列島雑魚譚


HOME|海TOP|雑魚譚もくじ

zackology essay 06

 

 

雑魚名考―その2

ハゼは、なぜ

「ハゼ」というのだろう?

 

ハゼ名称起源のなぞ

 

 ハゼという呼称は、魚類学の分類上のスズキ目ハゼ科の総称として使われるが、なぜ「ハゼ」と呼ばれるようになったのだろう。古今の文献を漁って調べてみたのだが、結論からいえば、これがよくわからない。
 スズキ目ハゼ科は、約220属、1600種以上もあり、いまだに新たな分類がなされ新種として報告されることも多く、年々ハゼの仲間が増えつづけている。ある、魚類学の先生だったか、魚の仲間の中でハゼを「王国」と称し、「ハゼ王国はまだまだ属国を増やして巨大化し続けている」と表現した本を読んだことがある。
 ハゼ科の仲間を、学名ではGobiidaeと呼ぶ。このグループの語源となったのが、ギリシャ語のkobiosから派生したラテン語のgobioであると、荒俣宏『世界大博物図鑑』の「ハゼ」に書いてある。英名のgobyもここからきているといい、「人間にとって価値のない小魚の総称」を指す言葉なのだという。日本語でいえば、ザコだが、そんなザコのなかから、ハゼという名称がどのようにして生まれてきたのだろうか。ザッコロジーを標榜する以上は、一度は整理しておかなければいけないテーマである。まえまえから、江戸期本草学のなかで魚の位置付けがどのようにされてきたのか、なかでも、人間にとってのいわば有用種以外の魚たちの記述について、自分の目で確かめてみたかっただけに、「ハゼ」をキーワードにして古今の、古めかしい事典、辞書やら、本草書の世界に足を突っ込んでみることになったのである。


「ハゼ」は意外と新しい名称か


 「ハゼ」というハゼ科の魚たちを総称する言葉が、いつごろから使われるようになったのか、調べれば相当古くまで溯れるだろうとカンタンに考えて、探し始めたら、1600年代江戸期初頭がせいぜいであることがわかってきた。秀吉や信長の時代である1500年代以前の文献からはいまだ「ハゼ」という言葉が見出せないのである。室町時代の主要な随筆や日記文を含めて斜め読み程度のチェックはしているのだが、私がアトランダムに調べた範囲に過ぎないので、もしご存知の方がおられればぜひともご教示願いたい。
 具体的には、ハゼの呼称があるのを確認した最も古い文献は、1603年にポルトガル人宣教師らが編集刊行した『日葡辞書』(岩波書店版)である。ローマ字で日本語の語彙の項目をつけ、ポルトガル語で説明をつけた辞書には、

 

  「faje」

 

とあり、

 

  「ハゼ。ある種の魚」

 

と書かれていた。

 関西や九州の地方方言がたくさん採集されているなかで、たった一行だけの「ファゼ」、あるいは「ファジェ」と言う表記方法がこの辞書では採られている。「fa」の「ファ」は、同書岩波版の解説にも記載されているように、音は「ハ」である。つまり、「ハゼ」の音を、この当時の日本の人々は使用していたと考えても間違いなかろう。
 この本の発行以前に「ハゼ」という言葉が使われていなかったということはおそらくありえないのだが、地方方言として使用されてきた「ハゼ」が「優勢魚名」として、1600年前後に、おおよそ一次魚名的な認知がされていたという一つの目安ぐらいにはなりそうである。1400年代中ごろに成立して江戸期に入ってから増補改訂版が編集されている『下学集』や『節用集』といった俗語辞書には、魚偏の魚貝など水産動物の漢字に対応させた和名の読み100近く集められているにもかかわらず「ハゼ」という読みは、出てこない(ただ、『下学集』に「雑喉」があり、「ザツコ」という読みを与えているのが興味深い)。
 『日葡辞書』以後に、ハゼを、種としてのマハゼを含めたハゼ科の魚たちの総称として位置付けた、はじめての書が『本朝食鑑』(ほんちょうしょくかん)であろう。元禄10(1697)年刊行、著者は幕府の侍医であり、宮中ご用の医師として名声の高かった人見必大(ひとみひつだい)である。当時日本に伝えられてわが国本草学の発展に大きな貢献をした中国・明時代の万暦24(1569)年刊行の李時珍『本草綱目』に、この『本朝食鑑』も、分類や構成から記述の翻訳引用で大きな影響を受けている。


