浜に生きる 4-その2


 

木更津高校生物部

 

干潟の生物たちが環境のバロメータだ

 足元の自然観察から思わぬ発見!!いま、海と森と川をつないでいる環境そのものを見つめなおす動きにスポットが集められています。

 生活の糧を生み出す海ですが、何億年、何十億年という海の年齢も、よる年波というか、無限の寿命があるなどと悠長なことをいっていられなくなっているようです。地球は、もうひと踏ん張りも、ふた踏ん張りもしてもらわなければいけません。そのためには、身近な足もとの環境をまず眺めてみることです。そこに意外な発見があります。

 身近な海の生物たちを観察しつづけている千葉県立木更津高校生物部の活動を紹介しましょう。

 

干潟の小さな生物たちが大魚を生む

 

 「江戸前の魚」(渡辺栄一著)という本にこんな数字がのっていました。


  4713トン(昭和33年)
    ゼロトン(昭和53年)

 東京湾千葉県湾岸で取れたハマグリの生産量です。その昔、千葉駅の名物弁当が、はまぐり弁当であったといいます。貝殻の形に作った立派な陶器いりで飛ぶように売れたそうです。
 なんとも寂しい記念すべき53年ですが、この年に、木更津高校生物部の生徒たちの干潟調査が始まりました。その場所が、かつてはハマグリがたくさん取れた木更津ノ小櫃川(おびつがわ)河口干潟です。
 春と夏の二回、毎年毎年スコップと巻き尺と、ザルを使って砂を掘って干潟の生物たちの観察を続けて20年になろうとしています。高校生活3年ですから、先輩から後輩へ何代にも引き継がれてきました。地味ですが、この共同作業は、海の環境を考えるために貴重なデータを与えてくれています。
 生物部の生徒たちがこんなにも情熱を燃やしてきた小櫃川河ロ干潟とはどんなところなのでしょうか。
 東京湾は、古くは江戸時代から埋め立てが行われてきたが、昭和30年代から40年代に次から次へとコンビナート造成が行われました。その結果残された自然海岸といえば、ほんのわずかに残るだけです。
 かつては、多摩川、江戸川、養老川、小櫃川、小糸川などの河口を中心に大きな三角州が張り出し、洲と洲を延々と遠浅の砂浜がつながっていたものです。
 いま、残されているのは、江戸川河口の三番瀬、富津、そして、この小櫃川河口に広がる番洲干潟です。
 引き潮、満ち潮のたびに、砂浜は空気と太陽光線にさらされる。このとき砂に残った海水の汚れや有機質が分解されたり、これを餌にする貝類やカニやヤドカリなどの甲殻類やゴカイなどが大掃除してくれる。

「そこら中にある無数の小さな穴がチゴガニの巣です。潮が引いた後、さあ耳をすませてみましょう。チゴガニの大群がいっせいに動き始める。穴から空気の漏れる音。ザワザワ、ぷつぷつ、ザワザワ。」

 この砂浜の生物と空気の交歓が干潟が自然の浄化システムなのです。
 底棲の小動物が鳥や魚を育て良好な資源を維持していきます。

干潟探検隊を待ちうけるのはゴミの山

 現在の部員は、2年生の磯貝徳之部長以下14名。「先輩にだまされて入っちゃった。入ってみてわかったのは、生物部は体育会系文化部。干潟調査は肉体労働です。50センチ四方、20センチの穴を掘る。砂をふるいで漉して記録する。穴掘りと、ふるい漉しに機材かつぎ。沖合1200メートルまで調査点が広いですから、ひどいときは満ち潮にぶつかったときなど、あっというまに胸までの海水につかって、帰りは死ぬ思いで泳いでかえった」なんていうのはざらだそうだ。
 女性部員は植物調査担当だが、ドロドロの作業は同じ。「こんな調査やめてやれと思うんだけど、それでも帰りは先輩の家によっておふろに入って、お菓子を食べているとまた次の調査の日程のはなしになってしまう。」
 そんな調査は、実は、砂浜にたどり着くまでがたいへん。ゴミの山をかきわけかきわけていかざるをえないところもあるそうだ。足を砂浜に潜らせながら干潟かち陸上を眺めると、ゴミまたゴミ、草原の向こうに煙りもうもうのコンビナートがのぞく。干潟の生き物の世界の大切さと、ここにしかなくなってしまった自然の貴重さがつくづくわかるのだという。


