浜に生きる 6-part(2)


貝井春治郎美術展会場▼

漁師・画家貝井春治郎さん  その2

若狭の漁師が東京でスケッチ展

エピローグ 大敷網の珍客、タコブネとカイダコ

 

 ――東京・霞ヶ関に近いギャラリーで貝井さんの描かれたスケッチを展示した「若狭の漁師が描く〈海と魚〉スケッチ画展」を見ました。漁師の日々の暮らしや漁という労働について描かれていて都会のサラリーマンの人たちが足を止めて感動して見ていましたよ。

 漁師にして画家のくらし

 

 わたしは、福井県でも西の端、一番京都府よりの高浜町という漁師町に住んでいます。高浜町には、もともと高浜町、若狭和田、小黒井、音海、内浦の五つの漁協がありましたが、ついこのあいだひとつの漁協に合併して若狭高浜漁業協同組合になりました。ここの組合に所属しております。

 旧高浜漁協の漁村地区は、塩土(しおど)と事代(ことしろ)の二つの地区がありまして、わたしは塩土の漁師です。

 先祖は、何代さかのぼるのかわわからんくらい、江戸時代よりもっと前から、ここに住んでおったらしいですから、海の交易もやりながら漁師もやっていた、そんな家だったようですな。わたしは、中学校を卒業して、おやじから船に乗れと、決められたように漁師暮らしを始めてしまいましたが、子供のころから、絵を描くのが大好きでした。おやじに内緒で、いまでいう通信教育の専門学校で絵の勉強を続けながら、画家の道を目指したんですわ。

 

 海と魚と漁師を描き続ける

 

 二十代は、日本海サバまき網船団が華やかなときでして、高浜にもいくつもの船団があり、北海道沖から山陰沖まで往復してサバが沸くように獲れた時代でした。そのころまでは、東京の画壇にも油絵を出品しておりました。昭和36年「鮟鱇」が旺玄会展で入選、昭和44年には「たこつぼ」が示現会展に入選して、出典を依頼されたりしていたのですが、どうもわたしは、東京にでて、先生たちにおべんちゃらをいうたり、それよりなにより、ようものをいえんのや。

 根っからの漁師やから、あるときから東京の画壇というものはほとんど考えず、好きな絵しか描かんようになったのですな。

 日本海、若狭の冬の海や、魚たち、漁師を描きつづけてきたのだが、6年前でしたか、東京の草思社という出版社の編集長が訪ねてきまして、一日一枚スケッチを描きながら、毎日の漁暮らしのことを日記風に記録をつけて、それをもとに漁師の一年間の暮らしぶりを描いた本にしませんか、という話が舞い込んできたんや。わしは、どうもしゃべくりは苦手なんだが、絵ならお手のもんやから、引き受けました。

 それから毎日、港やら、漁船に乗ってもスケッチブックは欠かさず持ち歩くよ・うにして、一日一枚描きつづけることになりましたんや。スケッチの裏には、その日の日付と天候、気象や海況を記し、自分の漁や高浜に水湯される魚のことを書き付けてきたのです。

 この絵日誌をもとにして、『若狭の漁師、四季の魚ぐらし』(草思社)という本が出版されたのが平成9年ですから、もう5年になります。

 本を出版しても、この時に習慣になりました桧日誌を描き続けてきましてな。ときどき地元の新聞やテレビ局で紹介していただいてきたものやから、それをみた、キッコーマンの広報室の鈴木さんという方から、このスケッチ展を東京でやりませんかというてきました。今年(平成14年)の5月頃でした。

 この話がまとまり、7月18日から8月末まで東京の虎ノ門に近いキッコーマン本社ビルの一階KCCギャラリーにおいて、『“若狭の漁師”が描く〈海と魚〉スケッチ画展』が開かれたのです。

 

 まことに漁師冥利です

 

――漁師暮らしというテーマの絵に、来場者の反応はどうでした。

 

 まことに漁師冥利といいますか、東京のど真ん中の会場で、30点展示してもらったのですが、わたしのところにも、主催者を通じて「感動しました」「漁師のくらしって知らなかった」というお葉書きや手紙を何通も届いたのですよ。

 わたしの中には、漁師が絵を描いているだけで、とくに意識はしていなかったのですが、街に住む人にとっては、蛸壷の貝殻そうじも、定置網の網起しや、港での魚の運搬作業など、写真や映像よりもっと新鮮に見えたのでしょうか。

とくに、ある女性の方からのお手紙では、冬の漁師さんの海の上や港での労働や、嵐で波にもまれながら漁をしている姿がとても印象的だったと書いてありました。

 漁業という仕事は、魚を獲るということは誰でも知っているでしょうが、わたしのように、海に一人で漁に出て、蛸壷やらイカかごやら、ワカメ刈りをするものもおれば、大敷網のように大規模な網の仕掛けで獲る漁業もある。このような、日常の暮らしぶりについては、ほとんど知ることがないわけですから、スケッチで漁や浜の暮らしぶりを描いて見ていただくという手法が、わかりやすかったのとちがいますやるか。スケッチは、油彩のペンや鉛筆で一枚五分もかからずに一筆書きのように書いてしまいます。