春に柳の綿毛が水に入ってハゼとなる


 しかし、『本朝食鑑』が、他の同時期に成立した本草書にはない最大の特徴が、単なる『本草綱目』の焼きなおしに終わらず、動植物など市井の庶民がふだんから口にする食品を中心に、著者のオリジナリティーに基づく視点と、独自の食味実験的な手法や、各地の民間伝承や方言までを随所に取り入れる編集方針が各編に貫かれているという点である。
 『本朝食鑑』刊行よりさかのぼること四年まえの元禄六(一六九三)年に、貝原好古という人の『和爾雅』(中国の四書五経などの古代経典の用字を解説した事典『爾雅』をまねた日本版辞書)にも、「鯊魚」(音は「しょうぎょ」あるいは「さぎょ」)の読みに「ハゼ」があり、すでにこのころに「ハゼ」が一般に広まっていたことは推測できるが、この書では、ただ「ハゼ」という二文字の読みをあてているのみで、ハゼの呼称が日本においてどのような広がり方をしているかについて何の説明も加えていない。その点で、『本朝食鑑』では、「ハゼ」が一次魚名として全国で認知されていくうえでの、「ハゼ」について三つの重要な新しい記述がされている。(引用の文は、平凡社版東洋文庫『本朝食鑑』第四巻よりの島田勇雄訳による)
 第一は、過去にハゼやカジカの仲間を指すと考えられていた

 

 

等々という中国からの受け売りの魚偏の漢字に、日本語の名称の訓読みを当てはめるのではなく、新たに「波世魚」(ハゼ)という一項を独立させて記述したことである。


  
「波世魚 俗訓、字のとおり」


 このことから、著者必大にとって、現在でもハゼの漢字として一般化している「鯊」や「沙魚」のほか、『倭名類聚鈔』以来古代からの辞書にしるされてきた、前記列挙した魚偏の漢字では、「鯛」を「タイ」のように古代から現代までほぼ一貫して通用してきた一次魚名のようには、ハゼを一つの漢字に特定することは、他魚種との混乱を招くということを、理解していたことによるものではないかということが推測されるのである。つまり、ハゼの中には、マハゼもいればダボハゼもいればトビハゼもいるが、主として海や河口に住むハゼと、内陸の渓流に棲むカジカやイシブシやゴリと呼ぶ魚たちとは一線を画して記述した方が、ハゼやカジカの仲間のことを記述するときには混乱を避けて、正確をきせるとしたはじめての本が『本朝食鑑』なのである。
 第二は、第一と関連するが、海に棲むハゼを、遊漁としての釣りの重要魚種として位置付けたことである。つまり、当時すでにハゼ釣りという遊びがはやり始めていて、ハゼのなかでも現在の和名「マハゼ」になっている「ハゼ」はその格好の対象になったのである。


「〔集解〕江河の各所で採れる。江都の芝江・浅草川・中河・小松川等に最も多い。夏秋の間は漁夫が網を入れる。この魚の性質は、泥砂に近いところに沈んでいるので、釣るには鉤の上二・三寸のところに鉛錘一箇をつける。〔中略〕幾須・鮎魚女・鰈・黒鯛の類を釣る場合でも同じである。江都の士民・好事家・游嬉の者等は、扁舟に棹さし、簔笠を擁け、茗酒を載せ、競って相釣っている。これは江上の閑涼、忘世の楽しみである。魚の状は〔中略〕大きいもので五・六寸に過ぎず、味は淡美とはいえ、幾須子に比べて些かあぶらけがある。〔中略〕虎波世…。〔中略〕衲波世…。飛波世…。いずれも味は悪い。」


