の庶民にとって暑中に氷雪を得ることは永い間の夢であった。

 氷の利用は古くから行われていたことは「日本書記」にも記されており、仁徳天皇62年に始めて氷室を置いたとあるから約1600年前のことである。しかしその恩恵に預かったものは高貴な人々のみであった。江戸時代には旧六月一月、加賀侯江戸屋敷内の氷室を開き、冬期金沢から運んだ雪を将軍家に献上する「加賀様のお雪献上」の年中行事があった。そのお余りを市民に賜わるので当日は大賑わいであったという。

 明治文化の先覚者、中川嘉兵衛が苦心のすえ、この夢を実現したのが明治のはじめであった。

 私はこの春、氷業史資料文献目録という小冊子を刊行した。私の父は明治から東京で氷問屋を営んでいたので、昭和のはじめより古新聞の収集をはじめていた私は、氷の新聞記事に興味をもち書きとめておいたのが始りである。そのうち各種の職業には一応の沿革があるのに氷業については判然としなかったので氷業史関係のものも集めることになった。その気になってみると氷業関係が意外に少ないのに驚いた。古い新聞雑誌を丹念に調べる以外に方法がなく、この点で宮尾しげを著「風俗画報目録」、「新聞集成明治編年史」全十五巻は大いに労力を省くことができた。

 明治24年刊「こじき嚢」第1号に石井研堂の近世庶物雑考の内「売氷水の考」を発見し氷水店のさし絵とともに、氷水一銭、雪の花二銭、氷あられ二銭などの記事により当時の氷水店の模様を知ることができて雀躍した。

 宮武外骨著「文明開化」広告篇に左〔下、mana〕の広告が転載されている。

 

 夏日氷を用候事は只炎暑を凌候のみならず西洋諸国に於ては各種の病症に用ひまた魚類獣肉牛乳蒸菓子酒類青物等すべて腐敗しやすきものに氷を添へて囲置ばいつ迄も新鮮也故に暑中の氷は世上必用の品に御座候間私共数年昔心勉励の上漸く近年研究致し北海道の清水に産し候氷を戴取地方官の御検査を請箱舘氷室に貯蔵致し、当節東京に氷室を移し申候就ては恐多くも宮内省御用申付られ冥加至極に奉存候最早遂日暑気彌増に付今日より発売仕候尚処々取次所も出来候間御手寄にて多少に限らず御求め下され候様伏て奉希上候

    氷一斤 定価四銭 四百文ノコト也
       元島原向河岸
        氷 室 会 社  中 川 嘉兵衛
        申五月五日   佐 藤 終 吉


 明治5年5月7日発行東京日日新聞第70号の広告である。

 1斤(約600g)の価格4銭というと当時の白米1升(1・4s)5銭位に較べて、あまり廉価とはいえない。そのうえ、かつて福澤諭吉展覧会で明治7年福澤諭吉筆の郵便葉書に、病母に横浜の知人よりおくられ、母堂の食欲がすすむようになった意味の礼状を見たが、時期によつては得難いもののようであった。しかし新聞広告にまで漕ぎつけた功績は非常なものであったと言わねばならない。

 この記念すべき東京日日の第70号は未だに入手できないが先年毎月新聞社のご好意によりマイクロヒルムによる実物大の写真を蔵することができた。

 私はさきに中川嘉兵衛を明治文化の先覚者と称したが、実に彼は日本人として最初の新聞広告スポンサーであった。慶応3年3月刊万国新聞紙第3号に、中川嘉兵衛としてパン、ビスケットの広告を出している。

 中川嘉兵衛は愛知県三河の人で横浜にでて外国商品を扱うかたわら医師ヘボン氏について西洋文化の知識を得て新しい事業に傾倒した。同じ年の万国新聞紙に牛肉などの広告を数回にわたり掲載しているが石井研堂「増補明治事物起源」によれば、中川嘉兵衛は慶応3年東京芝白金にはじめて屠牛場を設けたとあり、彼は亦、食肉界の先覚者でもあった。かくて明治5年、氷の発売にまで成功したことは氷と肉の関係を思えば頷くことができる。

 その頃の氷は天然氷といい、箱舘産氷を最良とした。これに対して製氷機で作った氷を機械氷、人造氷と言った。明治前期は天然氷が全盛を極め、中期より機械氷がこれに代ってくる。製氷事業は花形産業だっただけに明治時代だけでも岸田吟香、浅野総ー郎、渋沢栄一、福沢桃介、大倉喜八郎などの大ものが関係していた。

 大関肥後守増祐公略記(明治42年刊)によると、この海軍奉行の殿様はハイカラな方で文久年中即席で氷を作り来客の仏国人に供したとある。また東京都の中野区で天然氷が採れ、それが市内で箱舘氷として売られたというから面白い。明治30年頃のことである。(「城西風土記と昔語り」昭和34年刊)

 収集には、甲州文庫の故功刀亀内、日本大学教授亘理信一両先生のほか多くの古本屋さんにお世話になった。友人の白鳥光市氏を通じて江戸文学研究家美一先生より私の所蔵中の水売り図二店が酒売りであるとご注意をうけ目録から外すことができた。

 中川嘉兵衛は明治30年に81才の高令で他界されたが、ジャーナリズムの明治百年に刺激され、百年前の翁の偉業を偲びこの目録刊行となったが、仰々しい題名と裏腹に内容がお寒く、翁に対して相すまぬ思いでいっぱいである。

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