まなライブラリー氷の文化史日本氷業史・氷室文献雑録


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当面は、手元資料からのTEXTDateのみを日付順に掲載していくこととします。後日年代、内容別の整理を計る。[タイトル]、(○○)カッコ内は原文中のルビだが、現代ルビを付さずに判読可能な文字については原文中のルビを原則はずした。〈○○〉は、編者・MANAによる注記。原則旧字体は新字体になおし、明らかな誤字脱字は修正を加え、誤りを生かしたほうがよい場合は○○〈ママ〉としてアンダーラインし明示した。また、判読しやすいように、最小限の句読点を適宜付け加えた。また、同音表示の「々」、「ゝ」「ゞ」(ひらがな)、「ヽ」「ヾ」(カタカナ)は区別して記し、正音で表示した方がわかりやすい場合は同音表示を直して正音で表示した。「廿」等の数字は「二十」にあらためた。年号は、明治以降新暦による表示に直した。(明治初年の旧暦日付の新聞等は、新暦を記載し、旧暦日付を併記した)


明治5年6月12日(1872) 東京日日新聞(第70号。明治5年壬申5月7日)

[○報告] 夏日氷を用候事ハ只炎暑を凌候のミならず西洋諸国に於てハ各種の病症に用ひまた魚類獣肉牛乳蒸菓子水菓子酒類青物にすべて腐敗しやすきものに氷を添ヘて囲置ばいつ迄も新鮮也故に暑中の氷ハ世上必要の品に御座候間私共数年苦心勉励の上漸く近年研究致し北海道の清水に産し候氷を戴取地方官の御検査を請函舘氷室に貯蔵致し当節東京に氷室を移し申候就てハ恐多くも宮内省御用仰付られ病院御用も仰付られ冥加至極に奉存候最早逐日暑気彌増ニ付今日ヨリ発売仕候尚処々取次所も出来候間御手寄にて多少に限らず御求め下され候様伏て奉希上候

  氷定価  一斤 四銭 四百文ノコト也

                  元嶋原向河岸

               氷室会社 中川嘉兵エ

                      佐藤終吉

   申五月五日

<MANAメモ―本記事は、「氷室会社売出しの氷」として宮武外骨「文明開化―広告篇」にも転載されて、よく知られた記事となっている。○中川嘉兵エ=中川嘉兵衛なお、皆川氏の資料への書きこみに、「当時一升四銭か五銭」とある。>


明治5年6月(1872) 新聞雑誌(明治壬申5月第44号)

○昨夏横浜ノ氷会社ヨリ氷ヲ売出シ其價甚タ安ク衆人ノ賞美大方ナラズ此会社ノ発起人ハ中川嘉兵衛ト云ル者ニテ七八年前ヨリ氷ノ事ニ苦心シ或ハ富士山絶頂ヨリ採来リ途中にて悉く水トナリ大損ヲ為シ或ハ東奥ノ山民ト約シ冬ノ間ニ氷ヲ貯ヘ春ニ到リ運送セシト謀リ適々事変アリテ果サズサシモ曽テ志ヲ屈セス猶種々ノ工夫運ラシ北海道ニ於テ製氷場ヲ設け大氷塊ヲ製シタリシカ此計極テ機宜ニ叶ヒ遂ニ大ニ発売スル事ヲ得タリ。文政天保ノ際ニ奢侈ヲ窮メシ貴人豪富ト雖モ未ダ知ラザル所の味ヲ、貧生ニシテ飽マテ消受スル事明代ノ余沢ナラズヤ。又熱病ノ治療ナトニハ不治ノ症モ氷ニ因テ癒ユル事アリ。且魚類獣肉蒸菓子、酒類、青物、等ノ腐敗シ易キ物モ氷ヲ以テ囲ヒ置ケハ新鮮ヲ保ツト聞ケリ。サレバ氷会社ノ功徳モ亦大ナラスヤ。當夏益々其業ヲ盛大ニナサントテ報條ヲ出シ五月五日ヨリ所々ニ於テ発売セリ。