 わたしの絵のタッチで、自分ではこれまで一度も気がつかないことを指摘してくれた葉書きがありました。

 

 「仕事ぶりに感銘」でホロリ

 

――どんなことが書いてあったのですか。

 

 「漁師さんっていつも下を向いて仕事をされているのですね。母親の針仕事をつい思い出してしまいました」

 

 と書いてありました。

 そうだったかなあと、思い起こして見ると、たしかに、そうですなあ。わたしの腰は曲がってしもうて、手なんて、もうグローブのようになって、ご飯食べるとき箸も普通にもてんようになって、握りばしやもんなあ。でも、わたしが、山に入って竹を切ることから始めて、農家から稲をもらって縄を編み、手作りでイカかごづくりをしているところは誰にも見てもらっていない。一人の仕事やから、そうやって、「下を向いている」仕事ぶりを「ご苦労さん」といってもらっているようで、ホロリときてしもうた。

じつは、ことしの夏の大敷の漁には、腰が痛うて、まだ一日も仕事に出られんような体になっておってな。今年は、組みからははずしてもらうように網主さんに電話できのう伝えたところや。まだまだ漁をせな、食ってはいけんので、だましだまし毎年続けてきたのやが、ちょっとお休みや。体調見て、一人の漁は続けていかねばとおもうております。

 カジキに思いをはせてわたしの油絵のモチーフに、「漁雲」というシリーズがあります。「ぎょうん」でも、「りょううん」でもどちらに読んでもいいんだが、絵の構図には、カジキや鮟鱇を、日本海で漁作業風景の上部、空の部分に描きこむのや。人は、カジキが空を飛ぶ、というようにいうが、わしの頭の中では、自らが漁暮らしをしてきたすべての感情を表現しているだけなんだ。

 カジキは、秋口ちかくに日本海の黒潮の枝流にのって若狭湾にやってくるが、高浜で一番沖合に張ってある大型定置網まくりおおしきの間礁大敷にはいるのや。漁師には、その日の海況や天候と経験則から、カンで漁の予兆がある。わたしは、このような予兆感覚を、ひとことで「ケシキ」という。

 

 漁師しか描けない“ケシキ”

 

 カジキが大敷にはいるには、そういうケシキがちゃんとあって、前日が大嵐だったり、ハタガミ(ハタタガミH雷のことだが貝井きんはハタガミさんと呼ぶ)さんがあって、雷鳴と共に稲光が今戸の鼻(高浜湾□に突き出た音海半島の岬のハナ)に幾筋も流れ落ちると、どこからともなくカジキがやってくるのや。

 冬のブリの来遊もそうやが、佐渡の方から徐々に「ブリ道」と呼ぶ海の道をとおって、若狭湾に入って、高浜湾の沖まではきているのだが、定置には掛らない。

 それが、嵐と共に、湾内に入ってくるのやから不思議や。冬の嵐は、漁師にとっては一番望むケシキや。真っ白になって波が覆うように港を消し去る大嵐の後、天候が回復して大敷の網揚げに向かう心は漁師が一番躍るときや。どんな荒れザカナが入っておるのやろう、大漁の期待に、胸躍る。

 こういうきもちをわたしは「漁雲」に描いてきた。穏やかな海で漁をすることが漁業のようにおもうておる街の人らには、この気持ちはわからんかもしれんが、荒天は漁師の友達なんや。どんよりとした灰色の空に、雷鳴とどろく日本海の漁師を描けるのは、漁師しかおらんのや。

 漁師で画家をしているのやのうて、漁師しか描けないケシキを描きたいのや。

 今回は、こんな、わたしのスケッチを東京の街の衆に見てもらって、漁業の仕事にふれて、少しでも漁師の仕事に興味をもっていただけたのであれば、こんなにうれしいことはありません。

MANAー中島 満) 2004年8月15日page up

JF共済「漁協と共済」2002/10-104初出に一部訂正

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 エピローグ

大敷網の珍客,タコブネとアオイガイ

『若狭の漁師、四季の魚ぐらし』(草思社・1997)より

 大敷網に入る魚には、ウマヅラハギのように時に嫌われものの魚もおりますが、なかには闇入者(ちん

 (C)Harujiro Kaii

にゅうしゃ)もおります。闇入(ちんにゅう)と書いたんでは、魚たちにとっては、みんな大敷に断りなく入り込むお客さんですから、おかしいですかな。予想外の珍客というておきましょう。マンボウやアンコウもその手のお客さんですが、心がなごむユーモラスな魚であり、食べてももちろんうまいということでは、ちゃんと人間の役に立つ大切な商品といえましょう。

