浜に生きる 12


essay,interview  

藍染め作家 永守勝子さん

 

漁撈賛歌

 

   岩手県山田町に生まれる。父親の海で働く姿をみて育った。故郷を離れても、春になると山田に戻った。山と海と生き物たちが息を吹き返すときのほとばしる匂いと音と色は、都会に住んでいても一時も忘れることがないという。

 永守勝子さん、藍染め作家である。二児の母でもある永守さんにとって、藍染めにめぐりあったきっかけというのが、PTAの役員をしていた時、一枚の年賀状にひきつけられたことにあるという。ステンシルという西洋型染めの技法で印刷されたものだった。

「わたしもやってみたい」と、そく行動をおこす。思いついたら体から動いてしまう性格なのである。年賀状を出してくれた隣町の知り合いに弟子入りした。ステンシルを教える条件はただひとつ。「自分でスケッチすること」であった。

「学校時代は絵が苦手でした」という永守さんであったが、身の回りの自然を描きはじめると、あることに気づいたのである。萩を描く。蒲の穂をスケッチする。知らないうちにスケッチブックの1頁からはみ出してしまう。見開きの二頁でもまだ描ききれない。結局、ステンシルより、もっと大きなキャンバスに自由に表現できる「藍染め」にたどりつく。

「伸び伸びした線が好きなんです。自然な線が、すーとのびてゆく。藍に地の白線のイメージがわたしにはぴったりでした。」それからというもの、染め物業者に染めの技法をイロハから教わる。「先生は失敗の数かしら」という永守さん。

 第一作品が、婦人の友社主催創作工芸展に入選する。入選作のモチーフには、父の船上で櫓を操る後ろ姿になっていた。縦二メートル近い大作である。同時にステンシルの蒲の穂を描いた作品も入選した。

 藍染めで人物を描くだけでも珍しいのに、父親の漁労作業を描き続けたいという永守さんにとっては、創作の原風景は山田町にあるのだ。

 昨年初めて故郷で個展を開いた。山田町の文化祭に出展を依頼されて、会場に選んだのが野外である。大木に作品を大漁旗のように無造作にかけた。室外の窓にも作品を覆った。漁業の町の人々には、藍染めというなじみのない作品だったが、自然と、漁労作業と、父親を描いた何枚もの麻の布地に共感をもってもらえたという。

「わたしは小さいころから父親の船にのるのが好きで、春に故郷に戻るのもホタテ養殖作業の手伝いをするためでした。夜寝ていると、船のポンポンポンというエンジンの音で、父の船か他の方の何丸の船かすべてわかりました。夜のうちに帰ってきたときは、カッパを来てトロ箱を引きずってくる、ざっざっざという音で父だとわかります。朝帰るときは大漁です。夜のうちにそんな音で目を覚ますときには、今日は漁がなかったんだなーとわかりました。」

「父は、おまえが男の子だったらなあと、いうのが口癖なんですよ。」

 今年4月には銀座で個展をひらく。たくさんの漁労讃歌の藍染め作品が展示されることだろう。(JF共水連・機関誌『暮らしと共済』bX1。1996年1月号「浜に生きる」57掲載) 

(MANA)

 


HOME    海BACK  浜に生きるINDEX

次13


投稿・ご意見はこちらへ

copyright 2002〜2010,manabook-m.nakajima 

hamaniikiru,aizome,nagamorikatuko,nagamorikatsuko,