海って誰のものだろう?――003

漁業権は財産権である

―海の利用と管理を考えるために、あたりまえのことを再確認してみよう―


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001海を守るということはどういうことか?

002川辺川ダム建設と漁業権強制収用って?

004覆砂問題を考えるための漁業権について

投稿―川辺川ダム強制収用委員会への意見書

投稿最高裁平成元年判決問題と漁業行使権(水口憲哉)

New!!投稿奄美大島戸円(トエン)集落前面海域の砂利採取と補償金問題(田中克哲)
New!!投稿漁民無視の北千葉導水事業を訴える(鈴木久仁直)

 

も・く・じ

 

1 なぜ漁業権なのか

2 時の言葉になった「漁業権」

3 漁業権は財産権である

4 入会権と漁業権と慣習

5 漁業慣行を物権とみなす権利に法制化

6 入会権は民法に、漁業権は漁業法に規定された

7 漁業法の哲学

8 共同漁業権の入会権的性質は不変です

9 平成元年最高裁判決は我妻鑑定書を無視した誤りだらけの判決

10 漁業法31条の13年改正は共同漁業権が入会権であることの追認

 なぜ漁業権なのか?

  海の利用と管理について、漁業権という権利の性格や効能をとおして考えてきました。これを、「海は誰のものだろう?」というテーマに置き換えて、何冊かの本をまとめたり、自分でも文章を発表しながら、このテーマを追い続けています。

 私はこの正月の時間を使って「熊本県・川辺川ダム建設をめぐる漁業権の強制収用への疑問―共同漁業権の土地収用法に基づく収用事例はこれまでなぜ一度もなかったのか」を書きました。この小文は、「海って誰のものだろう?」(http://www.manabook.jp/moribito002.htm)にリンクを張ってありますので関心のある方はネット上でお読みください。

 川辺川ダムについても、建設の経緯や、建設反対運動の動向もそこから読み取れるように適宜リンクをはっておきましたので、疑問点の整理のみで本稿では細かくはふれません。

 この文章をなぜまとめようかと思ったのかといいますと、「漁業権」という専門ジャンルの権利の言葉が、一般社会に、具体的には新聞紙上にしばしば登場してくるようになったにもかかわらず、必ずしも、権利の性格や意味を正確に理解されないまま、言葉だけが一人歩きをはじめるようになってきたことに、危険な雰囲気を察知したからです。

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 時の言葉になった「漁業権」

 

 私がインターネットをはじめた年前に、ニフティーの検索エンジンで「漁業権」をひくと、100件前後が抽出されただけでした。それがどうでしょう、いま同じ検索をすると、8590件がヒットします。

それも、トップの毎日新聞社のサイトで「時の言葉」として「漁業権」が取り上げられ、「海や川、湖沼で排他的に漁業を営む権利。都道府県の免許で設けられる」とあります。 ホームページ登録数増加してますから、約9千件のヒット数が多いかどうかは別にして、この1年ほどの間に、漁業とはまったく無縁の一般市民の人々が、新聞や雑誌や、ネット上で「漁業権」のついた見出しや、記事を目にする機会が増えてきたということなのです。

 最近、全国紙レベルで報道されている、漁業権が見出しになった記事のなかで象徴的なものが、川辺川ダムの建設をめぐり、国土交通省が「漁業権の強制収用」をしようという決定を下したということがあります。関係する球磨川漁協の総会で2度にわたり漁業補償金の受け入れを否決され、国土交通省が、昨年末に漁業権を強制収用する方針を打ち出し、その裁決を県収用委員会に申請した問題です。

 漁業権の強制収用事例はこれまでありません。土地収用法においては、「公益」事業を推進するために、事業の妨げになっている土地や建物のような不動産や入会権などの物権や物権とみなされる権利(つまり「財産権」)を収用委員会の裁決を経て収用できることになっています。漁業権は物権とみなされる権利であり財産権ですから、漁業権を土地収用法の手続きを経て収容すること自体は、いちおう可能です。

なぜこれまで強制収用の事例がなかったのかについて書きました。具体的には、

 

@国土交通省がダム建設に必要な水面に相当する漁業権の一部収用を打ち出したが、漁業権の部分的収用は変更免許手続きが必要で、ダム建設のためということでは、漁業生産力を発展させるための漁場計画樹立はできず一部収用などできるわけがない?

A仮に共同漁業権を収用しても、収用済み水面はだれもが利用できる公共用水面に戻るだけで、その水面では漁業権に基づかなくても共同漁業も行えるし、国土交通省にはそれらの利用者の取り締まり権限もなく、水面利用の混乱を呼ぶこととなるのではないか?

