浜に生きる 9 


essay,interview

彫刻家 福島敬恭さん

伊根の海が僕のアトリエだ

 福島敬恭さんは、海外にも活躍の場を広げる彫刻家であり、京都芸術大学で学生たちに彫刻を教えている。福島さんのアトリエは、丹後半島伊根町にある。
 住居とアトリエをかねたスタジオからは日本海・若狭の海が眼下にひろがっている。海、自然への対峙が、彫刻、絵画の製作活動にいろいろなかたちで刺激を与えているそうである。
 福島さんは、京都府伊根町にある朝妻漁協の正組合員であり、JF共済にも加入している。

 「1960年代中ばごろから京都で、なかまと一緒に山を削り、家も手作りで美術村を造って制作活動の拠点としていました。ニューヨークに長くいましたから、世界的なレベルで言いますと、東京も大阪も田舎なんです。中心というとロンドンとかパリ、ニューヨーク。なにも東京にいなくてもいい。どこの田舎でも、伊根でもニューヨークとダイレクトにつながっているようなものです。」
 伊根とニューヨークが同じ土俵で語られる。アルミニュームの四角い箱が部屋に整然と並べられている作品の写真を見せてもらう。「ミニマムアート」という世界なのだそうで、立体の質感を超越して黒と反射光とのモノクローム世界が出現したような不思議な感覚になる。

「海が好きで、一年中でもウェットスーツ着て潜っていたいくらい。伊根には丹後半島ドライブ中に日本離れした海の景色と静かな環境に驚いたのです。泊めてもらおうとしたら、ニューヨークから帰ったばかりの私達の格好を見て、びっくりして泊めないというんです。それが、何とか一晩の宿を提供してくれた人と意気投合しまして、それからは、夏は海水浴、冬は正月の餅つきと地元の方との交流も深まりました。2年めには、こっちに住むんならと土地まで用意してくれたのです。」
 それはいいやと、養鶏舎の骨組みを生かして手づくりのスタジオ兼住居を建てたのが1970年。温泉付きのヒノキ作り風呂。居間のすべての窓はスクリーンのように大きく、朝、夕の太陽をカメラにおさめるのが日課だそうだ。スタジオ開きの時には、作品を展示して、ムラの人を招待したという。

「僕の作品は非常に抽象的だから、おいてある三角だ四角だというのは、何なのかというような顔をしていましたが、逆に、漁師とは全く違う仕事があるということや、この人は金儲けをしている人じゃないということを理解はしてくれたみたい。」漁師と、芸術家との交流はますます深まる。いまでは、伊根の船舞台(ふなぶたい)や海の祭りになると、「先生、記念のTシャツのデザイン書いて」とか、船家(ふなや)の保存についての意見を求められたりもしているそうである。

(右の写真は、第60回「わかとり国体」モニュメント広場の制作作品。鳥取市県立布施運動公園)

「海を生かした観光事業について、狭い道や、密集した集落の景観を保存し、お客さんを専用の船で迎えにいき、海から伊根に上陸してもらう」という提案をする。
 なかなかロマンチックなアイデアだ。そのほか、同じ海の村、ギリシャのサントリーニ島と伊根町との姉妹都市提案とか、世界の漁村を歩いた経験を活かした話を若い漁師たちに話しているという。
 福島さんは機が熟せば、海中彫刻展をやってみたいと熱っぽく話してくれた。(JF共水連機関誌『暮らしと共済』86。1995年3月号「浜に生きる」52掲載。)

(MANA なかじまみつる)


HOME    海BACK  浜に生きるINDEX

次10


copyright 2002〜2010,manabook-m.nakajima 

hamaniikiru,ine,hukusimanoriyasu,asadumagyokyou,tangohantou,hunabutai