まなライブラリー氷の文化史日本氷業史・氷室文献雑録


Ice 006 田口哲也・氷のエッセイ

心の奥を、突き動かすもの

by Tetsuya Taguti

2000年「中谷宇吉郎生誕100年記念文集」より


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 私は平成5年7月、10時間に及ぶ心臓の大手術で九死に一生を得た。一年間の静養後、製氷会社の社長を引退した。翌6月1日は「氷の日」である。この日『氷の文化史』を出版し、銀座東急ホテルの出版記念会の席上、「これからの生涯を、水と氷の研究に燃焼させたい」と宣言してしまった。製氷の現場で、大都会の水道水の水質劣化が、驚く程の急ピッチで進行中で、人類の将来に危機を感じていた。(数年後、環境ホルモン等の問題発生)、私は究極の氷を作るため、理想の環境、空気、水質を求めて、12年間、福島県から関東、長野県等にかけて、工業規模の水量のある水源を探し歩いた。
 平成4年夏、遂に山梨県八ヶ岳南麓の大泉村(標高800m)に理想の地を発見し、山田進村長と意気投合した。西に八ヶ岳を背負い、東に富士の霊峰、北に秩父連山、南に南アルプス、左右に富士川の上流が流れ、下流で合流し霧が発生する世界にも稀な環境である。私の開発中の総括水質指標(「雪氷」58巻6号)でも、大泉の水は、世界に冠たるデータと、美しい氷晶写真が出来たので、誠に感激した。安全で良い水は、水分子6個で6角形を作り、その集合も美しい大きい六花の氷晶像を示す。但し、雪の結晶の10分の1〜100分の1の大きさである。
 水道法の水質基準をパスしていても、安全に問題のある水が増えている。有機化合物(農薬等)が、溶け込み、六角のクラスターの崩れた奇形又は、結晶の出来ない水である。こうした汚れた水が、僅か十数年の間に一般化してしまった。水の氷晶写真の撮影法を開発した江本氏、石橋理博の協力と、東海大学の理学部主任教授、故・真下博士の、マイクロb波分光法β値測定による化学物質汚染による、水分子クラスターの奇形率把握が可能になったお蔭で、このような日本の現実が判って来た。私は世界の水を調べ、世界に通用する相関式を開発し、二十世紀中に、世界の水マップを作ろうと行動を起こした。
 病後、最初に選んだカナダでは、帰国直後、原因不明の高熱で入院、免疫力が低下していたので、風土病に負けた。トルコでは、最古の病院遺跡の泉の味覚テスト後、猛烈な下痢で脱水症状となり、遂に難聴になった。ベルギーでは、採水中、崖から転落、眼鏡の破片が右類右眼周辺に多数入り、出血多量で緊急十八針の手術。
 帰国後、形整外科で再入院。昨年はギリシャの数千年前の神殿、病院遺跡等の泉水を採水、帰国当夜、心筋梗塞で緊急入院。十ヶ月後の今、不死鳥の如く元気になった。しかし無理は不可能になった。
 無念残念だが、喜びもある。大泉の製氷工場 は、平成九年完成し、平成十一年六月には、地元の方が、山に製氷工場を作り、大泉の水が氷になった。この一大ロマンを記念する石碑と、氷の文化史を記念して、「氷は文化のバロメーターです」と云う私の書を彫った記念碑を建ててくれた。
 平成12年4月から、半年連続のNHKドラマ「私の青空」では、氷の文化史の一部が引用されて喜んでいる。中学同期の若濱五郎氏と同じ七十三歳だが、ゆっくりと水と氷の研究を続けて行きたい。この気持は何処から来るのであろうか、と考えた。アメリカ、西海岸、バーモント州の田舎町ジェリコの農民の子、ベントレーが、大昔、雪の結晶の美しさを、他人にも見せようと、長年苦労して、雪の結晶の顕微鏡写真の撮影を続け、嘲笑と無関心に耐え乍ら、1931年、雪の結晶写真集が出版され、一躍、世界に有名となった。もう66歳であった。
 中谷宇吉郎先生は、ベントレーの雪の結晶写真集を見て感激され、このすばらしい結晶を、実験室の中で作ろうと挑戦され、1936年3月、自然に見られる結晶とそっくりの雪の結晶を作り出された。このペントレーさんと、中谷宇吉郎先生の意志の運命の出合いのシーンが、潜在意識となって、私を絶えず突き動かしたのだろう。

田口哲也:千葉県在住。昭和2年東京生れ。多賀工専卒業後、日本冷蔵(株)に入社。昭和63年(株)ニチレイ・アイス初代社長。平成6年『氷の文化史』刊行。平成8年雪氷学会誌小論。平成12年NHKTV「私の青空」に氷の文化史が一部引用される。

 

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