Bさらに、ダム建設着工のためには、関係水域の財産権者全員への権利消滅等補償金の受諾が必須となるが、漁業権の権利者は、球磨川漁協1個としている国土交通省では、漁業を営まずしたがって被害も発生していない漁協に補償金を支払うとはどいうことなのか、漁業行使権者である組合員の補償はどうなるのか?

 

等々あり、すべて看過できない問題を含むのです。本稿では、Bの国土交通省の補償金は組合のものであるとする判断の根拠としている、平成元年最高裁判決についてのみ、その誤りについて最後の記述で指摘することにします。

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 漁業権は財産権である

 

 まず、「漁業権」(広義の「共同漁業権」をさす)は、「時の言葉」でも使われたように、確かに「排他的に漁業を営む」権利です。しかし、後半に書いてある「都道府県(知事)の免許で設けられる」は、間違いではありませんが、この部分だけ書いたのでは誤解を生む不充分な説明ですから、前段の「排他的に漁業を営む権利」だけのほうが読む人にとっては漁業権の性格を素直に理解できます。

 簡単にいうと、漁業についてみると、共同漁業は自由漁業のように免許がなくても営めます。そして、時の言葉のような表現では、県知事の免許があってはじめて漁業権という権利が発生するというように、一見すると読めますが、はたして、漁業権はそういう権利でしょうか。そうではありません。

 免許(許可)にも、大きく分けると2種類あります。私は法律家ではありませんから、漁業権という、どちらかというととてもわかりにくい権利を、わかりやすく理解するために、誤解を恐れずに大胆に分類してしまいましょう。

まず、免許(許可)そのものは、一般的には「禁止の解除」をして、ある行為をできるようにする行政行為を意味します。

そして、この免許(許可)には二つの種類があります。

 一つめが、免許された権利が、妨害排除請求権、妨害予防請求権などの他人が権利を妨害しようとしたら出ていってくれといえる権利、つまり第三者に対抗できる排他的権利の性格を持つ権利です。

 二つめは、薬屋さんや飲食店の営業の許可のような権利です。運転免許もそうですね。

 漁業権は、どちらでしょうか。当然第一番目です。営む権利として第三者に対して対抗できる排他的な権利、物権とみなされる権利です。2番目の許可を「普通の」といっていいかどうかはわからないですが、一般的な普通の許可とは異なる免許によって生ずる権利なのです。「特許」という言葉もあるそうですが、特許も公権です。漁業権は財産権でありあくまで私権です。

それでは、物権とみなされる権利である、強い力を持つ漁業権ですが、このように漁業権の設定を受けようとするものが知事に設定を申請して免許を受けるという行政行為を経なければいけないのは、なぜでしょうか。

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 入会権と漁業権と慣習

 

この行政行為のともなう漁業権と、民法によって規定された入会権を比べてみましょう。入会権は、免許を申請して知事から免許を受ける行政行為を経ずとも、土地と同じように物権です。

漁業権(共同漁業権第一種)は「海の入会権」という呼ばれ方もしますが、入会権とどう違うのでしょうか。結論からいうと、知事の免許を受けるという部分をのぞいて基本的に財産権としての性格は変わりません。

ここで、入会権と漁業権が権利の言葉として、日本という国家に生まれる経緯の違いがあることの説明をしておく必要があります。

江戸時代に漁業権の骨格となる権利の元ができました。それは入会権も同じだと思います。明治維新によって近代国家が誕生します。そして、時の明治政府は、近代法治国家として諸法を整備します。

私が何度もお話する「漁業法の哲学」の意味するところは、漁業権が明治時代に法文化され、現在までまったく変わらず財産権として位置付けられていることなのです(財産権なのですからあたりまえなのですが)。

民法の国民の財産権に関する物権や債権に関する総則と物権・債権の各篇が明治29年に交付されます(その後31年に親族・相続各編が交付)。このなかに、263条(共有の性質を有する入会権)と294条(共有の性質を有しない入会権)が規定されます。

漁業法(以下「明治漁業法」と呼ぶ)は、明治34年の制定です。

明治政府は、国家統治や富国政策上必要な司法関係や商業関係の法は10年代までに整備し、その不備を修正して現行法規に移行させていきました。ところが、国民の財産に関する私法関係の整備が30年代にまでズレ込んだのにはそれなりの理由があります。

一つは、国家というのは、いつの時代でも国民の財産権を認めたがらない意思が働くということがあります(わたしがかってに思い込みで言っているのではなく、民法の学者もそのような指摘をしています)。

もう一つは、江戸時代に形作られた私権の一つのかたちである林野や水面の入会権的な「総有」の性質をもつ権利の法制化について手間取ったことです。

なぜ手間取ったのでしょうか。ここに、漁業権や入会権を正確に理解するためのポイントが隠されています。

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 漁業慣行を物権とみなす権利に法制化=漁業権

 

