真名真魚字典

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和名・一次名称・俗称別引用文献・参考文献引用文中の古書名注引用文中の人名注編者凡例

【箋注倭名類聚抄】抄訳||魚字尽成立関連年表||狩谷エキ斎著『和名抄引書』

|||あ行か行さ行た行な行は行ま行や行ら・わ行

 

古書名・引用文献注

――主に「箋注倭名類聚抄」を読むための確認用に作成した。五十音順に、引用文中の中国(漢籍)・日本(和書)の經・史・集・地理書等、小学・古辞書・本草書等原典について著者・編 撰者・内容・刊記等書誌及び箋注和訳に使用している原典テキストを注記した。整理にあたっては、一般的に知られているという意味で、『和漢三才図会 7』平凡社・東洋文庫471(島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳訳注)の「書名注」(429ページ〜)、『本朝食鑑 4』平凡社・東洋文庫378(島田勇雄訳注)の「解説 食物儀礼史における「魚類」」(379ページ〜)、『世界大博物図鑑 2[魚類]』平凡社・荒俣宏著の「索引」から「博物学関係書名」(475ページ〜)、「博物学関係人名」(483ページ〜)、『広辞苑』、『漢語林』 『学研新漢和大字典』などを使用し、 『漢籍解題』(桂湖邨著。1906年)、及びネットの関連サイト(図書館・私設文庫のデータベース及び電子ライブラリー)を活用させていただいた。また、早稲田大学古典籍データベース中には、箋注における引用書目をエキ齊自らが整理した「和名抄引書」(エキ齊自筆の「箋注」執筆に使用したとおもわれる引用文献と項目分類)や、「エキ齊書入[和名類聚鈔]」が公開されており、 参考にさせていただいた。 項目にあげた書名に引用した【エキ齊「和名抄引書」】については、倭名類聚抄に載る語を割注で書き出しており(すべてではないが)、それらを含めて引用した。その際に、割注の和名抄掲載語の訓みを、森立之著【箋注和名類聚鈔訓纂】 (イロハ順)から(小字)で書き入れた。また、和名抄文中の引用書には、既に江戸時代までにすでに亡佚した古典籍が多く含まれており、著者、書名、内容記述を確認し、略記から直す場合には、上記エキ齊自筆の「和名抄引書」および、『本邦残存典籍による輯佚資料集成』(新美寛編/鈴木隆一補。発行者:京都大学人文科学研究所。発行:昭和43・1968年)〔以下略す場合は「輯佚資料修正」〕、およびエキ齊が共著者となった『経籍訪古志』(「解題叢書」版、大正5・1916年刊)等を適宜参照した。適宜増補修正していく。常に未定稿。 書名文献記事中の【箋注記載項】は、「箋注」の中で、鈔本文で、引用している項目(例:〔12〕鰹魚)を揚げ箋注訳注頁にリンクさせた。また、同事項中に、〔38▲〕[制]あるいは〔38〕[制](▲)のように、▲印あるものは、抄本文の記載はなく、エキ齊箋注により引用されている書名文献名であることを示す。 【中】:中国成立発行文献資料。とくに記さないものは、邦書である。

リンクと略称早稲田大学古典籍データベース(略/WDB) :○「和名抄引書」(エキ齊自筆の「箋注」執筆に使用したとおもわれる引用文献と項目分類 :略「エキ斎引書」):○「エキ齊書入[和名類聚鈔]」 (略/エキ斎書入和名抄):○東京大学東洋文化研究所「全文影像資料庫(全文画像データベース)」(略/TDB) :○京都大学東方學デジタル圖書館(略/KTDB):○京都大学電子図書館貴重書資料画像(略/KKDB) :○国会図書館(略「NDL」)近代デジタルライブラリー(略「NDLKDL」)○そのほか当サイトで利用させていただいている、公開されているデータベース、原典画像の都府県別の所在については、「電子テキスト・DB一覧

 

あ行か行さ行た行な行は行ま行や行ら・わ行

【あ行】

○『アイ嚢鈔』『壒嚢鈔』アイノウショウ……仏教を主とした和漢の故事、国字・漢字の意義・起源などを解説した書(広辞苑)。百科事典的な類書(日本辞書辞典)。観勝寺の僧・行誉の撰。1446年(文安3)跋文。15巻刊本(正保3、三条通菱屋町ふ屋林甚右衛門)を、京都大学電子図書館貴重資料画像(KLDB)で全文読むことができる。

  ――【箋注倭名類聚抄】記載項:〔26〕[亶]魚(▲:土長 )。

○『醫心方』イシンホウ……「医心方」丹波康頼撰になる医書。30巻。984年成立。内容は、隋の巣元方による「病源侯論」を元にしている。 テキストは「日本古典全集刊行会版(1935年)」(第30巻他)及び、「醫心方 食養篇」(訳注粟島行春。東洋医学薬学古典研究会)巻末影印(巻第三十・安政版)を使用し た。また、茨城大学真柳研究室HPに含まれる、「丹波康頼『医心方』巻30(半井本・安政版諸本)受講生発表レポート」より、「2004年度鶉〜」の魚介該当部を参照させてもらっている。とてもありがたいページである。

  ――【箋注掲載項目】〔17〕鯛〔27〕鰕〔43〕[生]〔48〕鱸〔57〕鮎

出雲国風土記』イズモノクニノフドキ……『出雲國風土記』。古代出雲国の沿革、寺社、山川池沼の名称由来、物産などの地誌、風俗を記した「風土記」のなかで、佚文のない完備された唯一の風土記。一巻。天平五年(733)成立。岩波『日本古典大系』第2巻『風土記 出雲国風土記』(秋本吉郎校訂)を利用する。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布])。

一代要記』イチダイヨウキ……(1)(「ウィキペディア(Wikipedia)」より)年代記の一つ。著者不詳。後宇多天皇の時に成立し、鎌倉時代末から南北朝時代初期まで書き継がれた。水戸徳川家による『大日本史』の史料探索中、延宝年間に金沢文庫本を発見し、10冊に書写して世間に流布した。春夏秋冬の全4冊から成り(流布本は10巻)、その内訳は春冊が神代〜醍醐天皇、夏冊が朱雀天皇〜高倉天皇、秋冊が安徳天皇〜後嵯峨天皇、冬冊が後深草天皇〜花園天皇となっているが、中間及び尾部を欠くため最後は明らかではない。内容は書名のとおり、各天皇ごとに諡号あるいは追号を掲げて、略歴や在位中の出来事の摘要を編年体で記し、さらに上皇・皇太子・後宮・斎宮・摂関・大臣・大納言・参議・蔵人頭・皇子女などの各項を設けて、該当者の人名を記している。(2)井上頼圀等編 『己亥叢説』(きがいそうせつ)上の巻「典籍雑攷」に「一代要記」を解説して(一部読み下す)「歴朝要紀の凡例に、一代要記、作者知らず、上は神武天皇より、下は花園天皇に至り、止めたり、その在位の間の大事必記を注せり、その詳体は、日暦の如きにして、皇后及び妃嬪皇子皇女の多寡に係わること、三公九卿補任年月を記す、前朝事を考ん欲するものをして捜索の便あらしめる、≠ニ云へるが如く、所謂る大事記の詳悉なるものなり。…中略…世間流布の本は、…中略…允恭天皇の記(水戸本以下の諸本同)より始れり、云々」と書いている。さらに、「季連宿禰記」の元禄八年八月八日の条に、十冊を写本する経緯にふれて、(読み下す)「一代要記は、金沢寶蔵所より出る所のものなり、此の記奥端断絶せり、仍て外題のしかるべきを知らずして、水戸中納言光圀卿、写せしめ給いしとき、彼の卿、一代要記と名づけられし、之の由或る人語るところなりしも、その実非を知らず。≠ニ見えたる如く、一代要記の名は、蓋し、光圀卿の命ぜられしなるべし。」とも書いている。テキストは、(1)京都大学附属図書館所蔵 平松文庫 『一代要記』 (京都大学電子図書館)、及び(2)東京大学史料編纂所データベースより「【書目ID】00058963一代要記
が公開されており、いずれも10冊流布本の写本を閲覧することができる。

  ――【箋注掲載項目】抄本文序:箋注

一切経音義』イッサイキョウオンギ……【中】経・律・論の三蔵及びその注釈を含めた仏教聖典の総称が「一切経」(又、大蔵経)であり、そこに収められている経典の音義と意味を解説した書であり、字書として後世、経典解釈のほかの言語解釈、研究に利用されてきた。(1)唐の玄応撰、25巻。「玄応音義」「大蔵経音義」とよばれる。→玄応一切経音義(ゲンノウイッサイキョウオンギ)(2)唐の慧琳撰、100巻 。大般若経以下1220部を釈した従来の音義の集大成の書。「慧琳音義」とよばれる。 電子テキストとしては「中華電子佛典協會(CBETA)」(大正新脩大藏經 第五十四冊 No. 2128《一切經音義》CBETA 電子佛典 V1.85 普及版)(引用略記「中電CBETA」)によって読 める。影印版は「一切經音義二十五卷、唐釋玄應撰、C莊炘同校、C錢坫同校、C孫星衍同校、海山仙館叢書本影印、新文豐出版公司刊本(中華民国69・1980年3月再版)」を手元に置き使用。

  ――【箋注記載項】〔2〕虯龍)。 〔6〕鯨鯢)。

異物志』イブツシ……【中】地理書。後漢・楊孚撰とされるが亡佚して伝書なし。「異物志」(イブツシ)、「南州異物志」(ナンシュウイブツシ:呉・萬震撰)、「臨海異物志」(リンカイイブツシ)などの書名が引用書として登場するが、前二書を同系書とし、後書を「臨海水土異物志」として略称して載せているかよくわからない。要検討。三書とも亡佚書。「新美篇・輯佚資料」地理類に、「異物志:後漢・楊孚撰」、エキ齊「和名抄引書」には「南州異物志[隋志]{地理}異物志一巻{後漢議郎楊孚撰}南州異物志一巻{呉’丹楊太守萬震撰}[旧志]南州異物志一巻{萬震撰}[新志]萬震南州異物志一巻。」及び「臨海異物志」(リンカイイブツシ)を載せる。「輯佚資料」には、「南方異物志」(ナンポウイブツシ:房千里撰) を載せる。ほかに、「玄應音義」に引用される「薜翊異物志」(〔31〕[番]魚)(ハンショウ:イブツシ)が箋注で引用されている。

○『色葉字類抄伊呂波字類抄』イロハジルイショウ……(1)「色葉字類抄」:橘忠兼編になるイロハ引き辞書。天養年間(1144〜1145)ごろから治承年間(1177〜1181)にいたる間に増補を加えて成立。原本(稿本)は二巻であったものを、著者が増補して3巻本となる。(2)「伊呂波字類抄」:10巻本。編者は未詳。「色葉字類抄」3巻本を増補したもので、「三巻本成立からあまり時を隔てず、鎌倉初期には成立したであろう」(国語学研究辞典)とされる。伴信友校合本の複製が「日本古典全集第三期」に収められ、その解題を山田孝雄が書く。成立について「寿永二年〔1183〕八月藤原俊経の勘文を載せたるを以て信友はその後の増補なるべしといへるはもとよりさることなれど、これよりはなほ後なる増補によりて十巻となりしなるべし。」とある。

  ――【箋注記載項】〔50〕鱒(▲)。〔52〕鯰(▲)。〔53〕[頤−頁]

魚鑑』ウオカガミ……上下二巻。武井周作著。天保2(1831)年。東都(江戸)、呑海楼蔵板。一勇斎国芳挿画。本文頭に、「魚かゞみ」とある。国会図書館蔵本(YD-古-2679:請求記号 特7-303)より複写を使用。

慧琳音義』(「慧琳一切経音義」)エリンオンギ(エリンイッサイキョウオンギ)→「イッサイキョウオンギ(一切経音義)

淮南子』(エナンジ)……【中】淮南王(わいなんおう)の劉安(紀元前179〜前122年)の篇になる書で「鴻烈」とも称され、21巻が伝存する。西漢武帝のころ作成されたとされる。秦代以前の諸家(儒・兵・法など)の思想学説を総合的に記す。許慎・注(「鴻烈間詁」)、高誘・注(「鴻烈解」)、馬融らによる注がある。 箋注訳注にあたっては、(1)京大附図蔵(近衛文庫)『淮南鴻烈解』(えなんこうれつかい)20巻・序、目録1巻:(漢)劉安撰・高誘注・(明)茅一桂訂:明刊(万暦8年)12冊:略(KLDB)。(2)訳注書:明治書院『新釈漢文大系』『淮南子』(上中下、1979〜1988年):略(『新釈漢文大系 淮南子』上中下)等を原文テキストとして使用した。【エキ齊「和名抄引書」】(1)淮南子{池 肉 魂’神 遠射 築墻 ○鶉 生益 ○化}/[漢志]{雑}淮南内二十一篇{王安}淮南外三十三篇{師古曰内篇論道外篇雑説}[旧志]淮南商詁{二十一巻劉安撰}[新志]淮南子二十一巻{淮南王劉安}〔改頁〕(2)淮南子注{霤 獨梁{少異} ○鯨鯢{不云注}}/[隋志]{雑}淮南子二十一巻{高誘注}[旧志]淮南子注解{二十一巻□□撰}淮南鴻烈音{二巻高誘撰}[新志]{下}高誘注淮南子二十一巻{上}許慎注淮南子二十一巻 〔頭注〕○淮南子二十一巻{漢淮南王劉安撰許慎注}……下・上は記述行の入れ替えのシルシ。 〔改頁〕(3)淮南子許慎注{池 靨 魂神}/[隋志]{雑}淮南子二十一巻{漢淮南王劉安撰許慎注} 〔頭注〕○。

  ――【箋注記載項】〔2〕虯龍)。〔4〕蛟)。〔6〕鯨鯢

○『延喜式』エンギシキ……律令(りつりょう)及び格(きゃく)に定められた詔勅や官符などの施行細則を記した書を「式」とよぶ。『弘仁式』(弘仁11年・820年奏進)、『貞観式』(貞観13年・871年)の後に編纂された『延喜式』は、延喜5年・905年勅を受けて編纂が始まり、藤原時平・藤原忠平らにより、延長5年・927年完成、施行された。前二式は、亡失し伝わらず、延喜式が現在まで完本として伝わる。50巻。延喜以前に定められた儀式作法、規定禁令などを洩らさず収め、巻1〜10は「神祇」、巻11〜49は太政官・八省およびその管轄となる部署に関する規定で、神社、風俗、産業、服飾、器具などに関して記されている。巻24の「主計省」上には、全国への庸、調、中男作物の割り当てなどが記され、当時全国の農産物、漁獲物、特産物のようすを知ることができる。エキ齊「和名抄引書」においては、次の関係書が掲載されている。 【エキ齊「和名抄引書」】@「本朝令」{褶 肴 [膾(會→肅)] ○[脣(辰→要)]鼓 ○海藻}、A本朝令義解{癲狂}、B本朝格{[竹/軍][竹/侯] 新罹’琴 莫牟}、C延喜式{白田}、D本朝式{潜女 六射 皮 競馬 ○錦 調布 商布 …中略… ○鰹魚 [乞]魚 [宣]魚 白貝 海鼠’}、E功程式{杣 長押 東柱 …後略}〔頭注〕○

  ――【箋注記載項】巻4飲食魚鳥「氷頭」(→真名真魚字典・鮭6画に記す)。|〔12〕鰹魚)。〔13〕[乞]魚)。〔15〕[宣]魚〔34〕鰯〔43〕[生]

開寳本草』 :『開宝本草』カイホウホンゾウ……【中】宋代に時の政府命により『新修本草』を増補・加注し、973年刊こうした本草書。「新修本草」(しんしゅうほんぞう)、「神農本草経」(しんのうほんぞうけい)を見よ。 又、『本草綱目』中には「宋海寶」として引用されている。

 ――【箋注掲載項目】〔51〕[免](▲)。〔56〕[厥]魚(▲)。

河海抄』カカイショウ……源氏物語の注釈書。20巻。四辻善成(1326〜1402)著。1367年稿本を将軍足利義詮に撰進。原典写本画像は、@早稲田大学古典籍データベース:左中将雅敦天正3年写の写本(書写年不詳)(于岫,大炊御門蔵書,白楳窓主大炊御門家旧蔵本)、A阪本龍文文庫善本電子画像「古写本の部」「河海抄」(二〇巻。二〇冊。川瀬一馬氏は、室町初期の写とする。巻末に永和二年(1376)十一月から五年(1379)三月まで、四辻家から借りだして書写したという元奥書を持つ、いわゆる「中書本(成稿本以前の形態のもの)」系統の古写本。)の公開画像がある。「あゆ」「いしふし」「氷」の項で参考にした。【箋注記載項】〔53〕[頤−頁]

漢語抄』カンゴショウ→「楊氏漢語抄」 (ようしかんごしょう)

雁山志』(がんざんし・がんさんし)……【中】「鴈山志」も同じ。現在の浙江省の地理書。「明史芸文志」:朱諌雁山志四巻。物産編に魚介産品を記す。同書を再編集し清代に刊行した書が「広雁蕩山志」(こうがんとうさんし)會唯(そうゆい)撰。30巻。乾隆55年(1790)巻を贈呈した嘉慶13年(1808)刊本が、早稲田大学古典籍データベースで閲覧ができる。巻十二巻「物産」「魚」に「香魚」「石門鯉」「斑魚」「牡蠣」等が載る。【箋注記載項】〔57〕鮎

顔氏家訓』ガンシカクン……【中】中国・南北朝時代北斉の顔之推(ガンシスイ)の著書、 7巻(明の2巻本もあり)。家訓、つまり子々孫々に対する訓戒の書であり、道徳・学問・教養・処世の法などについて述べている 。成立は、隋の仁寿中(601年〜604年)。(漢語林・ウィキペディア)。 【箋注倭名類聚抄】「漿(ツクリミツ・ニオモヒ)」(四巻三十八ウ)、[亶]魚(八巻十二ウ)で引用される:顔氏家訓、一編「書証篇」。

漢書』カンジョ……『前漢書』(ゼンカンジョ)ともいう……【中】120巻。後漢の班古(32〜92) の著。78年ごろ成立。前漢の高祖から王莽(オウモウ)滅亡までの231年間の歴史を記した正史。二十四史の一つ。【学研新漢和大字典】……使用テキストは、「早稲田大学古典籍データベース」(WKLDB):【漢書】順治13・1656年、汲古閣版(20冊)。

【エキ齊「和名抄引書」】

漢書{大風 羣盗 ○鼻…中略…雀 ○松}

 [隋志]{正}漢書一百十五巻{漢護軍班固撰、太山太守応劭集解。}[旧志]漢書一百十五巻{班固作。}[新志]{正}班固漢書一百十五巻

漢書注{仍孫○頬 鼻 黒子 …中略…○蚯蚓…以下略}

 [新志]{正}晋灼漢書集注十四巻。顔師古注漢書一百二十巻

漢書音義{瘃 [疱(包→只)] 家 壁帯 銭…以下略}(○)