「じっと砂浜を見ていると、実にいろいろな色を発見します。思いもかけず樽色のかたまりを見つけました。先輩からウミゾウメンとよばれるアメフラシの卵だと教えてもらう」


ニホンスナモグリと干潟の泥質化の心配

 

 創部は25年というから古い歴史をもつ。先輩たちの研究には、「富津洲の植物研究」、「房総半島におけるトウキョウサンショウウオの研究」(学生科学賞・優秀賞)、「トビイロシワアリの巣穴の研究・(同賞・内閣総理大臣賞)があり、地道なフィールドワークは高い評価を得ていました。
 小櫃川河口干潟の一連の調査と、干潟の掃除を一年にいっぺん行うクリーン大作戦、さらに平成元年からは、地元の市民団体が加わった「干潟祭り」が開かれるようになり、昨年10月で第6回を迎えています。
 この一連の活動に対し、平成3年には朝日森林文化賞・自然保護奨励賞を受賞、全国的に一躍脚光を浴びました。
 「いま、僕たちのテーマは、これまで続けてきた20年近い先輩たちのデータの数値をもとに、どんな環境の変化が起こっているのかを考えていきたい」というのは磯貝部長。
「ほんとは先輩たちのやってきたことがすごすぎて僕たちにもやれるのかと自信はない」そうだが、なに、気にすることはない。
 干潟に足をつけて知った「アメフラシの卵の色が橙色」という発見の積み重ねが木更津高校生物部の業績ということでしょう。
 平成5年の千葉県学生生物研究発表大会では、干潟に生きる底棲生物の調査数と種類の10年間のデータを分析して次のような報告をしています。

「イボキサゴというちいさな巻き貝は水の汚れが少ないところに生息します。その反対にイガイ科のホトトギスガイは汚染にも強い二枚貝です。この二つの貝の増減を10年間でみますとイボキサゴの減少と、ホトトギスガイの発生水域が広範囲に、さらに岸から遠いところに拡大してきました。
 ニホンスナモグリについては、エビというよりはヤドカリに近い仲間で、見かけは小さなピンク色をしたシャコ貝のようです。干潟でももっと沖の泥質に穴を掘って住んでいますから干潟を掘ってもいませんでした。ところが最近では岸に近い干潟にも広範囲に生息しています。これは干潟が汚れてきたことと、もう一つ干潟の底質が砂から泥状に変化してきているのではないかと推測されます。
この干潟の泥質化ということは、砂質を好むウミニナの生息城が沖合化していることからも予測されます。
 泥質の割合の変化については、干潟を形成している小櫃川と潮流の関係から泥状化が進んでいるようです。」

 木更津高校生物部を長く指導し、現在は東邦大学で講師を勤める「干潟祭り実行委員長」の藤平量郎さんは、「小櫃川河口干潟は、後浜となっている砂州や縦横に水路が走るクリークや塩湿地が太古の姿のまま残されたことは奇跡としかいいようがありません。この残された環境が、このまま維持されるのかどうかは、人間が将来に生き延びていけるかどうかのバロメータであり、防波堤なのです。私が、『干潟祭り』というような組織の名称にしたのも、運動体を意識してのものより、高校生も市民も漁民も官庁も一緒に加わってやらなければだめだと感じていたからなのです」と話しています。
 漁民サイドも、もう一度足元の自分たちの浜の環境を再点検していかなければいけないということなのでしょう。 (MANA)

 

――全国共済水産業協同組合連合会(共水連)機関紙『暮らしと共済』1995.86掲載

TOP  04



HOME    海BACK  浜に生きるINDEX    05次▼

 


投稿・ご意見はこちらへ

copyright 2002〜2010,manabook-m.nakajima 

hamaniikiru,kisaradukoukou,kisarazukoukou,obitugawa,

obitugawahigata,higata,kankyouhogo,touheikazuo,kankyohogo

knkyou,toukyouwan,tokyowan,obitsugawa,