浜に生きる 1


essay,interview

記録映画『あらかわ』からのメッセージ 映画監督 萩原吉弘さん

 

森や川がダメになれば海も死ぬ

 

 

 荒川源流奥秩父の主峰は甲武信岳2460メートル。山頂に続く苔むしたブナの倒木が重なる源流点から染みでてくる一滴の水が清流となり、埼玉県中央部を貫き、戸田橋を境に東京に入る。
 流れは高層のマンションが両岸に林立する荒川放水路から東京湾三枚洲に流れ込む。
 源流から東京湾にいたる169キロメートルの荒川水系をたどり、上流部のダム建設をめぐる山に生きる人々、流域の農民、そして東京湾で漁を続ける漁師たちを克明に映像で追った。

 ドキュメンタリー映画『あらかわ』の監督・萩原吉弘さんは「橋のない川」など一連の東陽一監督作品に助監督として参加、今回の『あらかわ』が監督デビュー作品となった。
 萩原さんは、三年前の「橋のない川」のロケ地関西で、明治時代の橋をかけるにふさわしい環境の川を捜し回ったが、徒労に終わり、昔の川の姿の復元は絶望的になったという。この経験が人と川や海との交流をとおして現代の「水」問題を撮りたいというきっかけになったのだという。
 「全国いくつもの川を取材していたときでした。気仙沼の畠山さんというカキの養殖をやっておられるかたから、漁場の後背地である森の木々を伐採して山がやせると海も滋養分がなくなりカキの養殖がダメになるというのです。その話を聞いたとき、すぐに荒川上流の三峰神社のことを思い出しました。

 この秩父の森深い古い神社にも豊漁を祈願して漁師たちが頻繁に訪れます。荒川上流の滝沢ダム建設をめぐり地元で建設反対運動を続ける浜平地区の人々を知る。移転を頑として同意しなかった反対同盟会の人々は、1992年11月、23年間の長すぎた歳月だけを残して妥結の道を選択した。
 水没予定の百戸あまりの人々のうち最後まで反対を続けたのはわずか8戸。この年老いた家族は20キロ下流の新しい上地に新しい村をつくるという。
 「山を守る人々がいなくなればだれが森を守って行くのだろうか、山に生きてきた人は自然の森こそが豊かな保水力を蓄えたダムだといいます。わたしはダム建設の反対運動の記録映画にするつもりではなかったのですが、立ち退いて行く人々の家を取り壊した廃嫡を前にして、本当にダムは必要なのか」の素朴な疑問がわいてきたという。
 撮影は、カジカとりの名人、コンニャク作り、いまでも山に生きる人々を取材、中流域の農村部から東京湾の巻き網漁を辿って行く。

 まき網漁船「太平丸」大野一敏船長の次の言葉が印象的だ。
 「川をよくするというのは当然木を植えたり、森を回復しければいけない。地下水や、昆虫とか鳥とかを考えることで、今度は川の生物が生き返りそして、海の生物が生き返るということです。だから、漁師は何を考えなければいけないかというと、やっぱり山のてっぺんまで思いを馳せないと、俺たちは生きていけなくなる」
 ドキュメンタリー映画『あらかわ』をひっさげて萩原監督は数多くの漁村で上映の機会を作りたいと語ってくれた。(MANA)

――全国共済水産業協同組合連合会機関紙『暮らしと共済』1994.79掲載

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