 [隋志]{正}漢書集解音義二十四巻{応劭撰}。漢書音訓一巻{服虔撰}。漢書音義七巻{韋昭撰}。漢書音二巻{梁尋陽太守劉顕撰}。漢書音二巻{夏侯詠撰}。漢書音義十二巻{国子博士蕭該撰}。漢書音十二巻{廃太子勇命包〓等撰}。[旧志]{漢書}漢書音訓一巻{服虔撰}。漢書集解音義二十四巻{応劭撰}。漢書音義九巻{孟康撰}。漢書音義七巻{韋昭撰}。漢書音義二十六巻{劉嗣等撰}。漢書音二巻{夏侯泳撰}。又十二巻{包〓撰}。又十二巻{蕭該撰}。[現在]

  ――【箋注掲載項目】〔20〕王餘魚(▲)。

○『漢書』「芸文志」カンジョ、ゲイモンシ……「芸文志」は、その時代に存在する古今の書物の分類目録のこと。多く正史の篇名として用いられ(【学研新漢和】)、漢書においては、「巻三十、芸文志第十」に載る。その内容は、冒頭の叙文を整理して、「中國經典電子版工程」のテキスト版を引用すると、

(1)六藝類(9類):@易、A書、B詩、C禮、D樂、E春秋、F論語、G孝經、H小學、
(2)諸子類(10類):@儒、A道、B陰陽、C法、D名、E墨、F縱、G雑、H農、I小説、
(3)詩賦類(5類):@屈原賦、A陸賈賦、B孫卿賦、C雜賦、D歌詩、
(4)兵書類(4類):@兵權謀、A兵形勢、B陰陽、C兵技巧、
(5)數術類(6類):@天文、A暦譜、B五行、C蓍龜。D雜占、E形法
(6)方技類(4類):@醫經、A經方、B房中、C神仙

 となる。

広東新語』カントンシンゴ……【中】屈大均著。屈大均(くつだいきん・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)(1630〜1695)は、明代広東に生まれ、清朝に抗して山にこもりレジスタンスを起こした異色の僧侶であり詩人学者。広東地方の歴史地理風土、食習慣や生物誌や奇談を多く載せた「広東新語」は、江戸時代、訓点尽き刊本が何種類も出版され、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」中にも多く引用され、箋注にも閩書、閩中海錯疏、南方地理書などとともに中国海産物についての考証資料として登場する。魚介に関しては、第22巻、第23巻の鱗・介・蟲篇に含まれる。早稲田大学古典籍データベース(WLDB)に、康煕39年(1700)刊本(12冊)が公開されている。

  ――【箋注記載項】〔63〕細魚)。

干禄字書』カンロクジショ……【中】中国古字書。中国唐代・7世紀から8世紀にかけての学者・顔元孫が著した、漢字の楷書の字体を整理し、標準字形を提示した字書。約800字の漢字について、異体字を整理し、正・通・俗(あるいは正・通のみ)の3(あるいは2)種類に分類している。原文テキスト読解のための異体字研究には欠かせぬ字書である。書名の「干禄」も『論語』為政篇「子張、禄を干むるを学ぶ」に由来し、官に仕えることを意味する。すなわち、科挙の答案に用いるのにふさわしい字形について、標準を示すことで、採点基準が明確化されることを期待し(ただし本書は官撰ではなく私撰の書である)、もって正字の規範意識を広めることが目的であった。また顔元孫の祖父の兄でやはり高名な学者であった顔師古が著した『顔氏字様』は干禄字書の先駆となるもので、約600字について正俗の字形を判定した字書である(現在は散佚)が、干禄字書でもこの祖先の労作が参考とされており、『顔氏家訓』で知られる顔之推以来の顔氏一族の字体標準確立に向けた執念も感じられる。(「ウィキペディア―フリー百貨事典」の「干禄字書」より抜粋)

  利用できる公開された電子ライブラリーは、(1)国会図書館「近代デジタルライブラリー」2巻本(顔元孫編,顔真卿書:東京:柳心堂・明治13年発行……ただし公開されたデータが「上」「下」刊が逆になっているので要注意)(2)早稲田大学「古典籍データベース」中に「文化14(1817)年江戸・和泉屋金右エ門」版他4冊があ り公開されている。

  ――【箋注記載項】〔1〕龍)。〔11〕鮪。 〔125〕

○『魏武四時食制』ギブシジショセイ→『四時食制経』(シジショクセイケイ)

玉篇』ギョクヘン……【中】南朝・梁の顧野王(519〜583)撰の字書。30巻。「説文解字」を敷衍したした書で、、唐、宋に重修されてきた。倭名類聚鈔では、「野王案」として多く引用される。また、倭玉篇の元となった字書であり、 わが国中世近世字書 (古辞書)のなかでも重視された。 利用テキストは、「東京大学東洋文化研究所蔵」「漢籍善本全文影像資料庫」「大廣益會玉篇三十卷(廣韻五卷) 」「宋本玉篇」。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布])。〔13〕[乞]魚〔44〕鯉魚〔51〕[免])。〔56〕[厥]魚(▲)。

儀禮』(「儀礼」)ギライ……【中】三礼(「周礼」「儀礼」「礼記」)の一。諸侯(諸大名)が従うべき冠婚葬祭・朝覲(ちょうかん)・聘問(へいもん)などの儀式・法制を記した書。周公旦の撰とされ、17篇ある。このうち、飲食に関する公の宴会や接待などについて記される「郷飲酒禮」「公食大夫禮」などが本サイトで引用されている。

欽定古今図書集成』キンテイココントショシュウセイ……【中】國立故宮博物院・東呉大學開設サイト「數位古今圖書集成資料:古今図書集成テクスト版」1万巻。清の蒋廷錫等勅を報じて撰した類書。雍正三年(1726)完成。内容は、「暦象」「方輿」「明倫」「博物」「理学」「経済」の六彙編からなり、各彙編を典・部にわけ、合せて32典・6109部で構成し、合計1万1628冊に及ぶ。また、それぞれのセクションごとに巻で編まれており、「彙考」「総論」「芸文」「選句」「紀事」「雑録」「外編」にわけ載せている。真名真魚字典においては、その主関心事項である「博物彙編」から多くを参照した。ただ、各項目の引用をする場合は、原則、その本となった原本が確認可能な場合は、そちらのテキストを使用し、上記サイトのテキストデータを参照しながら引用掲載した。どうしても、原本を得られない場合は、同書から引用した。「博物彙編」のうち、魚介水生生物たちが載る「禽蟲典」及び「神異編」が中心となり、百二十七巻龍部彙考以降に載る。

訓纂篇』クンサンヘン……【中】漢代、楊雄(ようゆう:字「子雲」:前58〜後18)が撰じた字書。説文序に「黄門侍郎揚雄、采以作訓纂篇。凡倉頡以下十四篇、凡五千三百四十字、群書所載、略存之矣。 」とある。「蒼頡篇」を見よ。【箋注記載項】〔26〕[亶]

○『経籍訪古志』ケイセキホウコシ……

経典釈文』ケイテンシャクモン・ケイデンシャモン……三十巻。唐の陸徳明撰著。漢魏代の二百三十家より音切を採り、諸儒の訓詁を載せ、諸本の異同を証するゆえに「経典釈文」と名づける。「周易1巻」「毛詩三巻」「儀礼1巻」「礼記4巻」「春秋左氏伝6巻」「論語1巻」「老子1巻」「荘子3巻」「爾雅2巻」等で構成されている。音読・校訂資料として箋注においても多く引用され、陸氏「釈文」と略してのる。清の盧文〔経典釈文考証〕三十巻あり。

  ――【箋注掲載項目】〔11〕鮪(▲)。

玄応一切経音義』(「玄応音義」)ゲンノウイッサイキョウオンギ(ゲンノウオンギ)……【中】唐代の僧であった玄応が、一切経のなかの字句を取り上げ、音注や義注を施したもので、一切経を読むための字書。7世紀中葉に成立した。25巻。日本にも早くから伝わり、漢和字書として利用され、『玉篇』(ギョクヘン)とともに、多くの文献に引用されている。――http://www.classics.jp/より「古典の写本(8)日本学分野―木田章義」より引用。 【箋注記載項】〔14〕鮫〔26〕[亶]

兼名苑』ケンメイエン……【中】唐の釋遠年撰とされる字書体の語彙集。亡失して伝わらない。本草和名、和名抄、類聚名義抄に多く引用される。エキ齊箋注倭名類聚抄巻1「明星」に、「唐書云」として「兼名苑十巻、釋遠年撰、新唐書芸文志は二十巻に作る、今伝本なし」と箋注されている。また、同巻に続けて「織女」の項、抄原文に「兼名苑注云」とあることから、兼名苑「正文」と兼名苑「注文」とがあることがしれる。 【エキ齊「和名抄引書」】兼名苑(頭注に○){〔巻一〕明星 長庚 織女 流星 彗星 天河 ……中略……○〔巻八〕[孚][布] 人魚 鮫 鱒 龜 尨蹄子 蚌蛤 紫貝 [虫+彭][虫+骨] 石蟹 蠎虵 ……以下略。}[旧志]{名家}兼名苑十巻。[新志]僧遠年兼名苑二十巻。[現在]ーーー十五{今案卅巻}。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布])。〔10〕人魚〔14〕鮫〔50〕鱒(▲)。

廣韻』コウイン(「広韻」)……【中】漢字の韻によって分類した字書(「韻書」いんしょ)の一。5巻。206韻に別ちて漢字を配列、音訓を示し注解した書。隋の陸法言らの撰になる「切韻」 を原本とし、唐の孫愐(ソンメン)の増補による韻書が「唐韻」。さらに、宋の陳彭年らが増補改定を加え「大宋重修廣韻」を編み、「廣韻」(広韻)は、その略称。さらに、廣韻に基づき勅撰の「集韻」10巻が編まれる。

   利用テキストは、「東京大学東洋文化研究所蔵」「漢籍善本全文影像資料庫」(81)「大廣益會玉篇三十卷(廣韻五卷)」「宋本 廣韻」(康煕四十三年序刊本)。

  ――【箋注記載項】〔6〕鯨鯢)。〔7〕[孚][布])。〔12〕鰹魚〔16〕鰩。 〔51〕[免](▲)。〔56〕[厥]魚(▲)。

広雅』『廣雅』コウガ……【中】魏の張揖(ちょう しゅう)(ちょうゆう)撰。「爾雅」の旧目(19類)にならい、「博(広)く」古典の注釈、三蒼、説文解字などをとり増広し(1万8150字:廣雅表)たため「廣雅」と名づけられたという。隋の煬帝の諱が「広」であり、これを避けて、書名を「博雅」(ハクガ)と改めたため、現在まで二つの書名が使われてきた。成立は230年頃(【学研新漢和大字典】)。現在は10巻。注解書として清 ・王念孫撰『広雅疏証』10巻がある。【エキ齊「和名抄引書」】(21丁裏)廣雅{湖 ○眼 眸 眦 牙…中略…網罟 …中略…○鷹…後略。}[隋志]廣雅三巻{魏博士張揖撰。梁有四巻。}廣雅音四巻{祕書学士曹憲撰。}[旧志]廣雅四巻{張揖撰}博雅十巻曹憲撰。[新志]張揖廣雅四巻又埤蒼三巻。 《頭注》○/鯉。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布])。〔44〕鯉魚

広雅疏証』コウガソショウ……王念孫(1744〜1832)撰十巻。 『広雅』の注解書。乾隆辛亥(56年:1791)段玉裁序記。第十巻下に曹憲撰「広雅音」を載せる。訳注釈に使用したテキストは、光緒5年淮南書局重刊本。『廣雅』(コウガ)参照。 箋注第八巻においては、書名を載せず「王念孫曰」として同書からの引用をしている。王念孫は、清代中期の考証学者。字は懐祖。「廣雅疏証」のほかに、「読書雑志」ほかを著す。王念孫らの清代考証学については、「訓詁学と語系:清代に考証学が起こり、漢唐の訓詁学は考証学によって精密な検証が加えられ、清代の小学が成立する。清代小学は、考証学の精華ともいわれ、その大成者は王念孫・引之父子である。〔経義述聞〕はこの二代の小学家の業績の、総括を示すものといってよい。王引之の序に「大人(念孫)曰く、訓詁の旨は聲に存す。字の聲同じく聲きは、經傳々にして假借す。學聲を以て義を求め、其の假借の字を破り、讀むに本字を以てせば、則ち渙然として冰釋せん」とあり、「声近ければ義近し」という原則を以て字の通仮を論じた。」(字通の世界より)のわかりやすい解説文を引用しておく。

  ――【箋注記載項】〔6〕鯨鯢)。〔7〕[孚][布])。〔26〕[亶])。〔44〕鯉魚)。〔45〕鮒)。

康煕字典』コウキジテン……【中】漢字字書、42巻。康煕55(1716)年刊。真名真魚字典の引用は一般の図書館で見ることのできる【標註訂正 康煕字典(渡辺温編・講談社版)】とした。魚部についてみると、ルビをふった訓みについては、省いた。……都立図書館・諸橋轍次蔵書本(清張玉書等奉勅編 清刊 40冊 殿版。諸橋文庫823-MW-2。)の解説が、

http://www.library.metro.tokyo.jp/17/004/17a00.html

  「中国清代、学術振興に力を入れた康煕帝の命により編纂された字書で、帳玉書らの手により1716年に完成した。4万7千余字を収め、部首の画数順により、同部首内も文字の画数順に配列されている。一字一字について字音・字義を示し、古典における用例を列挙するが、熟語は載せていない。この種の字書としてはもっとも完備されたものとされ、以後の漢字字典、日本の漢和辞典にも大きな影響を与えた。ただしわずか数年で完成させたためか誤りも多い。殿版とは武英殿版の略称で、当時北京の紫禁城内の武英殿で出版が行われたため、このように呼ばれる。清代の書家で詩人、説文・金石学に造詣の深かった何紹基の旧蔵本。日本における最も大規模な漢和辞典である『大漢和辞典』の編著で有名な漢学者諸橋徹次博士が所蔵されていたものである。諸橋氏の蔵書は戦時民間の蔵書を買い上げ疎開する事業の一つとして、当時の日比谷図書館に入った。」

 

  と載る。どの版を使ったらよいかということをわかりやすく解説している文章が、

 

  「≪親字を見るために使われた『康煕字典』≫
『康煕字典』は非常によく知られていて,よく使われている。『大漢和辞典』を作る際,一番基本になったものである。さらに,さまざまな種類のものが発行されている。〔中略〕1716年に本ができ上がり,清朝宮廷内の武英殿から出版された。その版のことを殿版という。しかし,今は『康煕字典』の殿版そのものは見ることができない。殿版はほとんど残っていない。/また,清朝の皇帝が作ったもので,国民が科挙(官吏登用試験)を受けるときにこの字形を基本にすることで,国家が広めたので版権がない。/私のような中国古典研究者にすれば,『康煕字典』同文書局版を使うのが当然である。王引之の校改本という最初の版を直したものもあるが,問題は文字の形というより,版面が違うことである。したがって,文字を同定するときに『康煕字典』を使うと言っても,『康煕字典』の何版を使うかによってページ数や文字の位置がずれる。/王引之は,もともとあった『康煕字典』から,2588項目について同定をした。中国の本の多くは,上部にマージンをたくさんとってあるが,これは読む人がメモや直しをするために空けてあるものである。後に,これらの内容を入れた形で出ているのが王引之の校改本である。/ 同文書局版は,王引之の校改本と比べ約50年で50万部と数多く出ている。戦前を含め,誰もが同文書局版を使い,『康煕字典』とは一般に同文書局版のことをいう。」 (東京学芸大学・松岡榮志教授) 

 で、 わかりやすい。出典は、「『康煕字典』と異体字」(JAGIE:(社)日本印刷技術協会)より。

○「考工記」コウコウキ→『周礼』シュライ

○『廣志』『広志』コウシ……【中】亡佚書。「和名抄」、「医心方」などの日本の古書にも引用される「博物誌」的書とみられ、『隋書』「経籍志」には、「雑家」に分類され、「[隋志]{雑}広志二巻{郭義恭(カクギキョウ)撰}[新志]郭義恭広志二巻。」(【エキ齊「和名抄引書」】より)と記される。

  ――【箋注記載項】〔10〕人魚)。

『江賦』コウノフ……【中】中国の周時代から梁時代までの詩文を集めた「文選」に含む、郭璞(かくはく。字:景純けいじゅん)作。「海賦」( かいのふ)とセットになり作られた。長江(揚子江)を主題とした賦で、「海賦」と内容的に似通う。季善注に引く「晉中興書」は、この賦の意図について、「璞、中興して、王江外に居るを以て、乃ち江賦を著し、川[讀(言→サンズイ)]の美を述ぶ」と記し、東晋が江南に都を置いたことと関連付けている。(新釈漢文大系「文選」賦編「江賦」語釈より)。長江に生息する水生生物たちを「魚則江豚海豨、叔鮪王鱣。」(魚は則ちコウトン・カイキ、シュクイ・オウセン)から「介鯨乘濤以出入、[椶(木→魚)]鮆順時而往還。」(カイゲイ、濤に乗りて以ってシュツニュウし、ソウセイ時に順いてオウカンす。)と壮大なスケールで描かれる。実在種を想定できるものから、想像上の生きものまで多種をあげ、幾多の文章に引用され、それがどのような生きものであるかの同定を考証家たちが試みてきた。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布])。〔21〕[椶(木→魚)](▲)。〔51〕[免](7画)。

後漢書』ゴカンジョ……【中】後漢(25〜220年)の歴史を記した正史、120巻。南北朝時代の宋の范曄(はんよう、398〜446)撰著。二十四史の一。 90巻(本紀10巻・列伝80巻)、志30巻。本紀・列伝に付けられた注釈書(「李賢注」)として有名なものが唐の章懐太子李賢の手によるものである。李賢は高宗・武則天夫婦の六子として生まれ、兄の李弘が皇太子の座を廃されてから皇太子に立てられながら、後に実の母親に殺害されたといわれる人物である。エキ齊「和名抄引書」:(72ウ)後漢書{海賊 馳射 水門 當[匈/月]}/[隋志]{生}後漢書九十七巻{宋太子・事范曄撰}後漢書一百二十五巻{范曄本、梁令劉昭注}[旧志]{漢}後漢書九十二巻{范曄撰}後漢書論賛五巻{范曄撰}後漢五十八巻{劉昭補注}又一百巻{皇太子賢注}[新志]{正}范曄後漢書九十二巻又論賛五巻、劉昭補注後漢書五十八巻。/(73オ)後漢書注{[髮(友→呂)]髪 意銭○??}[新志]{正}章懐太子賢注後漢書一百巻{賢命劉訥言格希玄唐注} 。箋注訳注に使用した原文テキストは、早稲田大学古典籍データベース中『後漢書』(90巻、志30巻)(16冊)順治13年汲古閣版。