明治6年6月8日(1873) 日新眞事誌 第2周年第31号

[投書] 築地一丁目ニ於テ佐藤修吉ナル者カ沽却スル氷ハ函館地方ノ氷池ニ産スル天然ノ竒品ヲ舶載シテ氷室ニ貯蔵スル物ニシテ其売弘[ウリヒロ]メ所府下数十ケ所ニ散布[シギ]スルハ世人ノ知ル所ナリ。夫レ氷ノ人身ニ健康ヲ助クル其効験枚挙ニ遑アラズ。其ノ一二ヲ挙シニ頗熱ノ脳苦ヲ解キ或ハ金銕瘡湯火傷ノ腐爛ヲ去リ或ハ酒肉菜菓ノ損敗ヲ防グ等凡て人身保護ノ道ニ於テ有用必需ノ物品ナリ。故ニ恐多クモ天皇陛下ノ御膳ニ供セラレ大病院ノ諸名家之レヲ各種難症ノ病者ノ用ユル其能又少トセス。然ルニ其効能ヲ究メサル不窮理ノ白徒[シロウト]或ハ漢医者流輩妄クニ之レヲ擯斥シ冷剤以テ*能ヲ消スト云ヒ、或ハ蒸気ノ発起スルヲ見テ毒害アルト云ヒ其他無瞥ノ妄説ヲ唱ヘテ人ノ服用ヲ妨ルハ実ニ愍笑[アワレミ]ニ堪ヘサル所ナリ。予多病ニシテ熱暑ニ向ヒ屢々疾病ヲ生ス。近年夏時ニ全レハ氷ヲ常用シテ其効験ノ箸」シキヲ経験セリ。因テ惑者ノ為メニ一贅シ患者日々適宜ニ之ヲ用ル戌ハ頗る健胃清涼ナラシメ人身摂養ノ一助タル必然タレバ敢テ黙止スルニ忍ヒス聊カ経験ノ概略ヲ書シテ以テ世の不窮理家ニ忠告ス。斯ク云フ喪者ハ夲材木町ニ住スル上林某ナリ。


明治9年9月25日(1876)  假名読新聞(第174号)

○一昨廿三日午後八時入港の品川丸は函館より氷凡そ百四十トンほど積んで来ましたが先頃の炎暑でハ一斤四十銭より五十銭の騰価[たかね]ゆえ此頃俄の冷気にて買ふ人のない処を当港の異人館で皆買揚たといふ風聞[うわさ]


明治11年6月5日(1878) 讀賣新聞(第????号)

○悪水の氷は実に容易でない害を起すから、先日より度度(たびたび)出し、また昨日も、信州諏訪の湖水の氷のことを出すと、直に恐ろしく威張ッた男が三人来て、記者に信州諏訪の湖水に案内か不案内か、どうだ、あの新聞は偽はりだなどと口を揃えていい出し、僕が信州より持って来た氷は大警視の許可がを得たのだ、外々の悪水の氷とは違う、己の営業安を害したとかいって、久しく氷の講釈をして帰ったのは、市岡兵兵衛と外両人の氷屋。成るほど警視局の許可を得た氷なら確かだから記者は、かけ構いなし。それにつけても或るおかたのように、悪水の氷で暑中に魚を囲う思いつきは結構すぎるものが用を成すのは至極よろしうござります。


明治11年6月11日(1878) 讀賣新聞(第1019号)

○水茶屋や氷屋では何の薬がはいった壜でもかまわずに買って来て夫れをろくろく洗わずに客へ出す種々の洋酒や其外を詰めるのハ次第に寄ると身体を害すゆえ近々にその筋よりお達しになるといふ。

[アイスクリーム発売広告] 私店是迄氷卸売並にアイスクリーム製造売り弘め罷在候処猶当年一層勉励仕廉価を以て発売致猶御註文の儀ハ郵便にても御おこし相成候ハバ不拘遠近急速持運可申候間何卒御用向の程偏奉希候

尾張町壹丁目二番地 氷問屋 町田銕三郎


○明治42年12月10日(1909) 週刊多摩新聞(第28号―3面)

製氷会社の設立 資本の総額五万円] 府下五日市町有力家は数年前より秋川(あきかわ)の水流を利用し製氷事業を計画しつつありしが、漸く機熟し同町字小荘(こしょう)内山啓三郎、同仲町金子榮太郎、同下町内山将三郎、同高取亀吉、同岸忠左右衛門、同郡三ツ里村字小和田天野庄次郎の諸氏発起となり、資本金五万円を以て三ツ里村小和田の秋川沿岸に五日市製氷会社を建設する事となし、一株拾円にて株式の募集をなしたるに忽ち満株の好況を呈したるより此期に乗じ去月二十五日五日市町町露屋(つゆや)において株主総会を開催し、茲に設立を見たり。

<MANAメモー調布史談会発行、昭和45年6月発行復刻資料>

 

 

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