 ほかに、「当今黄腸で醢〔しおから〕を造ることがある」として、その味は美味で、甘い中にいささか渋みがあると書いている。

 私も、ここに書かれた製法に近い塩辛を食べたことがあり、著者必大がおそらくちゃんと現物を食べたか、すくなくともハゼ釣り好きが知る珍味としての風評を聞いていて記述したことが納得されるのである。おそらく、それ以前からも江戸に限らず、各地で漁師の漁獲対象とされるほどの一定消費はあったと思われるが、当時、いわばインテリ層の大人の遊び相手としてのハゼの存在が認知されることによって、マハゼの存在を「波世魚」としてクローズアップさせたのではなかろうか。
 第三は、「ハゼ」の語源について、しったかぶらずに、「実はまだよくわからない」と正直に書いていることである。そして、著者が文学的な素養と歳時知識からのイマジネーションをはたらかせて、ハゼ=波世は、「波絮」(ハジョ)という音からの音韻変化の可能性を指摘している点である。

 

「〔釋名〕波絮。柳絮(やなぎのわた)が水に入って魚に化したという言からこう名づけたものか、まだよくわからない。」

 

 柳絮とは、リュウジョと読み、柳に咲く花穂が晩春に綿毛になり、風にのって舞い飛ぶというところからの言葉である。

 中国では、北京市の街路樹がヤナギの木で、春になると、この柳絮が風に舞うどころか、雪のように道路に降り積もり、車の交通や掃除などで支障をおこし、街路樹を別の木に植えかえる決定をしたというテレビニュースをみたことがある。アジア大会だかオリンピックが開かれて、来訪者に汚れた北京の町を見て欲しくないという配慮からなのだろうが、あまりに無粋である。清の時代の北京の歳時を描いた『燕京歳時記』(岩波文庫版『北京年中行事記』で読むことができる。)などで描かれた世界が、これでまた一つ消えてしまう。
 と、ちょっと脱線してしまったが、話を元に戻して、「柳絮」から「ハゼ」とは、多少こじつけ気味の釈名だが、5月ごろ、隅田川や多摩川の河口近い岸辺や、潮が登る小河川を、3、4センチほどに育ったハゼの稚魚が群れをなして上流に遡上していくことを観察したことがあるものなら、さもあらんという気もする。川崎やの工場地帯の間や、羽田飛行場の脇を流れる排水溝のような水路に、この季節行ってみるとよい。暇じゃないとできないかもしれないが、ぽかぽか陽気の天気の日に日長この一見汚れた水路を観察していると、あるときすーっと小ハゼの群集が水面にサザナミをたてながら上流を目指していくのを発見することができるだろう。羽田の海老取川には、むかし、春になると、こうした小魚たちがあふれて手ですくえるような状態になるのだと、羽田の老漁師から聞かされたことがある。ここまでは無理としても、いまでは、中野の妙正寺川で、アユが遡上する姿を見ることができるまでに、東京の河川もすこしはきれいになったのだなあと、感心をしてしまった。
 はじけるとか、ちょこまかと走るという動詞の「爆ぜる」「馳せる」あるいは「弾ける」のハゼ、ハセ、ハジの音韻変化が語源であるという国語学者の説もある。あるいは、「男茎」の「はせ」こそが形態状からの語源という説もある。しかし、こんな推測をあれこれとひけらかして書くよりは、「わからぬ」として、きれいに「柳絮」を解いたところが遊び心があってまたいいのである。


TOP


HOME 海TOP 雑魚譚もくじ BACK05|NEXT07

 

send mail here

copyright 2002〜2010,manabook-Mitsuru.Nakajima 

link free リンクをしていただく方ヘのお願い