巻頭column  更新時適宜掲載

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目には青葉の季節到来

 

photo by terukazu ito ,(c)2002 

 旧街道歩きは、早春の秩父路から、中山道にもどり、深谷、本庄周辺から倉賀野を経て日光例幣使道をたどり日光東照宮を目指して散策中です。このところ、日常業務に追われて、巻頭エッセイをまとめることができません。近況と、5月にふさわしい写真を掲載しておきます。

 江戸前のカツオは、銀皮造りといって、腹側の銀色の部分をつけて写真のようにきって盛り付けて食べます。ただし、この食べ方は初鰹から初夏のころまでで、7月以降の戻り鰹の季節には銀皮部分はそぐか、たたきにする食べ方をすることが多いようです。初夏のカツオは、写真のように赤身の色を楽しむので、その対比において銀皮と縞模様は盛り付けてとても美しくはえます。この写真は、僕が、千葉県酒造組合30周年記念誌「千葉の酒」(鈴木久仁直著・千葉県酒造組合編)の編集制作の仕事をしたとき、友人のカメラマン伊藤輝和さんが撮影し、姉の和子が器や小物をコーディネートし、料理は、幕張プリンスホテル和食部料理長の遠山勇さんの調理盛り付けで、四季の肴と酒をテーマにしたグラビアの夏編で使用したものです。たたきも大好きだが、初夏は、刺し身がことのほかおいしい。5月は週に3回はカツオを食べます。

 味探検取材中に本庄で出合った、有機農法や有機無農薬農産品を使ったソースや、お醤油・お味噌の醸造品、豆腐など、本物の安全でおいしいピカイチの食品を作り上げるオーガニックな人々を東京新聞の記事で取り上げてきました。中山道の本庄という地が、オーガニックの人々をなぜこんなにも醸成させてきたのでしょうか。単なる偶然とは思えません。

 僕は2つの仮説をとりあえず考えてみました。

☆水運と街道という歴史地理文化的風土

 1つは、歴史的地理的な風土によるものです。つまり、関東平野を地図で広げてみてください。

 利根川が中央を走り三角形の扇状地の形をしているのがわかります。埼玉県北部から群馬県南部が、その扇の要の部分になっていて、地名を見ると、高崎、前橋、本庄、伊勢崎の名前が目に入るだろう。利根川が烏川とわかれる二股の部分がちょうど本庄にあたる。熊谷や深谷よりも利根川に近く、近世から明治の初めまでは中山道の陸送と、利根川の海上交通の要地として、現在からは想像もつかないほど栄えたところなのだ。

 陸上交通の上では、日本橋を基点に、東海道から厚木街道(大山道)、絹街道、甲州街道をたどって、首都圏をぐるっと中山道を本庄まで来てみると、ああそうかと、すぐ気付いた。

 要するに、横浜⇔上州の絹の生産地と近代の貿易港を結ぶ絹街道の要地でもあったのだ。本庄から倉賀野方向に行くとすぐに神流川を渡るが、新町宿から神流川沿いに群馬県鬼石町から万場町上野村を通って十国峠を越えて信州佐久にぬける十石街道、藤岡から下仁田から和美峠を通って軽井沢に抜ける下仁田街道は、絹や米や塩を運ぶ、中山道の脇街道として、現在は、それぞれ過疎の村となっている街道沿いのムラムラは往時栄えた宿であった。水路と陸上交通路の交差点が本庄であり、山のひだひだをぬけていくつもの峠によって、信州や甲州へとつながり、小川町や狭山、所沢から府中から鎌倉へとつながる中世の鎌倉街道の道に、多摩丘陵鑓水峠越え町田、横浜に抜ける横浜道、通称絹街道が、遠くヨーロッパともつながっていた。この交通の要地が、富を蓄積し、埼玉県北部の人的文化的な財産を残してきたのである。

☆水と農と人の環境的要因

 二つ目の要因として、食の生産を支える水と農を支えてきた環境である。この地理的経済的要因に、食供給地、農業生産地として非常に重要な豊富な「水」と「人」の存在も忘れることができない。

 有機無農薬農業を支える農業生産者の1人、本庄市の瀬山農園を訪ねた時におもった。農園主の瀬山明さんに案内されて瀬山農園の畑の土を踏んだ時の、足首までふわっと潜る感触、「土づくりが1番大切なんです」という瀬山さんの一言にすべてが凝縮されているような気がした。上信越、秩父の山塊から大地に染みこみ、湧き出す湧き水や地下水の汚れのない水を利用して、有機無農薬の産物を加工して作った豆腐や納豆の味は、食べてみれば、一目瞭然。大豆のしっかりとした香りと味は、素材に対するしっかりとした考え方、農をする哲学や、食を作るときの哲学を持ち合わせた人々によってのみ生み出されるのだ。

 そして、本庄の地にそだった農と食のネットワークは、その消費者をもまきこんで、いく。

 「埼玉県北部や、群馬県の山沿いの土地は、米には向かなかった。その代わり、養蚕農家として、桑畑とお蚕さんとの長い付き合いが、水と土を仲立ちとして生物たちへの人の敬いこころを自然に育ててきたような気がします。」と、いう言葉を聞いたときなるほどなあ、とおもった。

 そして、この周辺は、「お蚕さんを育てるということは、クワノハに農薬がかかっていてはいけないので、桑畑周辺の野菜栽培にも農薬は使わないというのが一般的になっているんですよ。」と、埼玉県北部から群馬県南部の各地の山間の里に有機無農薬栽培農家が多く存在することの理由の1つかもしれませんとも話してくれた。

 このテーマは、深く追いかけてみる価値があるとおもった。偶然とはいえ、街道歩きという味探検の手法が、食の原点を支える人とのめぐりあいを演出してくれたような気がしてならない。

2002年5月12日

編集長“MANA”


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