  ――【箋注記載項】〔2〕虯龍馮衍列傳第十八)。〔26〕[亶]楊震列伝第四十四)。〔60〕[末]馬融列伝第五十)。

○『五行記』ゴギョウキ→『墨子五行記』(ボクシゴギョウキ)

湖魚考』コギョコウ……博物学的和書・小林義兄著。上下2巻。写本として伝わり、国会図書館蔵書2種のうち1本をコピー使用。文化3(1806)年が序に記載。琵琶湖に棲息する魚貝水棲動物について記述した書で、地方名も整理され記され、解説もていねいで利用価値は高い。

古今韻會挙要』(ここんいんかいきょよう)(ここんいんねきょよう)……【中】漢字辞書。 黄公紹編、熊忠挙要。30巻。元、大徳元(1297)年成立。約1万2800字を、四声順に107韻によって分類した辞書。 通称「韻会」。ネットで利用テキストは、(1)早稲田:WLDB。(2)京都大学(KLDB)。何れも、嘉靖15(1536)年、張鯤序記のある版がある。【箋注記載項】参考:〔1〕龍

古今注』ココンチュウ……【中】名物考証書:3卷:晉・崔豹(さいひょう)撰:卷中に第四(鳥獣)第五(魚虫)。エキ齊「和名抄引書」=崔豹古今注{微風、鴛鴦、蚖虵、胡黎、赤卒、鳳車、蚯蚓、蠅虎、螻蛄}/[隋志]{雑}古今注三巻{崔豹撰}[旧志]古今注五巻{崔豹撰}[新志]崔豹古今注三巻。原本は亡佚されたとされ、五代の馬縞(ばこう)による『中華古今注』三巻に基づき現行本が編まれている。この「中華古今注」は、唐の蘇鶚(そがく)著『蘇氏演義』を参考にしているとされる(『和漢三才図会』7巻末書名注)。

○「古今図書集成」→『欽定古今図書集成』へ。

古事記』コジキ……太安万侶撰録、になるわが国最古の歴史書であり、文学書。和銅五年(712)成立。壬申の乱を経て即位された天武天皇が、諸氏所属の家々に持ち伝えている、数多い言い伝え(『帝紀』『本辞』)を整理、訂正(討究・撰録)し後世に伝えようと命じられ、稗田阿礼に誦み習わせ、天武天皇崩御のあと元明天皇の詔によって、太安万侶に対して、稗田阿礼の誦むところにしたがって、音訓注の工夫を加えて再文字化し、上中下の三巻に筆録し献上した(倉野憲司校注「古事記」岩波文庫「解説」より。序文に記された成立骨子)。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布])。

古事記伝』コジキデン……本居宣長撰著。明和4・1767年ごろから書き進められ寛政10・1798年完成成立。本居宣長畢生の大著であり、古事記注釈書としてばかりでなく、言語、思想、宗教、文学詩歌、文化にわたる日本古代理解のための重要文献資料である。 エキ齊箋注には、第八巻において、「本居氏云」で〔12〕鰹魚項で引用されるだけだが、和名の訓みや内容解釈を補う上にも、重要資料であることに変わりない。たとえば、〔5〕魚項においては、「ウヲ」と「イヲ」の訓みについて触れるが、「イヲ」を「ウヲ」の古い用法 であると云う辞書が一般的であるの対し、必ずしもそれは当たらないことを、検討するには、古事記伝中の宣長説の整理を注記しておいたほうがわかりやすい、などであり、適宜参照した。原則引用テキストは、岩波書店・岩波文庫『古事記伝』(本居宣長撰・倉野憲司校訂)(一)〜(四)(2003年刷り版)を使用した。定本は、天保15年再校・尾州名古屋永楽屋東四郎刊行(明治8年版権免許、片野東四郎蔵版)になる古事記伝44巻および付刊1巻の45巻45冊。 なお、岩波文庫版は古事記伝上巻にのる1巻から17巻(付巻)を載せる。 古事記中・下巻については、筑摩書房『本居宣長全集』(第9〜12巻)の『古事記伝』を参照した。「箋注関連項目」(岩波文庫本記載頁は無印)(全集本は「全」を付す) において、宣長の記述が伝中に述べられている主な項目を挙げると次のようになる。これらは、【箋注掲載項目】において、注記するほか、真名真魚字典においてもテキストから記述箇所を引用した。○アカメ(赤女)〔4-311p〕。○アガ・る:アゲ(騰)〔1-189p、4-86〕。○イロコ(魚鱗)〔284p〕。○イヲ(魚)〔4-187p〕。○ウチハエ(打延)〔4-82p〕。鱸(16画)○ウヲ(魚)〔1-187、4-87p〕。○ウミベ(海辺)〔341p〕。 ○ウロコ(魚鱗)〔284p〕。○クロタヒ(黒鯛)〔312p〕。○スズキ(鱸)〔4-83p〕:鱸(16画)。○タヒ(鯛、海[即]魚)〔311〜313p〕。チヌ(知沼)〔312p〕。ナ(魚・菜)〔4-87p〕。ナギサ(波限)〔341p〕。ナハ(縄:ナワ)〔82p〕。ノギ([更])〔313p〕。ハタノヒレモノハタノサモノ(海之大小魚:鰭廣〈物〉鰭狭〈物〉)〔311p〕。鱸(16画)。○ヒトヒロワニ(一尋鰐)〔326p、344p〕。○マナグヒ(真魚咋)〔4-87p〕。鱸(16画)。○ヤヒロワニ(八尋鰐)〔290〕 。

  ――【箋注記載項】〔5〕魚)。〔12〕鰹魚)。

古事類苑』コジルイエン……和書を項目ごとに引用した明治以降編纂された類書の代表的な本。神宮司庁蔵版(明治43・1910年)、普及版・吉川弘文館発行(昭和55・1980年)。「動物部」および「飲食部」を手元に置いて、原典の引用の際の翻刻・テキスト化の際に内容の読み込みのために多く参考にさせてもらっている。また、MANAが目を通すことのできない原典や古書の翻訳本の原文チェックにも役立つ。しかし、類書であることにかわりなく、出典からの誤記と思われる記載もあり、あくまでサブテキストとして考慮に入れておく必要がある。

呉都賦』ゴト ノフ……西晋時代の文人・左思(250?〜305?)の 詩文(賦)。「文選」に含まれる。左思は、 字を太冲といい、斉国に生まれ、生家は代々儒学を伝えた。賈謐の下の文人集団「二十四友」のひとりに挙げられる。斉王・司馬冏の記室をつとめ、のち秘書郎に任官した。三国時代の三都 の風物について詠った「三都賦」(魏都賦・蜀都賦・呉都賦)を書いた。はじめ世評は芳しくなかったが、そのご張華が高評価を与え、洛陽の高官たちが争ってこれを筆写し たという(これにより洛陽における紙の価格が高騰したという「洛陽紙価」「洛陽紙貴」の逸話となった)。箋注においては、「呉都賦注」として李善(りぜん)注、劉逵(りゅうき)注が引用されている。

  ―― 【箋注記載項】〔6〕[鯨]。〔7〕[鰐]。 〔10〕人魚(鯪)〔16〕。 〔20〕王餘魚(▲)。〔40〕[侯][頤−頁]魚

○『古名録』コメイロク……本草学書。87巻。畔田翠山編。1843(天保14)年成立。1885(明治18)年〜1890(明治23)年刊。写本は、東京大学蔵本や杏雨書屋蔵の手稿本などがある。内容:本草に関する古語辞典というべきもの。『万葉集』などから天正・慶長年間までの国書にみられる「古名」を多くあつめ、厳密な考証を行っている。(『日本辞書辞典』1996年・おうふう刊):デジタルテキスト利用→国会図書館(NDLKDL):『古名録』(第1〜7、索引):コメイロク:畔田翠山源伴存〔撰〕,正宗敦夫編校訂:日本古典全集刊行会,昭和9〜12刊:8冊:日本古典全集:第5冊(第48〜61巻)→巻第53(鱗蟲類・海蟲類:67/199) 、魚部第五十四「海魚類上」(84/199)、魚部第五十五「海魚類下」(103/199)、魚部巻第五十六「河魚類」(125/199)、介部第五十七「蚌蛤類」(146/199)、介部第五十八「螺類」(156/199)、介部第五十九「雑介類」(166/199)、介部第六十「水産類」「諸介類」(177/199)

 

【さ行】

崔禹錫食經』 サイウシャクショク ケイ、『崔氏食經』サイシショクケイ、『崔禹食經』サイウショクケイ→「食経」「食經」(しょくけい)

○『雑字簿』ザツジボ→『訳官雑字簿』ヤッカンザツジボを見よ。

字彙』ジイ……明の梅[鷹(鳥→月)]祚(バイヨウソ)の編した漢字字書。

爾雅』ジガ……中国古代の経典の語を解説した字書。 紀元前2世紀ごろの成立とされる。十三経の一。3巻あり、周代から漢代の諸儒が諸経書の伝注を採録したものという(広辞苑)。現存する19篇(釈詁・釈言・釈訓・釈親・釈宮・釈器・釈楽・釈天・釈地・釈丘・釈山・釈水・釈草・釈木・釈虫・釈魚・釈鳥・釈獣・釈畜)は、「詩経」の語を解釈したものが多い。注釈書としては、晋の郭璞の 注(【註】)に、邢[日/丙](ケイヘイソ)が補注(【疏】)し、陸徳明が音義を記した『爾雅注疏』十一巻(「十三経疏」)や、清の郝懿行(カクイコウ)『爾雅義疏』が知られている。

【エキ齊「和名抄引書」】(「爾雅」及び「爾雅注」諸本関係)「爾雅」「爾雅注」 掲載一覧…抄本文引用書名。〔頭注〕○は、蔵書者(黒川真道と思われる)による書き入れ参照。

爾雅{霧、川〈疑〉 、洲、父母類、兄弟類、子孫類八、婚姻類九、夫妻類十、○棟、梲 垣墻…中略…、○魚丁 蟲}

爾雅注{牽牛、霖、溪谷〈李〉、子孫類、…中略…菌茸 、鮨〈郭〉、醢〈郭〉、…中略…、○〈郭略同〉、[]、貽貝 [斉]螬〈蘇敬引疑孫炎〉 、…以下略}

爾雅舎人注{母}

爾雅孫炎注{祖母 私 外姑 梲 橛 ○櫟梂} 《頭注》○

   [隋志]{論語}尓雅七巻{孫炎注}[旧志]{小学}爾雅六巻{孫炎注}[新志]{小}爾雅孫炎注六巻[現在目]爾雅三巻{孫氏注}

爾雅郭璞注{霰、○母、○梁、、○魚丁……以下略} 《頭注》○

   [隋志]{論語}尓雅五巻{郭璞注}[旧志]{小}爾雅三巻{郭璞注}[新志]{小}郭璞注一巻[現在目]爾雅三巻{郭璞注}

爾雅李巡注{洲、垣墻} 《頭注》○

   [隋志]尓雅三巻{漢中散大夫樊光注。梁有漢劉歆、犍為文学、中黄門李巡爾雅各三巻、亡。}[旧志]{小学}爾雅三巻{李巡注}[新志]{小}爾雅李巡注三巻

爾雅集注{前略……○[] ……以下略} 《頭注》○
[隋志]集注尓雅十卷{梁黄門郎沈璇撰注}[旧志]{小}集注爾雅十卷{沈璇注}[新志]{小}沈琁集注十巻[現在目]尓疋集注十巻{沈璇注}

爾雅音義{○柚 杉〈與郭同〉} 《頭注》○
[隋志]{論}尓雅音八卷{祕書学士江漼撰、梁有尓雅音二巻、孫炎、郭璞撰。}[旧志]爾雅音義一卷{郭璞注}又二巻{曹憲撰}尓雅音六巻{江漼注}[新志]{小}郭璞音義一巻 江漼音六巻[現在目]尓疋音ニ巻

   箋注訳注には、ネット公開されている東京大学東洋文化研究所蔵漢籍善本全文映像資料庫(TLDB)の「福建刊十三經註疏」「爾雅注疏十一巻」 を基本とし、「京都大学電子図書館」―「京都大学附属図書館所蔵 清家文庫 『爾雅注疏』」のうち「第八之十一」以降の 「巻15釋虫」および「巻16釋魚」などを適宜参照した。

  ――【箋注記載項】〔1〕龍)。〔11〕鮪。 〔20〕王餘魚(▲)。〔26〕[亶]〔33〕[夸]〔49〕[完]〔50〕鱒(▲) 。〔52〕鯰(▲)。

爾雅義疏』ジガギソ……(→「爾雅」(ジガ)。 )清の[邨(屯→赤)]懿行(カクイコウ・郝懿行)撰になる爾雅の注釈書の代表的な書。二十巻。郝懿行(1757〜1825)は嘉慶四年(1796)の進士、官は戸部主事に至った。寡黙で学者肌の人物であり、官僚としては出世しなかったが、小学(伝統的言語学)の方面で業績が大きく、『爾雅義疏』はことに有名である。『山海経箋疏』は畢[汁(十→元)]の『新校正』を土台とし、さらに多くの古典を、周到に吟味した上で引き、空想による臆説や、奇をてらった説は見られず、『山海経』の古典的注釈の最高峰といえる(この項「中国学工具書提要」より)。 箋注訳注には、芸文印書館影印版(上下二巻本)下巻之四:釈魚第十六(1179〜1218p)をテキストとして利用した。

  ――【箋注記載項】〔26〕鱣魚)。〔49〕[完](▲)。〔60〕[末])。

爾雅集注』ジガシッチュウ……[隋志]集注尓雅十卷。亡佚書。梁の沈旋(シンセン)撰。「爾雅」をみよ。

  ――【箋注掲載項目】〔49〕[完]

爾雅翼』ジガヨク……32巻。 南宋の羅願(ラガン:)撰。南宋・淳煕元年(1174)頃成立。元の洪[火/火火]祖(コウエンソ)音釋。 内容は、爾雅の内から、「釋草」、「釋木」、「釋烏」、「釋獸」、「釋蟲」、「釋魚」等6篇を注釈した専書。MANAの手元にテキスト原本がないため、当面は國立故宮博物院・東呉大學開設サイト「數位古今圖書集成資料:古今図書集成テクスト版」中に載る、「爾雅翼」記事(白文、句読点なし)を利用させてもらい、後日、原書版からオリジナルテキストに直すことにしたい。

  ――【箋注記載項】〔20〕王餘魚(▲)。〔26〕[亶]〔27〕鰕〔33〕[夸]〔44〕鯉魚(▲)。〔50〕鱒(▲)。〔52〕鯰(▲)。〔56〕[厥]魚(▲)。〔60〕[末]

○『式』シキ→『延喜式』(えんぎしき)を見よ。

史記』シキ……中国・二十四史の一。漢の司馬遷(紀元前145〜前86年)著。黄帝から前漢武帝(の前年)までの史実を記した紀伝体の史書。本紀十二巻、世家三十巻、列伝七十巻、年表十巻、書七巻、合計百三十巻。紀元前91年成立。注釈書に、司馬貞「史記索隠」、唐の張守節「史記正義」、宋の裴駰(ハイイン)「史記集解」などがある。 エキ齊・求古楼は、『経籍訪古志』によれば、「史記一百三十巻{宋槧本。米沢上杉氏蔵}/宋裴駰集解、唐司馬貞索隱、張守節正義、主載目録、…中略…求古楼亦蔵宋槧不全本、與此同種…以下略」「又{明王延}」等の各種良本「史記」を蔵し、これらによって箋注に必要な引用をしていることがわかる。TDBの公開テキスト には、「史記一百三十卷」(慶長元和闌テ活字印)漢・司馬遷(撰)/劉宋・裴駰(集解)/唐・司馬貞(索隱)/唐・張守節(正義) が、あり、エキ齊箋注にそって、和刻本ながら比較的条件のそろったこのテキストを利用させてもらった。【エキ齊「和名抄引書」】史記{暴風 故人……中略……○俎}/[漢志]太史公百三十篇{十編有録無書}[隋志]{正史}史記一百三十巻{目録一巻、漢中書令司馬遷撰}[旧志]{史記}史記一百三十巻{司馬遷作}[新志]{正史}司馬遷史記一百三十巻//史記音義{襲う○簦}/[隋志]史記音義十二巻{宋中散大夫徐野民撰}史記音三巻{梁軽車録事参軍鄒誕生撰}[旧志]{史}史記音義三巻{鄒誕生撰}又三十巻{劉伯庄撰}[新志]{正}徐広史記音義十三巻、鄒誕生史記音三巻[崇文目]史記音義十九巻徐広撰[現在目]史記音三巻{梁軽車録事参軍鄒誕生撰}史記音義廿巻{唐大中大夫劉伯庄撰}//史記注{褌……以下略}/[隋志]{正}史記八十巻{宋南中郎外兵参軍裴駰注}[旧志]{史}史記八十巻{裴駰集解}[新志]{正}裴駰集解史記八十巻。

  ――【箋注記載項】 〔10〕人魚)。〔54〕[庸]

