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Notes 糀・麹その2 江戸の町の甘酒売り

甘酒は夏の飲みものだった

 ホームページの味の索引カットに「甘酒売り」の図像を引用した意図はとくにない。たまたま、神田明神脇の「天野屋」を取材して、糀づくりと甘酒について、江戸時代は、どんな売り方をしていたのかを調べていて、この図を見つけた。

 江戸の水事情 

 甘酒は、現代では冬のものと思われがちだが、俳句の季語も夏、江戸時代の暑い夏のカロリー補給や、水分を摂取するための飲み物であったという。玉川上水や神田上水、千川上水など上水、つまり水道は整備されていたが、下町や、一般庶民の家庭で飲み水は今のように自由に使える地域は限られていて、共同の井戸すらない地区もあった。夏の江戸の町を描いた図には、よく水売り屋が登場する。天秤棒に水の桶を前後に下げ「ひゃっこい〜ひゃっこい」の売り声で売り歩いたという。

 

  ぬるま湯を辻々で売る暑い事(「俳風柳多留」13篇16−岩波文庫版(二)197頁)

 

 実際には、売り声とは裏腹に、井戸水をくみ上げたときは冷たくても、路上で販売しているときには、この川柳にある状態であったことは想像できる。

 冷水に甘味を入れたり、白玉入りのものもあったが、日常の飲み水代わりには、ナマの水を避けて、枇杷の葉を煎じ熱いものや冷ました枇杷葉湯(びわようとう)、麦湯(麦茶)が飲まれたりしていた。

 水売りのことについては、別にまとめることとして、甘酒に話を移そう。このような夏の水事情もあり、安全な水がわりに夏の水分補給、糖分補給として、この甘酒が飲まれたのが、実際のことであったろう。

 宮中でも夏になると甘酒を楽しんだ

 甘酒は、米粥に糀を加えて80度前後で半日〜1日保温してつくるものだから、自然の甘味を楽しむ。古代中国の王朝では、「醴」(レイ)とよぶ甘酒を作る専門の官職があったという。日本にも、こうした中国の水や氷や甘酒についての制度が、官職制度とともにほとんどそのまま導入された。この制度のひとつとして、古代日本の宮中では、旧暦で夏の始まりとなる4月1日に、中近世になると6月1日に、冬蓄えておいた氷を切り出して食べたり、醴=甘酒を飲むのが儀礼行事となっていた。

 醴はヒトヨザケともコザケとも呼んだ。まあ、正月に歯固めの儀式のように、1年健やかにありますようにという願いをこめるのと同じように、古い日本の夏というのは、ハヤリ病によって亡くなる人がおおかったわけで、夏を迎えるまえに薬膳のひとつとして発酵食であった甘酒を口にしたのであろう。米と糀のみによって作られる甘酒は、五穀豊穣をいのる象徴的な食品と考えられていたのかもしれない。

 江戸の町々を売り歩いた甘酒売り

 江戸の町々には、四季折々、季節の食べ物や飲み物、遊び具や暮しの小道具を売り歩く人々がたくさんいた。その売り声で、一日の時間や、季節の移り具合を感じることができたろう。

 江戸の町並みや庶民の暮し、食べ物などを絵入りで関西と江戸トを比較しながら書いている岩波文庫版・「守貞漫稿」(もりさだまんこう)=『近世風俗志』(一)の、277頁以降に、「夏月専ら売り巡るものは」として、トップに「甘酒売り」をあげている。

 

『近世風俗志』(一)喜田川守貞著、岩波文庫版277頁より

右箱の上側に「京坂甘酒うり」とある。

左上釜の蓋についての注釈に「江戸真鍮釜のものは釜筥上に出づ」とある。

 「 夏月専ら売り巡るものは、
 甘酒売り
  醴(あまざけ)売りなり。京坂は専ら夏夜のみこれを売る。専ら六文を一碗の価とす。江戸は四時ともにこれを売り、一碗価八文とす。けだしその扮相似たり。ただ江戸は真鍮釜を用ひ、あるひは鉄釜をも用ふ。鉄釜のものは、京坂と同じく宮中にあり。京坂必ず鉄釜を用ゆ。
 故に釜皆宮中にあり。
  『塵塚談』に云ふ、醴売りは冬の物なりと思ひけるに、近比は四季ともに商ふことになれり。我等三十歳比までは、寒冬の夜のみ売り巡りけり。今は暑中往来を売りありき、かへつて夜は売る者少なし。浅草本願寺前の甘酒店は古きものにて、四季にうりける。その外に四季に商ふ所、江戸中に四、五軒もありしならん。」

 天野屋の地下で見た甘酒づくりの第一段階の糀発酵作業を見学させてもらって、こんなにも甘酒がおくが深いのかに目覚めてしまった。調べれば調べるほど、甘酒が、日本の食文化の中で、甘さの伴う発酵食品には欠かせない食べ物であり飲み物の原点に近い位置付けができるものであることがわかった。枕草子の「あてなるもの」(39段)や源氏物語の「常夏」の段に登場する、夏の「削氷と甘葛」(ケズリヒとアマズラ)の記述など、甘味の原点にあると思うが、これに甘酒も加えて「日本人と甘味」考を整理してみるのも面白いかもしれない。

 

○6月1日ってなんの日?

○糀が作り出す甘さと香りの秘密―べったらづけ(べったら市)、あんぱん(木村屋のあんぱん誕生には糀が不可欠だった。日本でヨーロッパスタイルのパンが導入されるときに一番のポイントは発酵を促すイーストにかわる菌をどうするかだった。麦酒酵母。酒種。)、酒饅頭製造に天野屋の酵母ではかえって皮には甘味が勝ちすぎるという意見も聞いたことがある(この人の感覚もすごいですね)。甘酒原料にテキした糀と酒饅頭製造のポイント酒種に適した糀とはどこが違うのか。酒饅頭っくいとしてはいつかは追及せずばなるまい。

○中華辛味食材の市販の豆板醤=トウバンジャンに甘酒を加えて再発酵させてみた(中国の蒸しもち米と糀の発酵調味料「酒醸」チューニャンと甘酒は同じものか、違うとすればどの段階の違いなのか?)

○日本人と甘味について―アマズラと甘酒から砂糖につながるもの

などのテーマあり。以下またの機会に記す。

 いずれにしろ、甘味研究のばあいには砂糖より歴史の古さがあるコメや澱粉発酵とのかかわりにポイントを置いてみる必要がありそうだ。

―M.N.―

 糀の話1 本郷・神田周辺の糀作り

 

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