ウミガメは“がんばれや”といってお神酒を口に含ませて海にかえしてやります

 珍客といえば、まずウミガメがおります。たまにではなく、けっこう頻繁に顔を見せてくれます。カメの種類まではよくわかりませんが、大きいものになると1メートル50ぐらいのはよく入っています。これぐらいになると、100キロ近くはあるんでしょうか、二、三人がかりでようやく取り込めるほどです。背中に白いフジツボをいっぱいつけてはいますが、甲羅をよく見るとたいへんにきれいな色をしております。  こいつ、そうとうの歳やなあといいながら、「がんばれや」と一声かけて海に戻してやるんですが、寒い時期には多くなるのか、いっぺんに二匹入っていたことがあります。  いまは、カメが入ると、その場で海に戻してやるだけですが、昔は船の上に引き上げて、オカまで連れて帰りましてな、お酒を飲ませて、それから海に返してやったものです。

 そんなときちょっといたずらをして南の山のほうに向けてやりますと、不思議なんやが、ぐるっと半回りして海の方向に下っていきますのや。でもそんなことはもう何十年もしていませんな。こんど大敷に入ったらやってみますか、カメのほうが迷惑がるかもしれませんけどな。

けったいなのが“タコブネ”……“カイダコ”はペーパーノーチラス??

 そうや、タコがときどき大敷の網にからみついとることがあります。どうも、網に刺し込んでおった魚を目当てにくいついてくるようですな。海が荒れたあとには、どういうわけかタコがけっこう入っていることがあります。大敷にタコなんてと思われるかもしれませんが、けっこういろいろな変わったもんが入ります。

 (C)Harujiro Kaii

  タコで思い出しましたが、珍客中の珍客、タコブネというけったいなもんがおりますで。知らない人も多いと思いますので、デッサンを描いておきましたのでごらんください。和名タコブネ、漢字では蛸舟と書きます。マキガイのようなきれいな殻の中にフネダコというタコが入っている。嵐の後に、よく枯れ枝などをフネダコのほうがしっかりと抱いて泳いでいるのを見ます。泳いでいるのか、流れに身を任せているのかは実のところはわかりませんが、流木で身を隠しているような格好をしておるもんやから、それはかわいいもんです。タモですくって、船の上に上げる。するとすぐにフネダコのほうが殻から離れてしまう。殻の先端には、黄色い卵がたくさん付着していることも多いようです。

 同じような種類で、アオイガイ、別名カイダコという呼び名のほうが少しは人に知られているかもしれんな。やはりタコの仲間ですが、薄白い、ほのかに透き通った貝殻は雌だけがもっていて、雌は自分の体から特殊な物質を分泌して殻をつくり、そこに卵を産みつけて保育器がわりに使っているんです。ただ海に浮かぶためにだけに、このきれいな殻があるわけではないんやな。英語では、「ペーパー・ノーチラス」というそうですが、ノーチラスなんて聞けば、潜水艦ノーチラス号を思い出しますが、このノーチラスとはオウムガイのこと。オウムガイに似た美しい紙のような貝殻だから、そう名づけられたようです。  タコブネもアオイガイも、潮を吹きだして泳ぎます。前進後進が自在で、けっこう素早い動きをしますんや。胴の真ん中あたりの上部に口があり、眼もそのあたりにあるようです。

不思議な生命体がおるもんや

 アオイガイは10個か20個ぐらいの群れで泳いでいるのを見たことがあります。通常は一個か二個が大敷網の側(がわ)あたりをふわふわと漂っているんだか、泳いでいるんだかしているのですが、このアオイガイを友人に一つプレゼントしたら、「貝井さん、おれにもわけてください」「わたしもほしい」と、予想外の反響に驚きました。あるだけのものを何人かに贈ったところ、お礼状に「オウムガイの夢をありがとう」とか、「家宝にして大切にします」と記してありました。たしかに、貝なのか、タコなのかわからぬ不思議な生命体が残した殻ですから、これを持っているとなにか夢が実現しそうな、霊験あらたかなお守りの役目をはたすような気がするから不思議です。事実、このオウムガイの殻を安産のお守りにするところもあると聞いております。  それにしても、「貝井さん!タコブネが小枝につかまって昼寝をしているところをデッサンしてください」などという注文まであって、これを聞いてしまったのはいいが、こいつを描こうとするとけっこう難しかったですな。大敷に入るのを待っているんですが、探そうと思うとるときは、これがおらんのです。思い出し思い出ししながら描きましたんや。  タコブネもアオイガイも、その生命体のほうのタコはいずれも食べたことがないので、食べられるかどうかはわかりません。あまりにかわいらしゅうて、食うたら夢見が悪いのとちがいますかな。

(C)1997〜2005,Harujiro Kaii&Mitsuru Nakajima


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