浜に生きる 13


essay,interview  

紀州白魚漁師 西岡秋次さん

 

春告げ魚への思い

 

 筑紫室見川、紀州広川、丹後舞鶴、若狭南川、南伊豫岩松川と地名を並べたが、共通する産物が何か分かる人は、相当の食通である。

 答えは、シロウオである。漢字で白魚と書くと、シラウオとも読む。シラウオは、江戸前の佃島の漁師が幕府から特別の許可をもらって、将軍様に献上をしたという話が伝わっているサケの仲間の魚である。

 シロウオは、シラウオとは全くの別種でハゼ科の魚。いずれも親魚で4、5センチという白く透き通った上品な姿は共通している。3月中旬からいっせいに川を溯り、河口から遠くない浅瀬で産卵する。桜の開花する前に、四つ手網や簾だての簡単な仕掛けで捕獲するところから、春告げ魚とも呼ばれている。三杯酢で活きたままツルっと飲み込む、そののどごしの妙を楽しまないと春がこないとまでいう人もいるほどだ。

 早春の風物詩である。

 和歌山県由良町の大引漁協の取材にあわせて、隣町の湯浅町を訪れた。湯浅町のシロウオ漁の歴史はふるく、広川町との境を流れる広川河口でのシラウオ漁師たちは、後白河天皇から特別の庇護を受けていたといういいつたえがある程である。

 現在まで、シロウオ漁は25名の限られた漁師にだけ鑑札が与えられ、親から子へと引き継がれながら、古いしきたりが守られてきたという。湯浅・広川白魚採捕組合は、湯浅中央漁協に所属している。

 西岡秋次さんは、シロウオ漁の名人である。

 解禁を前にした2月末に西岡さんのお宅を訪問する。代々漁師の家に生まれ、ふだんはサワラ一本釣りに興じる毎日だという。広川の主の風貌をもつ。

「サワラもすくなくなった。実は、今年のシラウオが上がるか心配しているんだ。」という。

 一昨年、昨年とほとんどシロウオの漁がなかったという。往時は、古い家並みがならぶ川沿いにやぐらを組んで、4メートルはあるシモク(竹竿の支柱)に結び付けた四つ手網が両岸にずらっと陣取ったそうである。(写真は四つ手網を張る十字に組む竹―ハチクというそうだ―の組みあわせ部分にワラ縄を巻きつける。取材時は漁解禁前に四つ手のホネと呼ぶハチクの両端を荒縄で弓型に張ったホネの部分を港で作っている最中だった。)

 水切りをよくした網の中央部分には細目の網を張る。下流に向かった網の先端部分には、白く塗った金属板がつけてあって、水中に降ろした網に、下流からシロウオが遡上してくると一瞬白板に影が走る。

「目が勝負だよ」と、西岡さんは、シモクにつないだ手縄をスルッスルッと引き寄せるしぐさをしてくれた。

 網の中央に寄せて水が切れる寸前に、シャクと呼ばれる長ビシャク(写真下)でシロウオをすくいとるという漁法だ。

「こんなことをいうと簡単そうに見えるが、網の大きさ、仕掛け、白色板など自分なりの工夫がしてあるのさ。」

 西岡さんが漁や漁具の工夫をあみだし、漁獲量をトップにすると、ほかの漁師がまねる。つねに毎年先をいく工夫をかさねるのが、名人たるゆえんなのだ。

 河口の埋め立て、広川の河川工事が、シラウオの産卵床となる丸子石の間を泥で埋めてしまった。「昨日のシラス網の情報では、湾内でシロウオがかかったというんだ。今年は期待しているんだが。もし今年上がらなかったら多分だめになるだろう。」と西岡さん。

 3月末、東京から西岡さんに「漁はどうでした」と電話をする。

「ぜんぜんダメだったよ。」とさびしそうにポツリと一言電話の向こうで聞こえた。

 湯浅の町には、九州から入荷したしたというシロウオが、1合マスの4分の1で、数十匹入り1500円という高値で売られているという。(1996.3初旬取材。JF共水連・機関誌『暮らしと共済』bX3。1996年5月号「浜に生きる」59掲載) 

(MANA)

 


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