詩経』シキョウ……中国最古の詩集。儒教の五経の一。周代に各国から集めた3000余の歌謡を孔子が311篇(6編は題名のみで、実際は305篇)を集めて編んだとされる。殷から春秋時代の305篇の詩を、国風、雅、頌の三部門に分つ。国風は、各地(国)の歌謡を、周南(周しゅうのまちにちなむ歌)、召南(召しょうのまちにちなむ歌)、[邵(召→北)]風([邵(召→北)]はいのくにの歌)、[庸+邯−甘]風([庸+邯−甘]ようのくにの歌)、衛風(衛えいのくにの歌)、王風(王おうのくにの歌)、鄭風(鄭ていのくにの歌)、齊風(斉せいのくにの歌)、魏風(魏のくにの歌)、唐風(唐とうのくに歌)、秦風(秦しんのくにの歌)、陳風(陳ちんのくにの歌)、檜風(檜かいのくにの歌)、曹風(曹そうのくにの歌)、[幽(幺→豕)]風([幽(幺→豕)]ひんのくにの歌)からできている。宮廷の儀礼歌である、小雅、大雅。中央政府である周の王室その他の歌楽歌が頌。紀元前1100年から紀元前600年ごろまでの歌であり、ギリシアでホメロスの叙事詩が生まれてくる時代に相当する。漢初、これを解釈した4派があり、そのうち毛亨もうこう及び毛長もうちょうという二人の学者が注釈を加えた毛詩伝、略して毛伝といい、現代伝わる詩経は、この毛伝の系統の本であり、詩経は「毛詩」もうしとも呼ばれるゆえんである。また、後代の注釈書の系統のうち、後漢末の鄭玄じょうげんにより毛伝を付加注釈したものを「鄭箋」ていせんと呼ぶ。この鄭箋を「古注」と呼ぶときの、「新注」とは、朱熹しゅき、つまり朱子しゅしによる毛詩解説の書「詩集伝」である。また、「古注」については、唐の孔頴’達(頴’=示→禾)の『毛詩正義』 (『毛詩注疏』)がある。毛詩の中に歌われている動植物の言葉についての解釈、解説については、この『毛詩正義』の説を忘れてはならず、さらに、 『正義』に多く引用されている『毛詩草木鳥獣蟲魚疏』(もうしそうもくちょうじゅうちゅうぎょそ)の解釈にも注目する必要がある。 三国時代の呉の国の学者、陸[機(木→王)]りくきによる動植物に関する語彙を選んで注釈解説した書として知られる。「疏」は注釈(書)というような意味だが、『 陸璣疏』あるいは『陸氏疏』と略称されるときには、この書を指す。清時代以降、いわゆる青木正児がいう博物学の知見を総合した「名物学」めいぶつがくのスタンスを取り入れた毛詩の動植物語彙解説書として登場してくるもののうち主なものだけをあげると、徐鼎じょてい撰『毛詩名物図説』、陳大章撰『詩伝名物集覧』などがあり、また日本の学者によるものとして、後述する吉川幸次郎が『詩経国風』上下(岩波中国詩人選集)で動植物についての説を採用した江村如圭撰『詩経名物弁解』 のほか、岡元鳳撰『毛詩品物図攷』がある。また、東京大学総合図書館が公開する「鴎外文庫書入本画像データベース」中に含む『陸氏草木鳥獸蟲魚疏圖解 4巻附録1巻』(淵在寛述)(安永8年(1779)刊)が、鴎外の書き込みにも触れながら読める幸福を味わいつつ、読みやすく、利用しやすい。

   なお、MANAが昔から手元において読んでいたテキストは、先にふれた、学生のときに常識書として読んでいた吉川幸次郎注の岩波書店『詩経国風』上下2巻(中国詩人選集1,2、昭和33・1958年刊)であった。 「私の注釈の方法」(同書19頁)に「草木鳥獣虫魚の和訓については、江村如圭の『詩経名物弁解』によった。享保16年〈1731〉京都の出版である。またそれが要領を得ぬときは、清の徐鼎の『毛詩名物図説』が、文化5年〈1808〉江戸で翻刻されたのに附した小野蘭山の和訓を用いた。私は動植の学には全く無知であるから、これらの書によりつつも、ことに誤り多きことををおそれる。」と吉川幸次郎は書いている。魚類についてあえてとりあげれば、 『詩経』「国風:碩人篇」の「[亶]鮪」を「コイとシビ」に訓んだごとくである。

   しかし、この、とくに魚類、昆虫、動物類についての旧来の解釈に基づく訓みは、現在では、改めなければいけないものが出てきた。たとえば、[亶]も鮪も「チョウザメの仲間の魚」として解釈し訓みをつけるようになってきている研究書、訳注本も出ている。こうした、詩経に登場する水生生物、昆虫、動物類の現在に至る新しい解釈については、加納喜光著『詩経』(1)恋愛詩と動植物のシンボリズム、同(2)古代歌謡における愛の表現技法(汲古書院、2006年刊)および、同著『漢字の博物誌』(大修館書店、1992年刊)、および『学研新漢和大字典』(藤堂明保・加納喜光編)に詳しく、 箋注倭名類聚抄(第八巻)訳注や本サイトの記述は、加納氏が研究整理をされた解釈を中心に利用させていただいている。『詩経』(「毛詩」)のテキストは、「東京大学東洋文化研究所蔵」「漢籍善本全文影像資料庫」〔略TDB〕から、「毛詩注疏二十巻」(汲古閣刊十三経注疏)(A145700)を利用した。

  ――【箋注記載項】〔11〕鮪(▲)。〔59〕鮠

四時食制経』シジショクセイケイ・シ (イ)ジショクセイキョウ……医学書(医方類)。亡佚書。成立年代不詳。エキ齊「和名抄引書」:四時食制経{漿 白飲}/[隋志]{医}四時御食経一巻、[旧志]{食}四時食法一巻{趙氏撰}、[新志]四時御食経一巻/顔氏家訓引{書証篇}〔頭注〕△/〔書き込み〕御覧引目魏武四時食制。〔「魏武」は「魏武帝」=魏の曹操(155〜220年)。本書成立年代の参考。〕「食経」の項も参照されたい。

  ――【箋注記載項】[孚][布]:[亶] :

四聲字苑』シセイジエン……四声字苑:倭名類聚鈔に多く引用される古字書だが、 亡佚し不詳。 エキ齊「和名抄引書」には、「四聲字苑」(△:有る無し不明)として160余標題があげられ、魚虫偏については、[制]、鮒、鱸、[是]魚、鮠、鰒、蠣、[苑/虫]、蚊が載る。また、同「引書」には、併記され、[新志]小学、有馮幹括字苑十三巻とあり、付箋に「[旧志]要用字苑一巻葛洪撰」「[見在書目]字苑一巻葛洪撰」「[新志]葛洪要用字苑一巻」を記す。

  ――【箋注記載項】〔38〕[制]〔44〕鯉魚〔45〕鮒〔48〕鱸〔58〕[是]魚。〔59〕鮠

集韻』シュウイン……【中】10巻。宋の丁度等の奉勅して撰した韻書。丁度が、この書を成らずして没後、司馬光が続修し完成させた。四声の韻に分かち、平聲4巻、上聲・去聲・入聲各2巻、「奇文異画をも併せ」(「字通」付録)、5万3525字を収録。わが国にも天保9年の翻刻本がある。箋注訳注に使用したテキストは、集韻:【集韻】(ホ04 00019:光緒2[1876]川東官舎,[重慶]:棟亭本の重刻)(WDB)

  ――【箋注記載項】〔2〕虯龍(▲)。〔52〕鯰(▲)。

修文殿御覧』シュウブンデンギョラン・シュウモンデンギョラン……【中】類書の一で、北齊・祖考徴(ソコウチョウ)等の撰になる360巻(旧唐書経籍志)だが、亡佚(ぼういつ)し、伝わらない。梁代成立「華林遍略」と並び称される。宋代成立『太平御覧』に引き継がれているとされる。【エキ齊「和名抄引書」】(63丁表)御覧{目録}{[番]魚/水滴噐}〔頭注〕○/[隋志]{雑}聖寿堂御覧三百六十巻/[旧志]{類字}修文殿御覧{三百六十巻}/[新志]{類書}祖孝徴等、修文殿御覧三百六十巻/[現在]

  ――【箋注記載項】〔4〕蛟(▲)。

朱豪L』シュガイキ……【中】産物を記載した地理書と思われるが亡佚し伝わらない。「倭名類聚抄」「箋注倭名類聚抄」の「王餘魚」の項に引用される。【エキ齊「和名抄引書」】{△/御覧引目朱崖傳}朱崖記{王餘魚}[隋志]{地理}珠崖傳一巻{僞燕聘晉使蓋泓撰}【箋注記載項】〔20〕王餘魚

周禮』(「周礼」)シュライ……【中】三礼(「周礼」「儀礼」「礼記」)の一。周代 国家の官制を記した書で、古くは「周官」 「周官経」、唐以後は「周礼」と呼んだ。周公旦の作と伝えられるが、秦の焚書以後、漢代に補い、6編となった。国家制度の枠組みたる天・地・春・夏・秋・冬の各官(六官)からなる。天官は王(大宰)を長とする国家の統括機構について、地官は人民とその産業の根幹について教育・土地・人事について、春官は祭祀・音楽、夏官は軍事、秋官は司法、冬官は土木・工業を司る仕組みが述べられている。【エキ齊「和名抄引書」】周礼{皮 ○門燎}/[漢志]周官経六篇{王莽時劉[韻(員→欠)]置博士、師古曰、即今之周官礼也、亡其冬官、以考工記充之}[隋志]周官禮十二巻{鄭玄注}[旧志]周官禮十三巻{鄭玄注}[新志]鄭玄注周官十三巻。/考工記{幡{疑} 中略}/周礼注{丘 花園 ○筋力 以下略}。なお、箋注「魚」に載る「考工記」は、冬官考工記第六(周礼注疏巻第三十九)に載る。冬官は、鄭玄注に「司空之官也」とあるように長官は司空。六職百工の土木工業の職に関する行政を司る。

漳州府志』ショウシュウフシ……【中】光緒3・4(1877・1878)年刊の地理書か。詳細不明。

証類本草』ショウルイホンゾウ……【中】宋の時代 (1100年ごろ)唐愼微によって著わされた本草書。陶弘景「神農本草経集注」(「集注本草」)、唐の蘇敬らにより編まれた「新修本草」などの現代でいえば医学・薬物学的な知の集積を図った正統系本草書(「正統本草」と 称される場合がある)としての位置付けを与えられている。「政和本」とよばれる「重修政和経史証類備用本草」と、「大観本」とよばれる「経史証類大観本草」と の二つの系統の書が伝えられている。なお、同書が日本に伝えられたのち、室町〜安土桃山時代末、京都で活躍した本草学者、曲直瀬道三(1502-1595)により、「証類本草」の研究の成果として「証類本草・序例」の講義が行われ、その講義録が何種類も出版され、さらに曲直瀬道三らにより「証類本草」研究の成果として「宜禁本草」(1700年刊か)の編纂へとつながっていく。 箋注読解に使用するテキストは、「早稲田古典籍貴重書DB:WDB: 『重修政和経史証類備用本草』:【證類本草】(政和本草:WDB):巻第1-30/唐慎微[撰]」とした。

  ――【箋注記載項】巻8: 〔7〕[孚][布])。〔10〕人魚)。〔14〕鮫〔16〕。 〔25〕[覃]魚(▲)。〔26〕[亶]。 〔40〕[侯][頤−頁]魚。〔41〕鰻[麗]魚〔49〕[完])。〔52〕鯰(▲)。〔54〕[庸](▲)。〔57〕鮎〔58〕[是]魚

初学記』ショガクキ……【中】唐の徐堅(659〜729年)らが勅命を承 けて編纂した類書。徐氏は湖州長城(今の浙江長興)の人、字は元固。本書は、皇子達が勉強する際に、文の出典などを調べる利便を図るため、玄宗が徐堅らに『芸文類聚』の体裁を真似 て、経書や諸子の書、歴代の詩賦や唐初の詩文の資料を集め編集させることを命じ、開元十五年(727)に成立。全書は天・歳時・地・州郡・帝王・中宮・儲宮・帝戚・職官・礼・楽・人・政理・文・武・道釈・居処・器物・服饌・宝器・果木・獣・鳥などの二十三部に分け、さらに三百十三箇の子目を設け、それぞれの子目は、さらに「叙事」(歴史故事)・「事対」(対句 :語格、意味、発音の相対する言葉が同じ構成で並んでいる二つの句)・「詩文」(古今韻文詩)の三部分に分けられている。宮内庁書陵部に蔵される同書は、南宋紹興四年(1134)福堂劉本の序あり。代:南宋紹興十七年(1147) 、東陽崇川余四十三郎宅刊本。巻数:三十巻,補写あり。:「宮内庁書陵部所蔵宋元版の一考察」黄華珍著、岐阜聖徳学園大学紀要(外国語学部編)第44集・通巻第49号(2005年)より 。国会図書館蔵:(1)初学記 : 30巻:ショガクキ:徐堅等奉敕撰:北京:新華書店北京発行所:1962:3冊(中華書局出版)(2)黄氏蘊石齋刊:光緒14:16册(蘊石齋叢書)他1計2冊あり。【エキ齊「和名抄引書」】【箋注記載項】〔2〕虯龍)。〔62〕[小]

食経』ショクケイ(ショクキョウ・ショッキョウ )(食經)……【中】中国古代に医食につかわれる「材料」についてまとめられた食物本草書だが、ほとんどが亡佚し、現代に伝わらず、中国、日本ともに残されていない。【倭名類聚抄】には、唐の崔禹錫(さいうしゃく)という人の著作として「崔氏食經」あるいは「崔禹食經」の書名で、約80品について引用されている。著者、成立年代等不明だが、「『崔禹錫食經』の研究」(中橋創太著、2002)によれば、佚文、引用書物等の検討から「佚書『崔禹錫食経』は『爾雅郭注』『説文解字』などの辞書類や『新修本草』を参考に崔禹錫が編纂した食物本草書であることが分かった。成立は659-891間である可能性が高く、『日本国見在書目録』によると全4巻。内容は総論部と各論部から構成されており、各論部はおよそ穀・果・菜・虫魚・獣・禽に分類できる。また、鳥類・魚介類が豊富に収載されていただろう。作者・崔禹錫は未詳人物であるが、あるいは両『唐書』に見られる崔禹錫が該当するかもしれない。日本には891年までに遣唐使によって将来され、室町時代まで計12の国書に引用された後、江戸後期には佚伝したと判断されている。」と著者は結論で述べている。【箋注倭名類聚抄】執筆にあたって「抄」の引用書目を検討整理したエキ齊直筆「和名抄引書」(早稲田大学所蔵・電子ライブラリー「古典籍総合データベース」公開)には、「食經」に関係して、次の書目が載っている。 

△神農食經{冬瓜}

○孟詵食經{蕎麦、独子蒜、以下略}

 [新志]孟詵食療本草三

△四時食制經{漿、白飲}

 [隋志]{醤}四時御食經一巻 [旧志]{食}四時食法一巻{趙氏撰}[新志]四時御食經 /顔氏家訓引{書証篇}

○崔禹錫食經{署預粥、黄菜、菌茸、中略、蓼○鵤、鴨、雲雀、中略、○糲米、栗、中略}、○鯛、尨魚、[喿]、鯖、[侯][追]魚、[韶]陽魚、[生]魚、鱸、鯰、[魚+頤−頁]、[庸]、[罔’]魚、鮎、以下貝類、製品など略

 [隋志]崔氏食經四巻 [旧志]{食經}食經九{崔高撰}[新志]崔浩食經八巻  [現在目]食經四{崔禹錫撰}

七巻食經{清盲揚梅}{胡桃、中略、○針魚、鰕、鯉魚、鱒、以下略}

 [現在目]新撰食經七

食療經{産婦 ○陰核、近目、失聲、○薬、酒、漿、大豆麨、生菜、魚頭、搗蒜、○鮪、蟹、沙嚢}

○馬[宛]食經{略}

 隋志 食經三巻{馬[王+宛]撰} 

MANA注:@すべて「新美篇・輯佚資料」(KJTakedaDB)によっても亡佚書で現在に伝わらない。A表題頭に載る印について:無印ハ有ル印/○印ハ鳴キ印/△印ハ有無未定ノ印か……所蔵者「真道識」書き入れと思われる。第1丁「周易」の対向○空きページに書き入れ 。「新志」「旧志」「隋志」「現在目」については、「隋書」(ずいしょ)経籍志の項を参照。

  【箋注掲載項目】〔17〕鯛〔18〕尨魚。〔20〕王餘魚(▲)。〔24〕針魚〔42〕[韶]陽魚〔43〕[生]魚〔44〕鯉魚〔48〕鱸(崔禹食経)。〔50〕鱒〔52〕鯰〔54〕[庸]〔57〕鮎

 

食療經』『食療経』ショクリョウケイ……【中】「食経」(ショクケイ・ショッケイ)参照。【エキ齊「和名抄引書」】にお

いては、「食経」項に記したとおり、和名抄掲載書名をあげ、掲載項目にくわえて、経籍志等を記さず、頭書に「○」「△」のわが国に伝存有る無しも記さず、中国伝来書に列するのみで、不詳である。

〔倭名類聚抄〕『箋注倭名類聚抄』による「食療経云」から引用掲載箇所を整理した。その所在箇所については、「新美篇・輯佚資料」(KJTakedaDB)を参照した。返り点等は省き、句読点は箋注原文どおり。

)巻一:人倫部男女類(九十三丁表):産婦:「産婦不可食梨子、」

)巻二:@四十六丁表:陰核:「食蓼及生魚、或令陰核疼」/A五十一丁表:近目:「婦人任身、勿食驢馬肉、令子近目、」/B五十四丁表:失聲{嘶咽附}「食熱膩物、勿飲冷酢漿、失聲嘶咽、」(巻四にも同文載る)

)巻四:@飲食部薬種類五十一(三十二丁裏):薬:「充飢則謂之食、療疾則謂之藥、」/A同(三十三丁表):「酒、五穀之華、味之至也、故能益人、亦能損人、」(三部經音義巻二引無故字、〈也無し、能損→却損〉李嶠雜詠一百二十首注)/B同部水漿類五十二(三十八丁表):漿:「凡食熱膩物、勿飲冷酢漿、」(巻二Bに同文引く)/C同部麹[辟/木]類五十四(五十丁裏):大豆麨:「大豆麨、勿與一歳已上十歳已下小兒、食之氣壅而死、」(三部經音義巻三にも載る)/同部菓菜類五十六(五十四丁裏):生菜:「生菜不可合食蟹足、」/D同部魚鳥類五十七(六十一丁裏):魚頭:「婦人任身、不得食魚頭、損胎、」/E同部塩梅類五十八(六十六丁裏):樢蒜:「樢蒜韲

(4)巻八:@龍魚部龍魚類百八(六丁表):鮪:「鮪、一名黄頰魚、」/A龜貝部龜貝類百十(五十一丁裏):蟹{蟹黄附}:「密餅不宜合蟹黄食之、」/B同部龜貝體百十一(五十四丁裏):沙:「食蟹不得并沙食之、沙囊、在蟹腹内者也、」

  ――【箋注掲載項目】〔11〕鮪

清国水産弁解』シンコクスイサンベンカイ……山本由方著。明治19・1886年刊。農商務省水産局発行。国会図書館・近代デジタルライブラリー(KTKDB)公開文書に含むが、昔から、MANAの隠しネタ本として、近世日本と中国における水産物加工製品の原料と製品を知るための実態的観察記録をもとに記された名著として複写して手元においてある貴重な資料である。副題に記す「附日清貿易事情」が記すように、清代水物貿易便覧として編纂されたものだが、考えてみると、このような官により貿易品物を整理してまとめる視点は、閩書のような地理書物産篇や「雑字簿」(訳官雑字簿)のような貿易用語集あるいは名物語彙集としての和漢字書の編纂姿勢にもつうじるものなのであろう。

