浜に生きる 18


essay,interview 桑原清志さん 三重県JF熊野・定置網漁業者

漁業体験学習をとおして

地域活性化


愛媛県出身で脱サラしてJF熊野組合員となり、定置網漁業の経営に携わりながら、4年前に熊野市議会議員にも立候補して当選。
「これからの漁業は、地域の漁村で、ただ鮮度のよい魚を漁獲して出荷すればよいというだけでは生き残っていけなくなっています。水産基本法の制定の背景には、国民が求める水産物、水産業という、安全な食料供給者としての漁業の位置付けがあります。漁業者自らが、生産物に対する安全性を具体的な基準で示すような積極的な生産者の立場を示す必要があります」と話す桑原清志さんに、漁業後継者の問題、地域の漁業活性化の問題を話していただいた。


脱サラして漁師の道を選ぶ

Q――もともと漁業と関係のある仕事をされていたんですか。熊野の海で漁業に従事するようになったきっかけから伺います。

 私は、大学でアルバイトをしながら勉強して卒業、大阪の商社の営業を仕事に選んだころまでは、自分が漁業の仕事をするようになるなんて想像もできませんでした。
 女房の実家が、熊野の木本という漁村で定置網漁業をしていまして、結婚をしようと思っていたころ、お義父さんが病気で入院をされたのです。
 このことがきっかけで、自分にも漁師という仕事をやってみたいという意識が強まっていったのですが、お義父さん(濱本亘治・現JF熊野組合長)の言葉すくない漁師の男気の性格に引き込まれてしまったのが本音です。
 平成元年五月に初めて定置網の作業を経験させてもらいました。船酔いはするし、ぼくの親からは反対をされるわだったんですが、決意はもう変わりませんでした。11月に結婚をして、船頭さんや船長さんはじめ先輩方みなさんから一からの漁師修業でした。
 忘れもしません。船が木本の港を朝の4時に出港するときは真っ暗です。港のライトに写る影が少しずつ遠くなっていくとき、「漁師になるんだなあ」ってはじめて実感しました。朝日が昇る中での荒波の沖で大漁を体験できました。てきぱきと段取りよく作業をして行く荒荒しい男のスケールの大きな仕事場にすっかり感動してしまいました。
 それからというもの、仕事を覚えるのに、もう必死でした。なんでもいやがらずに積極的に取り組みましたよ。これがぼくのとりえですからね。

Q――定置漁業や漁場の特徴はどのようなものなのですか。

 ここは三重県の最南部の紀南地区と呼ばれていまして、熊野市の木本という漁村です。2年前の平成13年4月に、市内の木本(きのもと)、磯崎(いそざき)、新鹿浦(あたしかうら)、遊木浦(ゆきうら)、二木島(にぎしま)、甫母須野(ほぼすの)の8つの漁協が合併して新しいJF熊野ができました。北部のリアス式海岸から熊野川河口にいたる熊野灘に接した七里御浜。世界遺産指定の運動を展開中の熊野古道や風光明媚な観光地としても知られていますが、やはり、紀伊半島潮岬にぶつかって分岐した黒潮の流路によってもたらされる回遊魚種の豊富さによって優れた定置網漁場を形成してきました。
 2カ所の定置網を経営しています。木本の七里御浜沖の志原尻(しわらじり)を漁場とする大型定置網の恵洋大敷(けいようおおしき)と、磯崎側の中型規模の笠島定置(かさじまていち)です。
 恵洋の漁船配置は、本船19トン、予備船と呼ぶ網船6トン、ガワ船と呼ぶ作業船3トン2隻に、伝馬船(てんません)の船外機船が1隻で13名の乗組員の陣容です。笠島定置は、弟分といった陣容で、相互の協力関係で操業を行います。

HACCPP対応船の新造に挑戦

Q――電話でお伺いしましたが、現在台湾で新船建造中ということでしたね。

 現場を任されるようになって、気がついたのですが、やはり、これまでのただ時間ばかりかけて操業をしているよりも、8時間ときめたら、きっちりと時間を限って、仕事をこなして行くようにしていきました。いろいろな経営的なアイデアを考えてきましたが、そのなかで、これからの漁業は、沿岸漁業においても、消費地から離れていればいるほど、かえって消費者である国民が求めている、鮮度ばかりでなく、より安全性を保障された生産や作業体制で臨んでいくことが必要になってきているんですね。
 水産基本法を制定した意図も、漁業者はただ魚を生産して供給すればよいというのではなく、生産者自らが、国民の蛋白食料供給の担い手として消費者にもわかってもらえる安全で高鮮度の魚を提供していきなさい、ということにあるのだと思うのです。そうして、大日本水産会を窓口にして、HACCP(ハサップ=国際的な食品の鮮度安全性基準制度)の基準をクリアした漁船を作ろうと考えたわけです。

