浜に生きる 15


essay,interview

南の島の貝がら博物館 主宰 清水寛枝さん 

 

みっつの『ちかい』


 子供たちには「貝がらおじさん」のほうがとおりがいい。全国の幼稚園や小学校などから、田無市の自宅に設けられた「南の島の貝がら博物館」あてに手紙が舞い込む。「貝がらおじさんへ。ぜひおじさんのかいがらをわたしたちにみせてください」清水寛枝さんは、こうした子供達の「声」に答えて、これまでに集めた1000種類以上の貝がら1万個を自家用車を改造した移動博物館に積み込んで、奥さんの貝がらおばさんといっしょに、どこへでも出かけていく。ガソリン代も宿泊費もなにも受け取らない。すべてボランティアで、貝がらの出前博物館の活動を展開している。

 すでに200所、13万人以上の子供たちに会った。移動博物館の走行距離は、5万キロ、現在のワゴン車で3台目という。この距離は、単純計算でなんと地球を一周したかっこうだ。
 昭和6年生まれ。現在の海上保安大学校卒業後、灯台守りの仕事や管区海上保安部勤務など海上保安マンとして全国各地に赴任。沖縄が本土に復帰する前後に、第11管区海上保安本部設置の仕事であしかけ8年沖縄の海を前にして暮らす。このときに美しい貝とふれあい、貝がら収集を始めるきっかけとなった。

 「沖縄の海は澄んでいましたが、あるとき美しい浜辺に、真っ黒になった貝がたくさんうちあげられていた。大きな廃油ボールがあちこちに流れ者き、べっとりと油がついて貝たちが死んでいました」

 沖縄の海にも汚染がすすんでいるのだということがショックで、それ以来沖縄の各地の海を歩き貝を集め、海岸を調査する事が休みの日課となったのだそうだ。
 沖縄勤務時代から、県内の小学校など子供たちを訪ね、貝がらを見てもらいながら海の自然の美しさ、大切さを語りかけるようになる。その後、貝の収集は全国に及び、横須賀保安本部次長のとき勤続42年で、定年退職後は1年の多くを、子供たちに請われるまま全国を飛び回る仕事が「天職」となった。
 タイトルの三つの「ちかい」の種明かしをしよう。「ちかい」は「稚貝」と「誓い」をかけた清水さんのことばだ。

 幼稚園では、教室いっぱい海に見立てた青いシートを敷き、そのうえに、無造作に大小、色とりどりの貝がらを置く。

 「子供たちが貝を踏みつぶしてしまってもいいんですよ。そうすると、かわいそうだと感じ、教えなくてもあいてるスべ'スで貝と遊びはじめるんですね。貝がみんな教えてくれるんですよ」

 「法螺貝に耳をあててごらん。沖縄や遠い海の波の音、浜風の泣き声が聞こえてくるよ」

 「海の美しさ、優しさ、豊かさを、守ろうと訴える貝の赤ちゃんたちの声だよ」

 子供たちにやさしく話しかける。

 「この貝は油まみれの真っ黒な貝。これをコウガイ(公害)というんだよ。こっちの真っ白な貝とくらべてごらん」

 1センチほどの小さな稚貝をひとつフィルムケースにいれて子供たちにプレゼントする。白黒の縞があるノシガイ、かわいいおへソのついたシロアキヘソトミガイ、そして法螺貝、タカラガイの赤ちゃん。

 「海のいのちを大切にしよう」「豊かな自然を残そう」「自然に優しい人間になろう」の三つの誓いが込められている。

 貝がらおじさんから、漁業関 係者にメッセージがある。「ぜひ自分の漁船の船の長さだけ海岸をきれいにすることを実践してほしい。船の長さを合わせると日本中の海岸線を何周もしてしまうといいますから」だれか応えて上げてください。

 


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