  ――【箋注訳注資料】〔51〕[免](×)。

新修本草』シンシュウホンゾウ……【中】中国本草書の始まりである「神農本草経」の伝本の系統を整理し、自注を加えて編纂したのが陶弘景(456〜536)であり、その書が「神農本草経集注」(「本草集注」あるいは「集注本草」と呼ばれる)3巻(後 、再編され7巻本)である。成立は500年ごろとされる。この陶弘景「集注本草」を、唐代に、蘇敬 (そけい:宋時代に「敬」が皇帝の名と重なることをイミて、「蘇恭:そきょう」という呼称を使うことがある。)らが増補して659年に完成させたのが『新修本草』である。本文20巻、薬図25巻とその説明7巻からなり、掲載薬物は850種に なった。その後、宋代になって、この「新修本草」を増補・加注して973年に刊行されたのが「開寳本草」であり、1061年には「嘉祐本草」、1108年に「大観本草」、1116年に「政和本草」、1159年「紹興本草」が刊行されている。これら宋代の本草書は時の政府命による公撰書であり、現在完全な形で伝わる 「大観本草」、「政和本草」の2系統の本草書を正当本草とよび「証類本草」と統称されている。(真柳誠「中国本草と日本の受容」1993年、2006年補訂を参照に整理した。)

晉書』シンジョ……【中】百三十巻。唐の房玄齢らが勅を奉じて編撰した正史。西晋四代52年、東晋十一代104年の間のことを記す。二十四史の一書。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布])。

ショA

ショB

仁諝本草音義』ジンショホンゾウオンギ……【中】「仁諝」は、「ジンショ」あるいは「ジンソ」と

  読むのだろう。本草和名に「仁諝音」として多く載るが、「仁諝」の人物経歴は今のところ不詳(要調査)。「諝」の「本草和名」に載せる原字体は、旁がAであり、正字Bの異体字とされる(【学研新漢和大字典】824頁)。「箋注」も旁Aの字体を活字化してそのまま載せている。「和名類聚鈔」において、「鬢髪」(20巻本、1巻、形体部・毛髪類十六)・「鮫皮」(同第5巻調度類・弓劔具七十四)、「鰒」(同8巻、亀貝部第十九・亀貝類百十)に引用される。エキ齊「和名抄引書」には、亡佚書(○印)とされ、「仁諝本草音義」/[現在目]「本草音義一{仁諝撰}」とあり、「揚玄操音義」/[現在目]「本草注音一{揚玄撰}」と併記されている。「新修本草音義」と記される場合がある。

  ――【箋注記載項】〔57〕鮎

新撰字鏡』シンセンジキョウ……古辞書。僧昌住著 自序より昌泰(898〜901)年中成立。『天治本 新撰字鏡 増訂版 附 享和本・群書類従本』(京都大学文学部国語学国文学研究室偏。昭和42・1967年臨川書店発行。第三刷 :天治年1124〜1126)及び『群書類従』第二十八輯 雑部(昭和7・1932年、続群書類従完成会発行。昭和57年訂正3版)は公立図書館なら揃えているので利用しやすい。 エキ齊は、箋注に「新撰字鏡」として多くの引用をしているが、注記に使用する場合には、前記原本中、完本である「天治本」は、エキ齊箋注成稿時(文政3・1827年)には、いまだ発見されておらず、エキ齊が、箋注に使用したのは、その抄本である「享和本」か、同書をもとに編まれた「群書類従本」 (表記の違いを検討してみると、おそらくこちらであろう)のいずれかであることを注意しておく必用がある。こののち、完全な内容の傳本として、まず文政年中に巻2、巻4が発見され、安政3・1856年に残10巻が発見され「天治本」12巻の全貌がしられることになった(「古典索引叢書3新撰字鏡」全国書房版、沢潟久孝「解題」 参照)。デジタル画像利用可能なサイトは、以下の通り。

  @奈良県資料 画像DB 図書館→阪本龍門文庫善本電子画像集→自筆本の部→新撰字鏡、狩谷エキ斎手写書入れ本:書誌「狩谷エキ斎手写書入れ。狩谷エキ斎(1775〜1835)は江戸後期の文献学者・考証学者。江戸の書店、高橋青裳堂に生まれた。初めの名は真末(まさやす)。寛政11年(1799)米問屋津軽屋狩谷家に婿入りした。日本古典文化の考証に専念し、その基礎となる書籍の収集につとめ、本文の厳密な校訂を行った。/『新撰字鏡』は、昌泰年中(898〜901)昌住の撰。部首引きの漢字辞書で、和訓をもつ最古のもの。ながく存在が知られなかったが、村田春美(1746〜1811)が抄録本を見付け、遅れて完本天治本が見つけられた。抄録本は和訓の注のある漢字のみを抄出したもの。…以下略」(http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y05/html/675/)A「新撰字鏡」群書類従本:早稲田大学古典籍データベース:羣書類従、巻第497(雑部52)2冊:http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_04715/index.html

  また、「新撰字鏡」(享和本)発見とエキ斎による書写本貸出について、伴信友とのかかわりから生じた、信友のエキ斎へのドロドロした感情を書いた、筆者MANAのメモをブログに載せておいた。→「伴信友の狩谷棭斎評について」「伴信友の狩谷棭斎評について―その2

  ――【箋注記載項】[鶯’]||〔6〕鯨鯢)。〔7〕[孚][布])。〔12〕鰹魚)。〔14〕鮫)。〔19〕海[即’](▲)。〔25〕[覃]魚(▲)。〔34〕鰯)。〔48〕鱸)。〔50〕鱒)〔51〕[免])。〔52〕鯰(▲)。

真艸字引大成」シンソウジビキタイセイ→「倭玉真草字引大成」ワギョクシンソウジビキタイセイ

神農本草経』シンノウホンゾウキョウ……【中】中国古伝説上の帝王・神農(神農氏・炎帝)は、民に利用のよしあしを知らせ教えるために百草を嘗(な)めて 、一日に七十種の毒に遭いながら(『淮南子』「脩務訓」冒頭節)医薬を作り、漢方の元となる薬物と製薬法をまとめた「本草経」を著わしたとされている。人類が中国にいきた太古の古い時代から薬性・薬効の知見が語り継がれてきた「神農本草」が、おそらく後漢頃(25〜220年)に文字にまとめられたものと考えられている。 これを「神農本草経」(シンノウホンゾウキョウ)といい、「本経」とも呼ぶことがある。「この書は、365種の薬物が、上薬・中薬・下薬の三品に分類され植物・動物・鉱物や薬用部位などの自然分類ではなかったことに特徴がある」(真柳誠「中国本草と日本の受容」)という。梁(502年〜)時代の経籍志にあたる阮孝緒『七録』中に「神農本草 三巻」が載る。梁の陶弘景(華陽 、隠居)(452〜536)は、この「神農本草経」を整理・校訂し、さらに注をほどこし、『神農本草経集注』(「本草経集注」あるいは「集注本草」ともいう。「集注」は「しっちゅう」と訓む。)三巻を著わした。さらに「名医別録」として伝わってきた諸家本草の書から残ケツ部分をも補い、365種の薬物を補充し、あわせて730種に、目録をあわせて七巻本となって後世に伝えられることとなった。

   この陶弘景『神農本経集注』は、わが国にも伝わることとなり、「陶景注」として「本草和名」に 、「和名抄」に「陶隠居本草」「本草陶隠居」として多く引用されている。「新修本草」、「開寳本草」も参照されたい。「和名類聚鈔」に引用された「本草」についての記載事項をエキ齊「和名抄引書」より次に載せる。 また、箋注倭名類聚抄においては、エキ齊は「陶隠居云」として、集注から多くを引用しているが、その引用句を見た限りでは、【證類本草】(政和本草:WDB)に載る集注文からの引用であろう。

【エキ齊「和名抄引書」】倭名類聚抄が引用する「本草」関係

〔1〕本草{山石類十 鐵落 雲母 ……中略……○鮫 [亶]魚 鱧魚 鰻[麗] 鮎 鼈 海蛤 文蛤{略} 馬蛤 鰒{誤} 蛎{略} ……以下略}/[隋志]神農本草八巻{梁有神農本草五巻}神農本草四巻{雷公集注}神農本草経三巻 [旧志]{医術本草}神農本草三巻 [新志]{医術}神農本草三巻 本草二十巻{略}

〔2〕本草陶隠居{凝水石{略}金屑 銀屑 ……中略 ○[亶]魚 鱧魚 [是]魚 秦亀 ……以下略}/[隋志]梁有陶隠居本草十巻亡 [新志]陶弘景集注神農本草七巻

〔3〕本草蘇敬注{礬石 ……中略○鮎 秦亀 海蛤 ……以下略}/[旧志]{医術本草}新修本草{二十一巻蘇敬注} [新志]蘇敬新修本草二十一巻 [現在目]新修本草廿巻{孔志約撰}

〔4〕本草疏{温泉○沈香……以下略}

〔5〕本草拾遺{猯 ……中略……○鮫 田中蠃}/[新志]陳蔵器本草拾遺十巻{開元中人}

〔6〕本草稽疑{金青}

〔7〕呉氏本草{略}/[隋志]{梁有云・華陁弟子呉普本草六巻亡}[旧志]{医術}呉’氏本草囙{六巻普撰} [新志]呉’氏本草囙六巻{呉’普}……呉’→吴

〔8〕仁諝本草音義{鬢髪 ○鮫皮……中略……○鰒{不云仁諝}}/[現在目]本草音義一{仁諝’撰}

〔9〕揚玄操音義{鬢髪}/[現在目]本草注音一{揚玄撰}/[新志]本草音三巻{不知是否}

○『水経』スイケイ……『水経注』にしるす。

水経注』スイケイチュウ……【中】 中国の河川と地誌を記した地理書。『隋書』「経籍志」に、「水経三巻郭璞注」「水経四十巻酈善長注」が載り、『旧唐書』「芸文志」に「水経二巻郭璞撰」、『唐書』「芸文志」に 、「桑欽水経三巻一作郭璞撰」「酈道元注水経四十巻」が載る。『水經』(『水経』)は、漢の桑鈞(ソウキン:漢・成帝:在位紀元前33〜前7年のころの学者)撰とされるが、『漢書』「芸文志」に見えず、また郭璞(カクハク:西晋:276〜324)撰本もまた散佚してまったく伝わらず、原典撰著者および成立年は不明である。北魏・酈道元(レキドウゲン)(469〜527)が注を加えた書として、『水経四十巻』あるいは『水経注四十巻』として現代に伝わる。川水の「経流」(河川本流)と支流についての「水経」を記し、黄河にはじまり、揚子江水系から江南諸水、及び、その流域の都城・古跡を、多くの古書を引用して記す。 酈道元撰『水経注四十巻』は、内五巻を亡佚したまま、後世の各家により、加注編撰されて伝えられてきたが、宋代になると、本文と注文とが区別がつかないような混乱が生じていた という。「經注往々不合、又多意為改竄、殊失本来面目」あるいは「混淆」ぶりについて、清の戴震校本『水経注』序(乾隆39年)が書いている。明代になると、「永楽大典」に含む 文章、引用章句の校訂が行われるようになり、 黄省曽撰『水経四十巻』(合巻「山海経」)(明・嘉靖13年序)(A1)をはじめとして、明代考証学者たちによって、朱之臣撰『水經注刪八卷』、朱謀[韋]撰 『水經注箋四十卷』(萬暦43年、李長庚刻本。王禮培録。朱之臣ら批校」(A2)を生 む。清代となり、「水経注」研究はさらにすすみ、沈炳巽(1736〜1795)撰『水經注集釋訂訛』(四十巻) (B)、趙一清(1709〜1764)撰『水經註釋』四十卷(C1)及び『注箋刊誤』十二卷(C2)、戴震(1723〜1777)校『水経注』四十巻(D)、全祖望(1705〜1755)校『水経注』(全校水経注)四十巻及び『補遺・附録』 (E)などがまとめられた。戴震校本の序には、「旧本を重ねて校勘し、凡そ其の闕漏を補うは二千一百二十八字、其の妄増を刪するは一千四百四十八字、其の臆改せる者三千七百一十五字を正せり。」とし、「神明煥然として、旧観を頓還」し、三、四百年をへて旧体に復したと、記している。こうして復元した「水経」及び「注」のテキストは、乾隆年間に、紫禁城内の南西隅に建てられた建物に設置された木活字版の刻書処「武英殿(ぶえいでん)」 からとった「武英殿聚珍版」という名称を与えられ、定本として現代に伝わる。なお、近年までの研究の成果は、明、清版の誤りをさらに修訂した、王先謙(1842〜1917)『合校水経注』 (F)、楊守敬(1839〜1914)の校訂稿本を弟子の熊会貞が編撰した『水経注疏』(G)及び詳細な二色刷りの図に文字情報を落とし込んだ『水経注図』 (H)、王國維(1877〜1927)『水経注校』(I)などとなって現代に伝えられている。

   順抄本(倭名類聚抄)には、載らず、したがって、【エキ齊「和名抄引書」】にも、「水経」「水経注」の記載は見えない 。エキ齊箋注には利用されている。 ネットサイトのDBで利用できる画像は、前記紹介の主なテキストが、早稲田大学古典籍データベース、京都大学人文研「東方學デジタル圖書館」等に公開されている。

  ――【箋注記載項】〔10〕人魚)。

 

隋書』「経籍志」(『隋書 経籍志』)ずいしょ・けいせきし……【中】『隋書』は、85巻、唐の魏徴(ぎちょう)、長孫無忌(ちょうそんむき)らの編になる隋王朝の正史。二十四史の一。656年ごろ成立。「志」は「誌」で、書籍目録をいう。『隋書』「経籍志」は、「隋志」と略称され、中国の書籍、漢籍の分類法である四部(経・史・子・集)分類法を確立した漢籍目録。【箋注倭名類聚抄】読解の資料となる、エキ齊直筆「和名抄引書」(早稲田大学図書館蔵)の注記としてエキ齊が記した経籍志の略記は次のとおり。[隋志]は、『隋書』「経籍志」(『隋書』巻三十二、志第二十七)、[旧志]は『旧唐書』「経籍志」(旧唐書巻四十六、志第二十六)、[新志]は『新唐書』「芸文志」(唐書巻五十七、志第四十七)、[漢志]は『漢書』「芸文志」(漢書巻三十芸文志第十)に記された書名を記し、[現在書目]あるいは[現在(書)]は、わが国で891年ごろ成立した『日本国見在書目録』に記載された書名を記す。

説苑』ゼイエン……【中】訓戒的説話集。漢の劉向撰。平安時代にわが国に伝わったとされている。

正字通』セイジツウ……【中】音韻字書。12巻。明の張自烈著。清になってから寥文英によって版行された。

切韻』セツイン……【中】隋の時代に編まれた 最古の韻書・字書。5巻。 601年成立とされる。隋の陸法言撰(「陸詞切韻」ともよばれる。「箋注倭名類聚抄」では、「切韻」「切韵」二つの表記が使われている。)(顔之推ら8人が討論研究の末編纂)。 193韻に分類された韻書で、1万2158字を収録。韻で引く字書の代表的なもので、宋代編「廣韻」の206韻の範となった。韻は、平・上・去・入の四聲に分け、同じ韻の文字を一つに集め、その中でさらに同じ音の文字を集めて配列し、各音の最初の文字に、反切でその音を示し 字義を付した。以後の韻書の模範となったばかりでなく、当時の中国語の音韻を知るための不可欠の資料である。 中国には散逸して残らず、日本に伝えられ「東宮切韻」などとして残る。(『和漢三才図会(東洋文庫版)』7、「書名注」434ページほかより)→「唐韻」「廣韻」。 和名抄に載る「切韻」名の引用は、「陸詞切韻」のほか、[現在書目]に記された「切韻」名を付した各書を「【エキ齊「和名抄引書」】からあげておきたい。【エキ齊「和名抄引書」】@王仁煦{馬}[現在書目]切韻五巻{王仁煦撰}(△)〔オウジンク〕/A郭知玄{暈 梯 稾筆 ○駑馬}[現在目]切韻五巻{郭知玄撰}(△)〔カクチゲン〕/B薛c{芒 秉}〔箋注には「切韻」を付さないが「新美篇・輯佚資料」に「薛氏切韻」をあげる。〕/C祝尚丘{峰 碓 以下略}[現在目]切韻五巻{祝尚丘撰}〔シュクショウキュウ〕/D孫伷切韻{塔}[現在目]切韻五巻{孫撰}〔ソンチュウ〕/E孫切韻{嵐 ……中略……○鯔 }[現在目]切韻五巻{孫撰}〔ソンメン〕/F唐韻{霞 ……中略……○鯨鯢 鰹魚 [唐]魚  [番]魚 鯆魚  [馬] [反]魚 [生]魚 [時] [免] 鱗 鰓 鰭 鬣 鯁 馬蛤 白貝 海蛸子 殻 蟲’ ……以下略}[新志]{小〔小学〕}孫唐韻五巻/G麻果切韻{○[金+瓜] ○鰐 ○[高/木]}[現在書目]切韻五巻{麻果撰}〔△〕〔「新美篇・輯佚資料」「麻杲」(マコウ)〕/H裴務齊切韻{鶻}[現在目]切韻五巻{裴務齊撰}〔ヒムサイ〕/韓知十切韻{材木}[現在目]切韻五巻{韓知十撰}〔カンチジュウ〕/I蔣魴切韻{嶽 ……中略……}[現在書目]切韻五巻{魴撰}(△)〔ショウホウ〕/J陸詞切韻{霜 雪 ……中略……○鮫 }[旧志]{小学}切韻五巻{陸慈撰}[新志]陸慈切韻五巻〔リクシ・リクジ〕/K釋氏切韻{茄子}[新志]有僧猷智辨体補脩加字切韻五巻[現在目]切韻十巻{釋弘演撰}ーーーー〔「切韻十巻」となるが、「切韻五巻」正〕{沙門清徹撰}(△)〔シャクコウエン・サモンセイテツ〕/L考聲切韻{峡……中略……○[小] []}(△)〔一切経音義:張戩的考聲切韻〕〔チョウセン〕/M東宮切韻{囚……中略……}[詞林采葉抄八]東宮坊切韻曰橙{**〔二字不読〕郭知玄云大皮黄殻〔被?〕焉}(△)〔Mは菅原是善(すがわらのこれよし)(812〜880。平安時代前期の文人・公家):切韻をもとに篇撰した韻書。〕

  ――【箋注記載項】〔8〕鰐〔14〕鮫〔16〕〔35〕鯔[62][小]