Q――大型定置網をもう1カ所増強しようというのですね。

 そうなんです。恵洋大敷の漁場からさらに沖ダシした恵洋二号大敷(仮名)の権利を得て、その配備漁船を、HACCP対応船にしたいと新船を作りました。
 この記事が出る頃には、すでに台湾から木本に回航され進水式も終えているでしょう。このHACCP対応問題は、「地方の一定置網漁業者がなにを」という批判の声もありましたが、資金面やさまざまな課題が山積している中で、一つ一つクリアしていったのです。まだ、ぜんぶクリアしているわけではないのですが、私たちはやっぱり挑戦者のつもりですから、この熊野の優れた漁場の特性や環境を活かさない手はないですよ。沿岸漁業者や、地元漁協も地域一体となって、熊野で取れたマグロやブリやアジを、国民に価値を認めてもらえるように、生産の水揚げ作業環境や、保冷システムや、一次加工処理の衛生安全管理基準をクリアした体制で臨むことが求められているのです。
 消費地から離れた環境のよさを、HACCP対応基準という漁業者側からの鮮度安全管理の魚を作っていますよということを消費者に投げかけていく時代に来ているのだと思います。
 そのために、あえて一石を投じたわけですが、日本の沿岸漁業を生き抜いていこうとすればこうした生産者自らの努力をしていく人や地区はどんどんと増えていくはずだと、確信しています。
 地域のみなさんや漁協の協力を得てやるわけですから、ふんばってでも成功させなければいけません。まだ、権利主体の問題や、実は漁協の内部の段階などでいくつも課題がありますから、船はできても、もっと頑張らねば。みなさん、応援してくださいね。

地域の活性化に取り組む

Q――市会議員としての仕事はどんなことをこれまでされてきたんですか。

 義父が長く議員をやっていまして、4年前に引退したとき、とくに勧められたわけではないのですが、漁業で精一杯ではあったのですが、これからの地域のためにも自分がやりたいと2回日の大決心をしまして、立候補を決めました。
 自分の持ち味は若さと、漁業者といっても脱サラ漁師ですから、かえっていろいろなしがらみを持たずに、漁業面だけでなく地域振興に意見が出せるのではと考えたわけです。平成11年の市会議員選挙で多数の協力者のおかげで最年少議員として当選を果たせました。
 ぼくは、HACCP対応船の導入もそうですが、漁業は、いまの専門技術者の職人集団だけでは通用しなくなって来ていることを、漁師になって短い期間ですが、集中して取り組みながら痛感しています。海に生きるプロの職業人として地域と一体となった海の産業者としての自覚と体制を備えた、「海業」のような産業にのりこえていかなければいけないのです。よい悪いではなく、そういう選択肢で進むことを時代が要求しているし、また「海業者」として、積極的に消費者の方を向いて意見を言えるようになっていかなければいけない。そうしなければ、他の産業に伍して漁業の良さをアピールしていけないのです。
 漁業後継者対策も、ただ人手や後継者がいないということではなく、漁村や漁業の現場にふれあう機会を積極的に提供していく取り組みをしていく必要があります。漁村地域の問題もありますが、そんな障害を乗り越えるためにも、まずは実行あるべきと、皆さんの協力を得て4年前から、体験漁業学習の場を提供していくことにしたのです。
 毎年多数の応募の中から10人前後の候補者の方々に参加していただき、実際にいちばん忙しく、厳しい冬の海の定置網作業を体験してもらっています。今では、最初の平成12年に実施した体験者のなかから新城さんという32歳の意欲的な方が、うちの定置網のスタッフとして就業してもらっています。
 平成15年も、新年早々の8日から11日までJF熊野が事業主体で体験漁業学習を実施し、13名の参加をみました。
 ぼくの信念のようなものですが、漁業という産業はこれまで、どうも後向きのことばかりが取り上げられてきましたが、もっと前向きの、漁業の良さや、ローカルの産業だからこその強みが今の時代だからこそ再認識されているのだと思います。
 これからも私一人ではなく、たくさんの方々の協力をいただきながら漁業の現場からイキのよい浜の魚ばなしをどんどんと発信していくつもりです。
(インタビューア―MANA)[掲載:全国共済水産業協同組合連合会=JF共済「漁協の共済」平成15年2月号、bP06号、「リレートーク第59回」]

○取材余話――定置網とマンボウ代のこと

TOP


HOME    海BACK  浜に生きるINDEX 16←BACK

 NEXT→18


copyright 2002〜2010,manabook-m.nakajima