浜に生きる 16


essay,interview

サイエンスライター 香原知志さん

 

海という宝物のことを書きたい


 たくさんの東京湾を紹介した本の中で手元にいつまでも残しておきたい1冊に出会うことができた。香原知志(こうはら・ともゆき)さんの書いた『生きている海・東京湾』(講談社)がそれである。子供向けに出版されたものだが、むしろ年齢の枠を越えて読み継がれていくはずである。「この本をまとめようと構想をねっていたとき、すくなくとも環境とか生態系ということばはいっさい使うまいとさめました」という香原さん。
 子供の本にまで最近あふれている「自然に優しい」とか「共生」という形容詞つきの言葉を使って環境とか漁業を語る姿勢には、どうしても人間の「ごうまんさ」や「身勝手さ」が見えてしまうからだという。あくまで自分の足で歩いて、海に潜り、人と出会い、そして感動した東京湾のありのままの姿を、分かりやすい言葉で語りかければ、こどもたちも、きっとわかってくれるはずというスタンスである。
 「東京湾に生きているいきものを全部あわせると17万トンになります。この数字は、相模湾を大きく上回っています。相模湾よりずっと狭く、濁っている東京湾のどこに、こんなにも、いきものを育む秘密があるのだろうか。こどもたちに、この海の恐ろしいほどの生命力の存在を伝え、生命力を生みだす仕組みを知ってもらって、自分の目で生きている東京湾の姿を見てみたいと海辺に足を運んでくれるこどもが100人も出てきてくれれば、それだけで僕が本を出した意味がありますよ」と香原さん、語り始めると熱をおびてとまらなくなる。
 「香原知志」という名前と掲載写真を見て、思い出された方もあるかもしれない。水産経済新聞記者として10年以上も漁業界の記事を書き続けてきた。2年前に退社、一念発起してサイエンスライターとしてフリーの道を選んだ。「40歳を3年残して、えいやっ、てなもんでした。
 東京湾の漁師や水先案内人や横断橋の建設に従事する潜水夫と、この海に生きるいろいろな人を通した東京湾をルポタージュしようというテーマは決まっていました。とにかく自分の足と折り畳み式目転車で東京湾じゅうぐるぐると回りました。本の内容はかわりましたが、2年間の取材で数多〈の人に会った経験がいきました。東京湾の生きものと、この海をなんとか守り、活かそうと頑張ってきた人たちの姿をとおした、僕なりの東京湾物語が書けたと思っています」。1997年『生きている海・東京湾』が講談社から発刊される。
 売れ行きはそれほどよくなかったというが、1998年の春になって「産経児童出版文化賞]の大賞受賞の知らせが飛び込んできた。

 「いやーうれしかったですよ」と香原さん。続けて「……副賞が」と冗談っぽく笑ったが、目は真実味を帯びている。じつは、児童書出版の世界では名が通った賞というが、香原さんが編集に直接かかわった『森の新聞Cホタルの里大場信義著』(フレーベル館)も理想教育財団賞を受賞するというダブル受賞になったのである。
 次なるテーマは「水俣」(みなまた)という。「きのうまで筑波山にネンキン探しに森に入っていたんですよ」と香原さん。「粘菌」。あのアメーバーのような南方熊楠の永遠のテーマであった生物体への関心にまで広げている。「海のことも森のことも、自然という宝もののことをなんでも描いてみたい」という。次の本もどういう切り□で新しい世界を表現してくれるのか、本当に楽しみである。

○香原さんは、2000年、山陰の漁村に取材に行く途中、不慮の交通事故で亡くなられた。ほんとうに残念、まだまだたくさんのことを話し合いたい、そういう貴重な人材を無くしてしまった。

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