○『説文』セツモン→『説文解字』セツモンカイジ

説文解字』セツモンカイジ……【中】後漢時代(25〜220年代)に許慎(キョシン)撰になる字書30巻 (現在では、上下に分けて1篇として、15篇)。100年ごろ成立。9300余字を540部に別けて、字形の類似をもとに配列し、各部の文字は、意味の関連にしたがって配列してある。 「長く文字学の聖典とされたが、甲骨文・金文資料が出土するに及んで改訂を要するところが多くなった。」(「字通」付録)ことによって改定がなされたが、そのうち、宋の徐鉉(じょげん)の校定本を「大徐本」、弟の徐[皆](じょかい)の校定本「説文解字繋伝」を「小徐本」という。代表的な注釈・注解書としては、清の段玉裁(ダンギョクサイ)による『説文解字注』 (32巻、附、六書音均表)があり、「段注」(ダンチュウ)と簡称される。 なお、許慎を「箋注倭名類聚抄」で狩谷エキ斎は「許叔重」と号で書いている。 箋注ほかの原典テキスト及び読解の参考書には、(1)『説文解字』(弟1-15)(徐鉉等校訂:大徐本:汲古閣版:早稲田大学古典籍ライブラリー)(WLDB)、(2)『説文解字注』(第1-15篇/段玉裁注)(王念孫序。嘉慶20年、経韵樓版本)(WLDB)、(3)『説文解字十五巻』 (「説文解字注」同治11年・崇文書局重刊本)(東京大学東洋文化研究所所蔵書:漢籍善本全文影像資料庫より)(TDB)。(4)『説文解字 説文解字全文検索』 2004年。国家教育部人文社会科学重点研究基地・華東師範大学中国文学研究與応用中心編。中国広州市・南方日報出版社刊 。(5)『説文入門―段玉裁の「説文解字注」を読むために』(頼惟勤監修・説文会編。1983年初版、1996年6版使用。大修館書店。)他―を利用した。

  ――【箋注記載項】〔1〕龍)。〔2〕虯龍) 。〔7〕[孚][布])。 〔10〕人魚)。〔49〕[完])。〔50〕鱒)。〔51〕[免])。〔52〕鯰(▲)。

○『説文解字注』セツモンカイジチュウ→『説文解字』

説文繋伝』(セツモンケイデン)(→『説文解字』)……【中】「説文考」(林泰輔(1854-1922)著『支那上代之研究』)「五代の末に當りて南唐に徐鉉(字は鼎臣)徐鍇(字は楚金)兄弟あり、倶に説文に精し、鍇は説文繋傳四十卷、及び説文解字篆韻譜五卷を著はせり、繋傳はその解釋には臣鍇曰、臣鍇按を以て之を標し、反切は朱翺の加へしものなり。その書今日傳はる所のものは、脱誤殊に甚しく、かつ卷二十五は全く亡びたれば、徐鉉本を以て之を補へり。徐鍇は學問文章はその兄に優りしと雖も、早く卒せしが、徐鉉はその後、宋に仕へて、太宗雍煕三年、命を受けて句中正、葛湍、王惟恭等と共に説文を校定し、或は刪落を爲し、或は新附字を増し、補釋は臣鉉等曰と題し、音切は孫愐の唐韻に從へりといふ、説文は元來音切なかりしが、後人之を附uして互に異同あるを以て、今之を一定せしなり。」 引用サイト=http://www.sinfonia.or.jp/~akiaki/setsumonko.html

節用集』セツヨウシュウ……室町中期(1400年代中ごろ成立)。「易林本節用集」(慶長2・1597易林による改訂・跋文)(正宗敦夫編・日本古典全集刊行会新板『日本古典全集』版)他。

  【参考サイト】財団法人阪本龍文文庫 →阪本龍文文庫善本電子画像集→古写本の部(他33点の一覧)→古事記(寛永5年写)/和玉篇(室町中期写本)/薬種調味抄(山科言綱筆)/節用集(室町中期写―伊勢本系統)/新撰字鏡(狩谷エキ斎筆―ただし魚部のある巻は欠)

山海経』センガイキョウ……【中】中国古代の伝承をもとに空想上の怪神や獣 や魚介、草木、金石等の産物が描かれている地理書。18巻あり秦漢時代成立とされるが著者は不詳。翻訳本「高馬三良訳。平成6・1994年。平凡社ライブラリー34」が 本文・注・解説ともに読みやすい。 (なお、高馬氏は、成立年代について「荘子〈孟子前372〜前289年と同年代〉、屈原〈前340〜前278年〉よりは前記の作品」と推定している。この説を取らせていただき、魚字尽関係年表に 「紀元前2世紀ごろ以前」と記しておきたい。)注釈書も多く、 郭璞(かくはく:276〜324。いわゆる「郭注」:「郭璞伝」)や清以降比較的新しい時代の書では、郝懿行 (カクイコウ:1755〜1825)の注(箋疏)による『山海経箋疏』(センガイキョウセンソ)が良く知られる。原典からの引用テキストは、早稲田大学古典籍データベース(WLDB)から、郝懿行疏『山海経箋疏』(せんがいきょうせんそ)(第一〜十八)4冊本(請求記号:ル05 03605/光緒13[1887]序。還読楼、上海)(【山海経箋疏】:郭璞伝/郝懿行箋疏。還読樓校刊本)を利用させてもらった。また、「山海経郭璞注電子テキスト:阮氏琅嬛僊館嘉慶十四年 (1814)刊本郝懿行『山海経箋疏』」(朴斎主頁(大野圭介氏の頁) をそのつど参照させていただいた。 なお、エキ齊が箋注ニ使用したテキストは、『経籍訪古志』の本書項には、「山海經十八巻{明嘉靖刊本 求古楼蔵}未見、」とあるのみで詳細は不詳。訳注に疑問が生じたときは別途、明嘉靖本を調査することにしたい。【エキ齊「和名抄引書」】山海経{魑魅○鸚鵡○蛟 蝸牛 ○奔草}/山海経注{腫○鸚鵡 G鷲 牙? ○人魚 蝸牛}[隋志]{地理}山海経二十三巻{郭璞注}[旧志]山海経十八巻{郭璞撰}[新志]郭璞注山海経二十三巻[現在目]山海経廿一巻{郭璞注?十八巻}

  ――【箋注記載項】〔4〕蛟〔10〕人魚〔11〕鮪)。〔24〕針魚(箴魚:▲)。[亶]。〔43〕[生]〔56〕[厥]魚(▲)。

前漢書』(ゼンカンジョ)『漢書』(カンジョ)を見よ.

千金翼方』センキンヨクホウ……【中】唐の時代、7世紀にまとめられた医学処方書。編著者・ 孫思邈(ソンシバク。真人。581〜682年。)は『千金要方』(せんきんようほう)30巻を編み、その書の不足を補うべく『千金翼方』30巻が編まれた。最古の医学書。和名抄に多く引用される。 利用テキストは、中医常識・歴代名著撰より「千金翼方:本草下」を利用させていただいている。 【箋注記載項】〔41〕鰻[麗]魚〔45〕鮒

箋注倭名類聚抄』センチュウワミョウルイジュショウ……江戸時代に書かれた 、「倭名類聚抄」の注釈研究書として代表的な文献であり、精緻な考証が加えられている。狩谷[木+夜]斎(カリヤエキサイ)著。エキサイを「書誌学者」として荒俣氏 (『世界大博物図鑑』)は位置付けている が、「漢学」者、あるいは、現代的表現を使うなら「考証学」者(森鴎外『渋江抽斎』46p)となるであろう。もうすこし、その学派の内容をしるせば、鴎外が書いている「即ち経籍の古版本、古抄本を捜り討めて、そのテクストを閲し、比較考勘する学派、クリチックをする学派」ということになるであろう。その意味からすれば「書誌学」でもよさそうだが、これも、鴎外のことばを借りれば「少しく西人のいわゆる髪をつかんで引き寄せた趣がある」(つまりコジツケということの)くくり方なのであろう。文政10・1827年完成・10巻本。刊行は、明治16・1883年内閣印刷局から刊行された。倭名類聚鈔の伝本諸本を収集調査し、10巻本(京本)を旧原本と定め定本として、10巻本7種、20巻本4種を定本と比較考証し精緻な注解を施した。手元には、『古典索引叢刊1 狩谷[木+夜]斎 箋注倭名類聚鈔』(京都帝国大学文学部国語学国文学研究室編。昭和18・1943年。全国書房発行)の必要部分のコピーをおいている。また、国立国会図書館・近代デジタルライブラリーで刊行本がデジタル閲覧が可能になった。MANAによる簡訳 (旅:ネットの恥はかき捨て)はこちら。 エキ齊が箋注のために整理した自筆の抄引用書(黒川眞道蔵書)が早稲田大学電子ライブラリーより「狩谷エキ斎 和名抄引書」として公開されており、本書読解のために、非常に参考になる。 【箋注記載項】は【箋注倭名類聚抄】をみよ。

蒼頡篇』(ソウケツヘン)……【中】蒼頡(そうけつ・そうきつ。倉頡とも書く。)は、黄帝の臣下で、鳥の足跡をみて、文字を作ったという、中国古代の伝説上の人物(「説文」序:黄帝之史倉頡、見鳥獣蹏迒之迹、知分理之可相別異也、初造書契。)。紀元前5000年もまえの遺跡から発掘された陶器破片に刻まれた刻紋が最古の文字とされ、以後紀元前13〜11Cにわたって栄えた殷の都あと(殷墟)から発掘された甲骨文字の刻紋や、青銅器に刻まれた金文、木簡、竹簡に書き記されてきた文字が、漢字の起源である。こうした多様に記されてきた文字の字体の統一を図ったのが秦の始皇帝。紀元前221年国家統一、秦王となり始皇帝をなのり、前212年坑儒をおこなうとともに、文字の統一をはかり小篆(しょうてん)を作る。始皇帝は、丞相(じょうしょう)李斯(りし)の奏上によって、字書「蒼頡篇」を作らせた(「説文」序:斯作倉頡篇)。「説文」以前に成立したとされる中国古代の字書であり、従来亡失して、一部の引用文以外知られなかったが、1977年に、揚子江河口に近い安徽省阜陽市(あんきしょうふようし)から出土した漢簡(漢代に書かれた木簡)に記された、その一部の解読と内容研究がすすんでいる(『説文以前小学書の研究』(福田哲之著)(第2編:阜陽漢簡『蒼頡篇』研究)2004年刊行されている―MANA未読)。【エキ齊「和名抄引書」】{〔頭注〕○}蒼頡篇{町 嬰児 ……以下略}/[隋志]{小学}三蒼三巻{郭璞注、秦相李斯作蒼頡篇、漢揚雄作訓纂〔篇〕、後漢郎中賈魴作滂喜篇、故曰三蒼、梁有蒼頡二巻、後漢司空杜林注、亡。}[旧志]{小}三蒼三巻{李斯等撰、郭璞解。}蒼頡訓詁二巻{杜林撰。}三蒼訓詁二巻{張揖撰。}[新志]{小}李斯等三蒼三巻{郭璞解。}杜林蒼頡訓詁二巻[現在書目]蒼頡篇一巻。【箋注記載項】

捜神記』(搜神記:そうじんき)……【中】20巻。東晋時代の干宝(かんぽう)編。4世紀成立の志怪小説集。六朝時代の説話を多く集め、中国小説の元祖として、のちに唐代伝奇小説に影響を与えた。

  ――【箋注掲載項目】〔20〕王餘魚(▲)。

楚辞』(ソジ)……【中】17巻。2世紀に成立。戦国時代末の屈原(前343?〜前277?)及びその後継者たちの辞を集めたもの。「楚辞」はもと楚の地方に発生した民謡で、句中に「兮(ケイ)」の字をはさみ、独特のリズムを生み出した韻文のひとつのジャンルである(【学研新漢和大字典】)。「離騒」「九歌」「天問」「九章」「遠遊」「卜居」「漁夫」「九辨」「招魂」の篇からなり、どれが屈原作かは諸説あるが、星川清孝著『楚辞』(明治書院「新釈漢文大系34」)の解題で「確実に屈賦と認められるものは「離騒」「九章」の十篇だけであろう」と書いている。【エキ齊「和名抄引書」】楚辞{漁夫 }/[漢志]{賦}屈原賦二十五篇{楚懐王大夫有列伝}/[旧志]{楚詞類}楚詞十六巻{王逸撰}楚詞十巻{郭璞撰}/[新志]王逸注楚辞十六巻、郭璞注楚辞十巻。//楚辞注{漁夫 羹}/離騒注{糈米}/[隋志]{楚辞}楚辞十二巻{並目録後漢校書郎王逸注}【箋注記載項】第八巻: 〔2〕離騒及天問注云) 。〔10〕人魚(楚辞天問:鯪魚)()。

 

【た行】

太平御覧』(タイヘイギョラン)……【中】中国宋代に成立した類書の一つ。 1000巻。同時期に編纂された「太平広記」、「冊府元亀」、「文苑英華」と合わせて四大書と称される。李ム(りぼう)等による奉勅撰、977年から983年(太平興国2〜8年)頃の成立とされている。 北斉成立『修文殿御覧』(亡佚書)にのる現在に伝わらない雑書に類する亡佚書を多くのせていることが、より利用価値を高くさせている。関係巻数参考(843〜867飲食部/868〜871火部/881〜884神鬼部/885〜888妖異部/889〜913獸部/914〜928羽族部/929〜943鱗介部/944〜951蟲豸部/952〜961木部/962〜962竹部/964〜975果部/976〜980菜部/984〜993藥部/994〜1000百卉部 )。【利用テキスト】国会図書館蔵「太平御覽」1000卷目録15卷、宋李炳奉等敕撰、歙鮑崇城刊、嘉慶23序( YD1-293、マイクロフィルム。請求記号:ぬ-3) 。電子画像・テキスト:京都大学電子LB「太平御覧」のうち第5冊「飲食部」。 類書については「類書について」(サイト:黄虎洞氏)参照。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布]) 。〔23〕梳齒魚)。〔31〕[番]魚

高橋氏文』タカハシノウジブミ……古記録。宮内省内膳司に使えた高橋氏が安曇氏と勢力を争い、家の伝承を奏上した789(延暦8)年の家記及びこれについての792年の太政官符。逸文として (「本朝月令」「政事要略」「年中行事秘抄」に引用された記述として)伝わる【広辞苑】。箋注読解のテキストとしては、伴信友著「高橋氏文考注」(天保13年3月20日序記載)(『伴信友全集』国書刊行会の第三巻。KKDB画像公開。)を使用し、その校注を主に参考とした。「堅魚」「鰹」をカタウオ→カツオと呼ぶ由来の考証だけでなく、古代カツオ釣漁のようすを、古記録をもとに近世カツオ漁の伝聞記録と比べながら、描き出すなど漁業史資料としても再評価されてよい文章である。「伴信友全集第三例言」に、「高橋氏文考注一巻:本書は、景行天皇以来歴代御膳の職に奉仕し来れる高橋氏の氏文の本朝月令、政事要略、年中行事秘抄等に引きたる残簡三章を採りて考注を加えしものなり。その原書は、延暦十一年〔792〕の上書にして、文章の古雅なるはいふも更なり、歴史上にも亦参考に供するに足る。翁本文の校訂に苦心せし事、一読して其痕跡を見るべし。さるは、高橋氏は、古来若狭國を賜はりたれば、翁生国の因あるにより、一層此書の考注に力を注ぎしものなるべし。本書は、活字本を定本とし、文学博士井上頼圀蔵写本及黒川氏蔵写本を以て校訂す。」と記す。

  ――【エキ齊「和名抄引書」】〔頭注 ○〕高橋氏文{雎鳩〔注:ミサゴ:エキ齊は箋注版本に記す「雎」を、隹→鳥に記す〕}

  ――【箋注記載項】〔12〕鰹魚(▲)。

中山伝信録』チュウザンデンシンロク……清の康煕58(1719)年に琉球尚敬王の冊封使として来島した徐葆光(ジョホコウ)が記した使録が「中山伝信録」。初版は康煕60(1721)年刊。自序に、命を奉じ康煕58年6月に琉球に来て8ヵ月滞在したとあり、その間に、琉球の制度、礼儀、風俗などを見聞した記録を図入りで記した。「中山」(ちゅうざん)は、琉球国王名。全6巻。その六巻が「風俗・日用器具・市場・武器・月令・物産・語彙」の「物産」の鰹節の製法について載る。明和3(1766)年京都で出版された「重刻」版(画像)が、琉球大学付属図書館「伊波普猷文庫」DB、早稲田大学古典籍DB、筑波大学図書館(沖縄歴史文献データベース)テキストデータに公開されている。

  ――【箋注記載項】〔12〕鰹魚(▲)。

東医宝鑑』トウイホウカン……【朝】朝鮮の医学書。25巻。朝鮮光海君5年(1613年)刊。許浚撰。内景篇、外景篇、難病篇、湯液篇、鍼灸篇にわけ、身体の構造から病気、薬、治療法などを述べた医学百科。許浚の生涯を描いた同名の大河小説が韓国でベストセラーとなり、最近日本でも翻訳されているらしい。おもしろそうだから今度読んでみよう。

唐韻』トウイン……【中】「唐韵」も同じ。5巻。倭名類聚抄に多く引用される。唐の孫(ソンメン)撰の字書。韻書と呼ばれる韻で引く字書。隋の陸法言撰の『切韻』(セツイン)を増補正した字書として「唐韻」が編まれた。「切韻」、「唐韻」ともに輯佚し原姿を伝えないが、宋代に陳彭年らにより「切韻」系韻書としてあらたに『廣韻』(「広韻」)が編まれ 、後に「集韻」として増補改定され現在に伝えられている。エキ齊「和名抄引書」の整理では、倭名類聚抄の表題字及び説・注文に「唐韻」記載語を480余語載せている。【 エキ齊「和名抄引書」】〔頭注:○:現在無キ印〕唐韻{霞 霤’(霤) 人神 道神 魑魅 ……中略……○鯨鯢  鰹魚 [唐]魚  [番]魚 鯆魚  [馬] [反]魚 [生]魚 。〔47〕[時]。〔51〕[免]。 鱗 鰓 鰭 鬣 鯁 馬蛤 白貝 海蛸子 殻 蟲’ ……以下略}[新志]{小〔小学〕}孫唐韻五巻。→「切韻」(せついん)をみよ。

  ――【箋注記載項】〔6〕鯨鯢。〔12〕鰹魚。 [唐]魚  [番]魚 鯆魚  [馬] [反]魚 [生]魚 。〔47〕[時]。〔51〕[免]〔56〕[厥]魚。 鱗 鰓 鰭 鬣 鯁 馬蛤 白貝 海蛸子

東雅』トウガ……新井白石著の語学書。「日東爾雅」を意味すると序にある。二十巻。享保2(1719)年成立。巻十七(禽鳥)、巻十八(畜獸)、巻十九(鱗介)、巻二十(蟲豸)。

東遊記』トウユウキ……紀行。橘南谿著。1784(天明4)年秋から2年間、京を出て江戸に至り、東海・東山・北陸を遍歴した間の佳話・異聞などを記録。前編五巻は、1795(寛政7)年刊、後編五巻は1897(寛政9)年刊(広辞苑)。同時期刊行された同著者による『西遊記』(正・続編各五巻)とともに「東西遊記」とも併称される。デジタル版としてWKDB:大阪・吉田善蔵版本(10冊)が利用できる。――【箋注記載項】(参考):〔1〕龍

 

【な行】

南州異物志』ナンシュウイブツシ……【中】地理書。亡佚し伝本なし。【エキ齊「和名抄引書」】南州異物志{浅香 鶏舌香 青香 零陵香{疑}甲香}/[隋志]{地理}異物志一巻{後漢議郎楊孚撰}南州異物志一巻{呉’丹楊太守萬震撰}[旧志]南州異物志一巻{萬震撰}[新志]萬震南州異物志一巻。→「異物志」(イブツシ)

日東魚譜』ニットウギョフ……日本最初の魚介図説で、神田玄泉著画。未刊。1731(享保16)年には巻1〜7の稿が成立している(荒俣「世界大博物図鑑」)。国会図書館蔵「日東魚譜」5冊(写本)は、1741(元文6)年記載複写を手元に置き使用。

日本紀私記』ニホンギシキ……「本朝書籍目録」(鎌倉時代後期1278〜1293年に成立)には、7つの「私記」と「日本紀私記三巻」の8つの私記が載るが、これらは、奈良時代から平安時代に朝廷で「日本書紀」に関する講義をした博士らの記録であり、それらを総じて「日本紀私記」という。(『国語学研究事典』佐藤喜代治編、明治書院)『国史大系8』に「日本紀私記」を収める。【エキ齊「和名抄引書」】日本紀私記{陽鳥 霈 雪 天神 地神 山神 海神 産霊 …中略…邪鬼 水神 …中略…○貝蛸 虵 蠛蠓}……他に、エキ齊の記載漏れとして、龍魚部中に「蛟」(〔4〕)が載る。

  ――【箋注記載項】〔4〕蛟

日本紀略』ニホンキリャク……神代から後一条天皇までの重要な史実を漢文で編年体に略記した史書。編者不詳。34巻。神代は、日本書紀神代紀をそのまま載せており、神武天皇より光孝天皇までは六国史を略記し、宇多天皇より以下が日記、記録により記される。

  ――【箋注記載項】 〔10〕人魚)。〔41〕鰻[麗]魚

日本書紀』ニホンショキ(「日本紀」ニホンギ)……六国史の一。30巻。720年舎人親王・太安万侶らの撰進によりなったわが国最古の勅撰、編年体史書。神代、神武以降、持統天皇までの事跡を漢文で記述した。 使用テキストは、@【日本書紀】(岩波文庫『日本書紀』坂本・家永・井上・大野校注)全5冊を基本におき、必要に応じA伴信友校「日本書紀」三冊(KTKDL)等を参照した。倭名類聚鈔においては、【エキ齊「和名抄引書」】の記載では、「日本紀」として、3箇所(@[旱皮]=トモ=鞆(十巻本中第二巻射芸具二十四)、A真珠=しらたま(同巻第三珍宝部第八玉石類四十)、B玉籤=たまくし(同巻第五調度部第十四祭祀具七十)に載る(Aは実際には「日本紀私記」を記す)。

  ――【箋注記載項】〔1〕龍)。〔4〕蛟)。〔5〕魚)。 〔10〕人魚)。〔11〕鮪)。 〔19〕海[即]魚(▲)。〔25〕[覃]魚(▲)。〔38〕[制])。

日本文徳天皇実録』ニホンモントクテンノウジツロク……平安時代の日本で編纂された歴史書で、「六国史」の第五。10巻。文徳天皇の代、嘉祥3年(850年)から天安2年 (858年) までの8年間を扱う。略して『文徳実録』ともいう。編年体、漢文、全10巻。897年完成とされる。【箋注記載項】〔10〕人魚。 〔41〕鰻[麗]魚

寧波府志』ネイハフシ……【中】明の時代の張時徹ら複数人の撰になる浙江省寧波府の地方志。42巻。 第12巻物産篇の「鱗之属」「介之属」に海産品の記事が載る。〔13〕[乞]魚)。竹夾魚(→鰺)。〔30〕[番]魚

 

【は行】

○『博物志』ハクブツシ……【中】晋の張華(232〜300)編撰の中国古代の百科事典的博物学書。成立年代不詳。10巻。内容は、〔巻一〕地理・山水總論・五方人民・物産他/〔巻二〕外国・異俗・異産他/〔巻三〕異獸・異鳥・異蟲・異魚・異草木/〔巻四〕物理/物類・藥物・藥論他/〔巻五〕方士・服食他〔巻六〕人名考・物名考他/〔巻七〕異聞/〔巻八〕史補/〔巻九〕雜説上/〔巻十〕:雜説下。【エキ齊「和名抄引書」】(62丁裏)博物志{囲碁…以下略}:[隋志]{雑}博物志十巻{張華撰}。[旧志]{小説}同。[新志]張華博物志十巻。

埤雅』『土+卑雅』ヒガ……【中】二十巻。宋時代 の陸佃(りくでん:1042〜1102) 撰。詩経に登場する「鳥獣草木蟲魚」を現代流の言葉で言えば博物学的手法で、そのものの名の由来・解釈(名物考証:名物学)を記す。巻第一「釋魚」(その1:龍、鯉、[方]、[嘗]、鱧、[匽]、鱒、鮪、[亶]、[沙]、[條]、鮒、[與]、鮫、鰌、蛟)、巻第二「釋魚」(その2:龜、蠏、烏[則]、鼉、鼈、黿、蟾蜍、蚌、蝸、蜃、貝、鰻、鱟、嘉魚)、巻第三〜五「釋獣」、巻第六〜九「釋鳥」、巻第十〜十一「釋蟲」、巻第十二「釋馬」、巻第十三〜十四「釋木」、巻第十五〜十八「釋艸」、巻第十九〜二十「釋天」。【箋注記載項】〔37〕鱧。 テキストは、早稲田大学古典籍アーカイブス:「【ヒ】雅. 巻第1-20 / 陸佃 撰」(発行年次不明書)を利用。

閩書』『南産志』ビンショ ・ナンザンシ……【中】ビン(間<日→虫>)書は明時代に成立した中国華南地方 (福建省)の地誌物産誌の書名。 全754巻。南産志は、その第150巻、第151巻にあたり、1751(宝暦1)年に、大阪の儒医・大江都賀(庭鐘)がこの上下2巻の和刻本を編した。下巻が動物部にあたり、魚類等の記述がなされ、江戸後期の本蔵書に影響を与えた。箋注〔31〕[番]魚

閩中海錯疏』ビンチュウカイサクソ……【中】明代1596年(万暦丙申・24年)、屠本o(とほんしゅん)により編まれた水産動物誌・海洋生物専書としては 中国初めての書とされる。四庫全書におさめられた徐[火+勃]による「補疏」3巻がよく知られる。全書補疏は、 ビン中(中国福建地方)海水族のうち、鱗部(即有鱗片的魚類)2巻に計167種、介部(即貝類和甲殼類)1巻に90種が載る。(参照:『魚博物学(魚的社会科学)』頼春福編著、水産出版局、1995年・台湾刊より「考魚篇」《閩中海錯疏》的魚類179頁〜) テキストは、国会図書館蔵本(天保7年写本:特1-234)を使用。

  ――【箋注記載項】〔17〕鯛(▲)。〔19〕海[即’](▲)。〔38〕[制]〔53〕[頤−頁]

福州府志』フクシュウフシ……【中】(1)[正コ版]福州府志四十卷:正コ15年(1520)刊:叶溥撰。(2)[乾隆]福州府志76卷、首1卷:乾隆19年(1754)初版刊:曾U撰。の2冊があり、【箋注倭名類聚抄】「いしぶし」([魚+頤−頁]=イ)の項においては、どちらの書をさしてエキ齊は引用したのか、原典要確認。

  ――【箋注記載項】〔53〕[頤−頁]

物類称呼』ブツルイショウコ……江戸時代編纂された 「諸国方言」辞典の代表的な本。安永4・1775年刊記。東條操校訂による岩波文庫(岩波書店・昭和16・1941年初版)昭和52・1977年記念復刊版所蔵。『諸国方言 物類稱呼』(京都大学文学部国語学国文学研究室編。京都大学国文学会。昭和48・1973年)も一部コピーをして適宜参照にしている。 五巻。天地・人倫(一巻)、動物(二巻)、生植(三巻)、器用・衣食(四巻)、言語(五巻)に分かつ。魚介水棲動物は二巻に含む。首題語は次のとおり。こひ(鯉)、たなご([節])、なよし(鯔)、たひ(棘鬣魚)、くろだひ(烏頬魚)、かれひ・ひらめ(比目魚)、うしのした(鞋底魚)、きすご(幾須古)、あこ(阿古)、もうを(藻魚)、めばる(目張)、かさご(笠子魚)、いさき(伊佐木)、あいなめ(鮎魚女)、はうぼう(保宇保宇)、かながしら(方頭魚)、……いしもち(石首魚)、にべ([遂][夷])、……。

弁色立成『辨色立成』ベンシキリュウジョウ(ベンショク・リ ッセイ:読みかた不詳・要確認)……奈良時代に編まれた漢和字書。同様の「楊氏漢語抄」とともに、抄本文に多く引用される。抄源順序に「古語多く載れども和名希に存れり。弁色立成十有八章は、楊家説〔楊氏漢語抄〕と名異実同にして、編し録するの間頗る長短あり。其余の漢語抄は、何人の撰なるかを知らず。」とある。エキ齊「和名抄引書」には、二書とも頭注に「△」(有るか無きか不詳)が記され、エキ齊も亡佚か、どこかに蔵書されているか不明としている。エキ齊「和名抄引書」:辨色立成(頭注:△){〔巻一〕暈 暴雨 井 糞堆 嬰児 総角 乳母 泉郎 [仮(反→兪)]児 伯父 叔父 叔母 舅 外舅 外姑 婦兄弟○〔巻二〕 ……中略……〔巻八〕鮝 [宣]魚 海[即]魚 梳齒魚 [馬] [免] 石炎螺 大辛螺 蚶 馬蛤 白貝 錦貝}/[現在書目]{雑家}弁色立成一巻。

  ―― 【箋注記載項】〔9〕鮝魚〔15〕[宣]魚〔18〕厖魚(▲)。 〔19〕海[即]魚(▲)。〔23〕梳齒魚〔31〕[番]魚〔32〕[甫]魚〔36〕[馬]。〔51〕[免]〔59〕鮠

墨子五行記』ボクシゴギョウキ……【中】隋書経籍志 に医方書。亡佚書。エキ齊「和名抄引書」=墨子五行記{雲脂}/[隋志]{医方}、墨子枕内五行記要一巻。

○「本草」→神農本草経(しんのうほんぞうけい)を見よ。

本草音義』ホンゾウオンギ→「仁諝本草音義」(ジンショホンゾウオンギ)

本草綱目』ホンゾウコウモク……【中】明の李時珍(1518〜1593)が諸本草書を集成・増補して1578年に『本草綱目』として完成させ、1596年出版。日本暦は慶長元年。慶長9年(1604)以前に日本に到来している。『本草綱目』は、動植物の形態などの博物誌的記述が従前の本草書より優れ、この点が日本人に大きな影響を与え、中国からたびたび輸入されるとともに、和刻本も続出、幕末に至るまで本草学の基本文献として尊重されてきた。(この項:国会図書館HP「描かれた動物・植物―江戸時代の博物誌」参照)初刷り刊行地の名前から「金稜本」と称する日本に十冊とない貴重書のうちの一冊(国会図書館貴重本の全画像)が公開されているのだから、うれしい限りである。全27冊52巻中、水産動物魚類については、第24冊(第43巻〜46巻)に載る。その内訳は、○第43巻:鱗部四類(鱗之一:龍類九種:鱗之二:蛇類一十七種)/○第44巻:鱗部二(鱗之三:魚類二十八種:鱗之四:無鱗魚類三十一種:附録九種)/第45巻:介部二類(介之一:龜龞類一十七種)/第46巻:介部二(介之二:蚌蛤類二十九種)。『新註校訂 国訳本草綱目』(全15冊)(鈴木真海訳。春陽堂書店。昭和5年〈1930〉初版。昭和55年〈1980〉年復刻再版)の該当箇所(第十冊:原書39巻〜44巻など)を適宜参考にした (引用の場合は「国訳本草綱目」あるいは「国訳」と略記)。また、同訳本には、本草学研究者、生物学者ら(旧版:白井光太郎博士。新註校訂者:木村重博士・上野益三博士ら) により、種・和名の校訂を加えていることが、特に貴重であり、箋注訳注に際して、多くを参考させていただいている。ただし、分類学や魚類学により、漢字魚名表記生物をすべてに同定が可能かと言うと、これもまた無理である場合もあり、すくなくとも、魚類や水生生物について、箋注読解に当たっては、「国訳」記載の学名同定に盲従することは避けなくてはならない姿勢であろう。また、エキ齊が、引用書を「証類本草」とするばあいと、「本草綱目」とする場合の使い分けについても、その意図を読み取る必要もあるような気がしている。

  ――【箋注記載項】〔20〕王餘魚(▲)。〔48〕鱸(▲)。〔49〕[完](▲)。〔50〕鱒(▲)。〔54〕[庸](▲)。〔56〕[厥]魚(▲)。〔57〕鮎(▲)。〔59〕鮠(▲)。〔60〕[末](▲)。

本草綱目啓蒙』ホンゾウコウモクケイモウ……小野蘭山(享保14・1729年〜文化7・1810年)著。48巻。

  ――【箋注掲載項目】〔51〕[免]

本草拾遺』ホンゾウシュウイ……【中】唐の本草書、10巻。 陳蔵器(ちんぞうき)が、陶弘景「神農本草(経)」を補って編んだもので、739年ごろ成立とされる(上野益三「年表日本博物学史」 1989年)。亡佚して内容・成立は不詳。「陳蔵器本草」とも呼ばれる。エキ齊「和名抄引書」では、「本草拾遺/[新志]陳蔵器本草拾遺十巻{開元中人}」とある。 また、『新修本草』中に「陳蔵器云」「陳蔵器餘(余)」あるいは「蔵器餘(余)」と「本草拾遺」の記述が引用されている。【箋注記載項】巻8 :〔7〕[孚][布])。〔14〕鮫(▲)。[亶]。[邵陽魚]。

本草和名』ホンゾウワミョウ……本邦最古の本草書にして漢字と和名を対照させた字書。深根〔江〕輔仁(フカネ〔エ〕ノスケヒト)著、延喜18・918年ごろ成立。唐の「新修本草」に載る薬物を主体として1025種の漢名を抜き出し和名を対照させ考定を加えてある。和産の有無、産地名を注記として与えている 項目を含むことが貴重。日本古典全集刊行会「日本古典全集第一回」版(大正15・1926年刊)復刻された。古典全集版「解題」の書誌によれば、「久しく所在失っていたのであるが、徳川末期の医学者、考証家であった多紀元簡(丹波氏)がたまたま是の古写本を幕府の書庫に発見し、内外の古書によって誤字を校訂し、さらに頭注及び序跋をも加えて寛政8年(1796年)に板行し」(上巻8ページ)たもので、「寛政版」と呼ばれる。また、古典全集に加えられた複製本の原本は、この寛政版に、森枳園父子による書き入れのされた書で、大槻文彦所蔵本である。エキ齊、抽斎、多紀、森枳園、大槻と 、国学・本草学・考証学から博物学、現代国語学の一大人脈の縁で結ばれた複製版からは、「箋注倭名類聚抄」読解にあたっての重要資料である以上に、考証学の奥義を感じるようなきがする。

    ――【箋注記載項】〔6〕鯨鯢(▲)。〔12〕鰹 魚(▲)。〔14〕鮫(▲)。〔17〕鯛(▲)。〔18〕厖魚(▲)。〔20〕王餘魚(「輔仁」)。〔24〕針魚(▲)。〔25〕[覃]魚(▲)。〔48〕鱸(▲)。〔50〕鱒(▲)。〔52〕鯰(▲)。〔54〕[庸]

本朝月令』(ほんちょうがつりょう)(ほんちょうげつれい)……【広辞苑】有職(ゆうそく)書。朱雀、村上両朝の行事を上げ、その起源・沿革を解説する。元四巻あるいは六巻。現存残欠。惟宗公方著という。『群書類従』巻第81(第六輯、「公事部」所収)。→「高橋氏文」(たかはしのうじぶみ)を見よ.

  ――【箋注記載項】〔12〕鰹魚(▲)。

 

【ま行】

万葉集』マンヨウシュウ……二十巻。現存最古の歌集。岩波文庫『万葉集』の 「概説」では、雄略期から淳仁(759)までに作られた合計4536の歌数をあげている。『世界大博物図鑑』の「博物学関係書名索引」では、歌数の典拠を示してはいないが、「4156首の長短歌のうち動物は741種にでてくる。よまれる脊椎動物は86種、うち魚類は14種」と書いている。詳細な数の検証は後日したいが、伴信友が整理した 『動植物名彙』の巻八「魚類編」から、万葉集に載る品目を抽出すると次のようになる。

@アユ、Aアチ、Bイサナ、Cウナギ(ムナギ)、Dカツヲ、Eツナシ(コノシロ)、Fサメ、Gシヒ(シビ)、Hスヾキ(スズキ)、Iタヒ、Jヒヲ、Kハヤ(?)、Lミズチ(蛟龍)

  と、ハヤ(ハヘ:未確認)とミズチを加えても14種にならない。箋注現代語訳注に使用するテキストは、@岩波文庫本『新訂新訓 万葉集』(上・下巻)(佐々木信綱編)、同『白文万葉集』(上下2巻 )いずれも定本を寛永版本にとり諸本により注に明示して修正を加えている。Aネットで画像閲覧ができる「早稲田大学古典籍データベース」より、『万葉集』(二十巻)寳永六年版本(出雲寺和泉掾刊本) を適宜参照した。

  ――【箋注掲載項目】〔3〕螭龍(▲)。〔48〕鱸(▲)。

    

毛詩正義モウシセイギ……「詩経」参照。

毛詩草木鳥獣蟲魚疏』モウシソウモクチョウジュウチュウギョソ……【中】陸[機(木→王)](りくき)による毛詩の動植物語彙を集めて 博物学的注釈を加えた書。「詩経(しきょう)」参照。

文字集略モジシュウリャク……【中】中国古字書。1巻。梁代に阮考緒 (ゲンコウチョ)による編。亡佚して伝わらない【エキ齊「和名抄引書」】文字集略(頭注○){霈 姫’ 乳母 君 臣僕 巫覡 人 圉人 高祖父 曽祖父 妾○顱 [額(客→盍)] [目+綿] [持(寺→弟)] 鬌 脅肋 ■ 術芸○……中略……○草 蕣 [竹/甘]竹 櫻 ○龍 虯龍 螭龍 魚 [覃]魚 [亶] [蚤] [白]魚 鱗 [票] 蜆貝 甲 [虫+冉][虫+也] 蜻[虫+列] [蠢(春→亡)]} /[隋志]文字集略六巻{梁、阮考緒撰}、[旧志]同一巻{阮考緒撰}、[新志]阮考緒文字集略一巻 、[現在]。

  ――【箋注記載項〔1〕龍〔2〕虯龍〔3〕螭龍〔5〕魚〔25〕[覃]魚。[亶] 。〔46〕[蚤]〔61〕[白]魚。/鱗/[票]/蜆貝/甲。

文選』モンゼン……【中】中国最初の詩文集。南北朝時代、梁の昭明太子蕭統(しょうめいたいし・しょうとう)(501〜531)の編。60巻。530年ごろ成立。周から梁の時代までの約千年の間に作られたおよそ百三十人の詩文作品を集める。「昭明文選」とも呼ばれる。箋注第八巻関係では、張衡「西京賦」「東京賦」、左思「呉都賦」ほか三都賦、司馬相如「上林賦」、楊雄「羽獵賦并序」、「解嘲并序」、郭璞「海賦」「江賦」など抄本文・箋注が引用する詩句は非常に多い。【エキ齊「和名抄引書」】@文選{陽鳥 [焱+風](飆) 霙雪賦 海神 樹神 潟 獵師 漁子 水手 …中略…○藻…後略}[隋志]{總集}文選三十巻{梁昭明太子撰}、[旧志]同、[新志]梁昭明太子文選三十巻。A文選注{淀 水手○帆柱…中略…○鰭}[旧志]{總}文選六十巻{季善注}、[新志]季善注文選六十巻。B又{童薜綜 母兄 …後略}。C[新志]五臣注文選三十巻{衢州常山尉呂延済、都水使者劉承祖男良、処士張銑呂向李周翰注、開元六年、工部侍郎呂延祚上之。}……なお、「文選」についてのテキストについてはサイト解説中でも「文教大学付属図書館漢籍コレクション蔵書解題」が読みやすくわかりやすいので、リンクしておく。 また、【広島大学中文HP「文選のページ」(http://home.hiroshima-u.ac.jp/cbn/wenxuan.htm)『文選』とは:1『文選』について、2編者昭明太子について、3李善の注について】 がわかりやすく、また丁寧である。 利用テキストは、@【文選】(六十卷:梁・昭明太子蕭統輯:唐・李善注:嘉靖元年 金臺汪諒校刊本:32册:東大東文研)(略:「嘉靖金臺汪諒校刊本」TLDB)、A【文選】(六十巻:昭明太子蕭統輯:六臣註文:寛永二年和刻活字本:東大東文研)(略:「寛永和刻本」TLDB)B新釈漢文大系(明治書院)等。

  ――【箋注記載項】〔22〕[椶(木→魚)](▲)。〔51〕[免](▲)。

○『文徳実録』(モントクジツロク)→『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく)

 

【や行】

 

訳官雑字簿』ヤッカンザツジボ……嘉永3年・1850年写之記載本。原本は小野蘭山による「安永庚子之冬十二月六日謄写終功」(安永9年=1780年)の巻末書付のある写本を井岡冽(桜泉)が所蔵していた和装手稿本。「雑字簿」は、中国から伝わった漢字俗字単語集。手元には、国会図書館白井文庫蔵本の複写をおく。―ヤッカンザツジボ。 なお、「唐話辞書類集」古典研究会編、第19集に載る「譯官雑字簿」が翻刻活字になる。また、「「訳官雑字簿」の研究」1〜2(石山曙生、萩原義雄著)が北海道駒澤大学大学研究紀要20〜21、「唐話辞書『訳官雑字簿』の研究 その3 訳語索引編」(萩原義雄著)岩見沢駒澤短期大学論集1 がある。 なお『訳伝雑字簿』(やくでんざつじぼ)を記す書(「本朝食鑑」東洋文庫第4冊中の島田注・解説の鯖の項の「注四」90頁が載る。)もあるが、別書か同一書か不明。【箋注記載項】〔30〕鯖〔39〕[反]魚。〔47〕[時]

大和本草』ヤマトホンゾウ……江戸時代の本草書。貝原篤信(益軒)著。宝永6・1708年刊。テキストは、中村学園・貝原益軒アーカイブ http://www.nakamura-u.ac.jp/~library/kaibara/yama/head.htm からPDFファイルをダウンロードして使用した。おもに「巻乃十三」魚より引用している。また、この書の特徴として、漢字名と和名とを無理に当てはめないで、漢字にない和産品・生物に対してカタカナ表記で邦名を示し考証を加えているところが、『本朝食鑑』の人見必大の識見とともにおおいに参考となるところである。また、本書は、「矢野宗幹・田中茂穂・岸田松若注。有明書房・発行(平成4・1992年)」があり、魚類項目に、魚類学者の田中茂穂が注を担当していることで、現在の分類学との対照がされる品目が特定されていることが、われわれ素人の物好きなザッコロジストには非常に参考になる。

遊仙窟』ユウセンクツ……【中】1巻。唐の張(チョウサク:文成)の著になる伝奇小説で7世紀末に成立。万葉集に引用されるなど、わが国でも広く読まれた。「『遊仙窟』は唐代の伝奇小説である。あらすじは、「作者が河源に使して神仙の窟に迷い込み、五嫂・十娘の両仙女に会って宴楽歓語し、詩句を以て相対応し、ついに十娘と結ばれるという筋」(『中国学芸大事典』より)で、「詩歌に隠語を用いて猥褻にわたるところがある」ともいう。当時は流行し、わが国にも伝えられたが、中国ではその後失われて、日本だけに残るいわゆる佚存書である。」(山田孝雄文庫の資料・22・遊仙窟―富山市立図書館図書館だより・第22号)(山田孝雄文庫がここにあるのか、という備忘録のつもりで引用しておこう)【エキ齊「和名抄引書」】(72丁裏)遊仙窟{窮鬼 叟 顔面 眼 眦 [要/月] 手子 魚條 雉脯 疊子 ○几 筵 ○臎 ○鯔}/[現在目]{別集家}遊仙窟一。【箋注記載項】〔35〕鯔

酉陽雑俎』ユウヨウザツソ……【中】全20巻、続集10巻からなる百科全書的随筆集。中国・晩唐時代の860年頃成立。段成式著。仏教・道教の話、入墨の話、 動植物魚介類、呪術や奇怪な話、食べものなど、博物学的知の集積された話が収められている。平凡社・東洋文庫版(5分冊)(今村与志雄訳注)で読むことができる。 巻十六から巻十九に「動植物雑纂」が載り、巻十七に650話から716話「広動植之ニ」「動植物雑纂そのニ」鱗介篇魚介類、蟲篇蟲類が載る。

  ――【箋注記載項】〔7〕[孚][布])。〔44〕鯉魚

楊玄操音義』ヨウゲンソウオンギ……“MAYANAGI Makoto and SHEN Shunong”による「『医心方』に記述される「経義解」の検討」URL=

http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper01/ishinpo.htm

  に、次の記述あり、引用させてもらった。――『見在書目録』の楊玄操『脈経音』も他に記録が みあたらない。ちなみに玄操の他の著述は『見在書目録』に楊玄操『黄帝八十一難経』九巻(30)・楊玄操『八十一難音義』一巻・楊玄(操)『本草注音』一巻・楊玄操『針経音』一巻・楊玄操『明堂音義』二巻(31)、『宋史』芸文志に楊玄操『素問釈音』一巻が著録される(32)。また『医心方』に一回引用される「楊音」(7) は薬名の藜蘆への反切で、同文が九一八年頃の『本草和名』上巻にも「楊玄操音」として記載される。これら『本草和名』が多量に引用する「楊玄操」「楊玄操音」「楊玄操音義」(33)は記述内容から同一書、かつ『見在書目録』の楊玄(操)『本草注音』のことと推定できる。楊玄操の書はよく利用されて著名だったらしく、楊玄操『…音義』を楊『音』とまで略しても誤解されなかったのだろう。また『本草注音』は『本草音義』とも呼ばれたらしい。同様に楊玄操『脈経音』には「脈経音義」などの別称があった可能性も疑っておくべきだろう。――『見在書目録』=895年頃成立『日本国見在書目録』(同論文引用文の前のセンテンスより。)

楊氏漢語抄」(ようしかんごしょう)……倭名類聚抄に 「漢語抄」として多く引用される書名だが、 【エキ齊「和名抄引書」】では、「揚氏漢語抄」として、「△」印(「有無不明書の印歟」)がつく項目として分類し、「暴雨」〜「蠛蠓」まで約340余項に引用されている。源順序によれば「古語多く載れども和名希に存れり。弁色立成十有八章は、楊家説と名異実同にして、編し録するの間頗る長短あり。其余の漢語抄は、何人の撰なるかを知らず。」(「序」読み下し該当箇所)と、「揚氏漢語抄」と異なる種類の「漢語抄」が「余」種存在していたことがわかる。エキ齊が 箋注し、「漢語抄、今、伝本なし、巻数や撰人ならびに攷すべきものが無い。」と書いている。つまり、佚書としていまに伝わらず、漢語を和訳し、和名を付した国書であることがわかっているだけで不詳。 【エキ齊「和名抄引書」】{暴雨 暴風 …中略…○鰹魚 [乞]魚 [唐]魚 鰧 [番]魚 [夸]魚 鰯 魬魚 [時] [完] 鯰 [厥]魚 鮎 [是]魚 鮠 [末] 鮊 細魚 脬 鰾 龜 甲臝子 棘甲臝 石陰子 小臝子 石炎螺 小辛螺 大辛螺 老海鼠 …以下略}(〔頭注〕△)

  ――【箋注記載項】 〔12〕鰹魚。[13][乞]魚〔34〕鰯〔46〕[蚤]〔47〕[時]〔52〕鯰〔56〕[厥]魚〔57〕鮎〔59〕鮠〔61〕[白]=鮊。〔63〕細魚

 

【ら・わ行】

礼記』ライキ……【中】中国古代、戦国時代・秦・漢にわたる時代の儀礼に関すること(【広辞苑】)、孔子学派から分かれた諸家の文化風習についての論【学研新漢和大字典】をまとめた書。三礼(周礼・儀礼・禮記)のうち前二礼が公(国家・王と諸侯)について記すのに対し礼記は家族個人・社会の礼・作法・歳時を記しているのが特徴。 成立年代は不詳だが、漢の戴聖(たいせい)撰、50篇。「大戴礼記」(戴徳撰)と「小戴礼記」(戴聖撰)があるが、礼記という場合は「小戴礼記」を指す。五経の一。十三経の一。注釈書は、後漢の「鄭玄注」、唐の孔穎達疏の『礼記正義』(『十三経注疏』にふくまれる)、陳澔注『礼記集説』など多数。月令篇、大学篇、中庸篇など独立して論じられることが多い。【エキ齊「和名抄引書」】禮記{纓(エイ・ヒモ) 鹿脯(ホシシ) ○犠牲{疑}(イケニヘ) ○遊牝 [殖(直→責)] }/禮記注{陂堤 童 丞 [脯(甫→粛)] ……○穀 ○芸}/[隋志]禮記二十巻{漢九江太守戴聖撰、鄭玄注}[旧志]小戴禮記二十巻{戴撰、鄭玄注}[新志]鄭玄注小戴聖禮記二十巻。

龍龕手鑑』リュウガンシュカン・リュウガンテカガミ……【中】中国の古字書。中国・遼の行均により編まれ 、統和十五年(997)沙門智光序撰になる。朝鮮国刊本になる8巻本(贈訂本)と4巻本がある。京都大学貴重書データベースより「京都大学蔵本」 (「リュウガンテカガミ」を訓みとしている)が利用でき、魚部文字は第3巻「魚部第35〜」、虫部文字は第4巻「虫部第二」で公開閲覧することができる。 240部首、26430余字を載せる。また、早稲田大学古典籍総合データベースからも画像閲覧が可能である。『説文解字』が、篆書体の字形により部首をたてたのにたいして、楷書体の字形によって部首を立てた字書。 現代の利用法としては、下記稲垣解説にあるように「なおあまねく異体字を集めた」字書として、原文テキストを読解するときにはとても重宝する、ということがあげられよう。稲垣淳央ウェブサイトに、「○龍龕手鑑(木村正辞著『欟斎雑攷』巻二)/龍龕手鑑はいとよきものなり、こは四庫全書提要にもいへるごとく、もと顔氏の干禄字書に効ひて、猶普く異体字を集めたるものなり、皇国の古書には、日本書紀をはじめいづれも異体字を多く用ゐたる事なれば、古書をよまむには、必ずこの書をかたへにおきて合せ見るべき也、但し今本邦に伝ふるもの先づは三本 〔MANA:仮にA本、B本、C本とする〕あり、其一は本邦刊本活版にて八巻〔A本〕に分てり、一は清刻単行本(B本)、一は清の李調元が函海本〔C本〕なり、ともに四巻に分つ、(此他も猶異本あるが未攷、)さて此三本の優劣を云はむに、まづ函海本は誤り多くて云までもなし、単行本の方はげに行均が原本の体式なるべく見えたり、されど伝写の誤りなきにしもあらず、さて本邦刻本は後人の増加ありて、西土の本に較ぶるに、字数甚だ多く且つ金の部第一には、毎字の下に其字形の凡例をしるしたり、これらも増加のとき加へたるにや、または西土伝来の本は、後人の刪節したるものにや猶考ふべし、此本もと朝鮮国刻本に拠たるなり、其増加字は朝鮮にて増したるにか、またはやく西土に増加本ありて、その本朝鮮へ伝へたるにか、増加の字には一一白字にて今増の二字をしるせり、此本また誤写あり、互に校讎して用ゐるべき也、其朝鮮刻本は、もと狩谷望之の所蔵なりしをいま余が家の蔵となれり、此書は能登の国石動山の僧大恵の旧物にして、大恵没後、狩谷の家に帰すと経籍訪古志にいへり、こは文禄の役に獲しものなりといふ、本邦の刻本を蔵する人は、必此本を以て校正すべきことなり、また清刊本には、干禄字書の如く俗字或体字を先に挙げて、其下に正字を出したり、本邦刻本は正字を先に挙げて、下に俗作或作等を出せり、こは後人の改易せしなるべけれど、其用を云ときは、本邦刻本のかた字数が甚多かるによりて益多し、此本今広干禄字書の例に傚て、広龍龕手鑑といふべし。(以下略)」がのる。木村正辞著『欟斎雑攷』巻二は、国会図書館電子図書「近代デジタルライブラリー」にある。

  ――【箋注記載項】〔2〕虯龍)。〔6〕鯨鯢)。〔40〕[侯][頤−頁]魚。〔41〕鰻[麗]魚

臨海異物志』リンカイイブツシ(訓み未確認)……【中】地理書。隋、沈瑩 (しんえい)撰。亡佚し伝わらない。【エキ齊「和名抄引書」】臨海異物志{[孚][布]}/[隋志]{地理}臨海水土物志一巻{沈瑩撰}[旧志]臨海水土物志一巻{沈瑩撰}[新志]沈瑩臨海水土異物志一巻。【新美篇・輯佚資料】「天地瑞祥志巻十」への引用書として載せる。 『文選』郭璞「江賦」には、「臨海水土記」(「水土記」とのみ記すテキストあり。)と記すが、「臨海異物志」と同一の書と考えてよいだろう。→「異物志」(いぶつし)参照。

  ――【箋注記載項】 〔7〕[孚][布]〔31〕[番]魚。〔60〕[末]

○「臨海水土記」(リンカイスイドキ)→「臨海異物志」をみよ。

類聚名義抄』ルイジュウミョウギショウ……古字書。11巻。編者不詳だが平安末期から鎌倉初期頃成立とされる(「世界大博物図鑑」には菅原是善撰、仁治2・1241年)。

  ――【箋注掲載項目】〔50〕鱒(▲)。〔52〕鯰(▲)。

嶺表録異』レイヒョウロクイ(?)……【中】3巻、唐の劉恂著。 動植物が多く登場する奇談書か。未見。魯迅の小説にもねたが使われ、魯迅編書も刊行されている。

  ――【箋注記載項】〔17〕「鯛」。「鰐魚」。

○『倭玉真草字引大成』ワギョクシンソウジビキタイセイ……宝永4・1707年「真艸字引大成」千里必究編・平安書肆中川文林堂蔵の文政3・1820年増補再刻版 架蔵。東都書肆・江戸日本橋須原屋重兵衞。165丁魚部276字、画数別。崩し字の行草体と楷書字体に音と訓みをあたえ、四声音韻の表示も示してある。字書としては「通俗字書」だが、近世魚偏文字の読解にはとても便利な字書であり、 主要な文字一字ずつの画像を切り取り、適宜、中世古辞書の書体と比べて掲載した。

倭訓栞』ワクンノシオリ……国学者、谷川士清(たにがわことすが:1709−1776)の著した江戸期を代表する国語辞書。使用テキストは、『倭訓栞』上,中,下三巻:谷川士清著、伴信友加筆、井上頼圀、小杉榲邨増補 :皇典講究所,明治31(1898)年刊。

  ――【箋注掲載項目】〔43〕[生]〔49〕[完]

○『和爾雅』ワジガ……中国「爾雅」にならった字義分類体の字書。8巻。貝原好古(恥軒)撰著。成立は元禄元(1688)年(序)、元禄7(1694)年刊行。早稲田大学蔵書「古典籍総合データベース」により、元禄7[1694] 大井七郎兵衛・京都刊本「竹洞野宜卿・貝原篤信」序文掲載本ほか2種を電子画像利用ができる。

倭名類聚抄』ワミョウルイジュショウ……古辞書・百科辞典。源順編。承平4・934年ごろ成立。 10巻本と20巻本がつたわる。漢語の出典、字音、和名などを解説した日本最初の分類体の百科辞典。後世、生物の古名についての重要な原典として位置付けられてきた。 表記書名中、「倭」を「和」に、あるいは「抄」を「鈔」とする表記呼称や「和名抄」「和名鈔」(わみょうしょう)などと略称され る。原典引用は、それぞれの表記のままに記載し、MANA記事中においては、エキ齊「箋注倭名類聚抄」により、「倭名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)に統一した。 使用テキストは、(1)元和三年那波道圓本「新刻倭名類聚鈔」(正宗敦夫編・日本古典全集刊行会新板『日本古典全集』版) 、(2)エキ齊「箋注倭名類聚抄」(明治16年・1883年印刷局蔵版。国会図書館蔵本及び)を使用。→「箋注倭名類聚抄(せんちゅうわみょうるいじゅうしょう)」

   なお、エキ齊が、箋注執筆中に使用していた、倭名類聚鈔十巻本中で引用されている和漢原典を書き抜いて整理をしたエキ齊ノートともいえるエキ齊自筆『和名抄引書』(ワミョウショウインショ)(早稲田大学図書館古典籍データベース)が公開されており、箋注訳注に際して使用している。箋注訳注のなかで、同書の引用をするごとに補充をしながら入力をした【エキ齊「和名抄引書」】(古典テキスト)をサイト中に載せた。

 

引用文献・参考文献

 

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