まず、明治8年に、国は海面官有宣言を行い、同時に太政官布達によって、海面使用を希望する国民には使用願いを出させ、使用料を定めて海面を使用(つまり借用)させる海面借区制という制度を設けようとしました。これは、江戸時代は、幕府も地方藩主も慣習や論功によって免許制をとって認めてきた私権として漁場利用の権利を、明治政府は、公権力の一布達によって、補償というような措置を伴わず、いったんご破算にしようとしたのです。つまり、明治政府のねらいは、諸法整備の前に、水面に存在してきた私権や既得権を認めず、国に免許可の裁量権を有する「国家管理水面」(勉強不足でどういう用語があるのか知らないので、「いわば」というような言葉です。浜本幸生さんは「国有水面」という言葉を使っています)にしようと、早めに手を打ったということなのだと思います。当時の西欧列強が取っていた水面管理手法を盲目的に取り入れようとしたのだと思います。

しかし、これは、沿岸・湖沼・河川の漁民たちの猛反対にあって、翌9年には、先の8年布達を撤回し、各地方で、水面を使用して続けられてきた漁場では、それまでの慣習(旧慣)にまかせる旨の太政官布達を出しました。ようするに、明治政府は、海面は公共用の水面(公有水面)であり、政府の所有には属さないこととして、藩政以来認められてきた漁民や漁民の所属する漁村の漁業権を水面における私権として認めたわけです。

そして、それ以降、この布達を覆す国としての政策変更がなされることはありませんでした。わたしはそう理解していいのだと思います。このことは、とても重要なことではないかと思います。

次は、いよいよこの慣習にまかせた各地の漁業慣行を、どのように法体制にとりこむかということです。そして、この作業はとても困難を極めたと、当時の明治漁業法の解説書や研究書に書かれていますが、明治34年にようやく明治漁業法が制定されます。

明治9年布達以後の25年間はなにをしていたのかというと、時の農商務省水産局では、日本全国の漁業地区にくまなく農商務省の調査員を派遣し、漁業慣行の詳細な調査を実施したのです。

一つの漁村とその構成員である漁民が一つの地先漁場を総有的(「総有」という言葉はのちに説明します)に利用している場合は比較的わかりやすい(図−1)(A村―漁場Xの例)のですが、一つの漁場を二つあるいは三つ以上の漁村地区が共有して漁場を利用している場合(図−1)〔B村+C村+D村〕―漁場Yの例)、地先漁場の帰属村落に属さない他地区の漁民がその地先漁場で古くからその村落の合意のもとに入域している場合(図−1)(E村―漁場Xの例)、ほかにもそれらが絡まって漁場利用の慣行が作られている場合など、関係する人々同士がその慣行を理解しているだけで、第三者が見てもよくわからないということがあったのです。瀬戸内海のような地区や多くの島で一つの村を作っている地区では、中にはE村のように農業主体で漁業が従の地区の場合などは自分たちの地先漁場を持たず他の漁場に入域させてもらっている漁業慣行(やそのバリエーション)もあります。

 

 

こうしたさまざまな漁村地区の、いろいろな漁場の帰属や漁場の行使の仕方を実に綿密に調査したのです。このデータは、いまでも水産庁の中央水研や東京水産大学の図書館で閲覧することができますから、ご覧になると、20年もなぜかかったのかというのがわかるはずです。1地区ごとに漁業慣行の内容が細かく記載されています。このような全国規模にわたった漁業慣行の調査は、昭和24年漁業法制定時の漁業制度改革でも、その後も実施されていません。

そして、この漁業慣行の調査結果をふまえ、時の水産局の法制担当官たちが漁業権という物権とみなす権利に法文化したものが明治34年の明治漁業法なのです。

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 入会権は民法に、漁業権は漁業法に規定された

 

 入会権は、先述したように明治29年の民法制定時に263条(共有の性質を有する入会権)と294条(共有の性質を有しない入会権)として規定されました。しかし、この入会権も、明治22年に公布された民法には、入会権を物権として規定した条項がどこにも含まれていなかったために、農山村では副次収入源として山菜や茸類の採取、多目的に利用するカヤなどの採取が重きが置かれていたこともあり、海面借区制の漁民のときと同様に、農産村民の反対の声が強く、施行されなかった経緯があったのです。

 このときの民法修正案理由書には、「入会権を有する村民たちが皆自由に、その入会権の権利の持ち分を譲渡したり、いつでも権利の分割を請求したりすることが可能となるならば、一般の慣習に背くばかりか、その弊害が極めておおきいので、各地方の慣習に従うものとした」(カタカナ交じり原文の翻意)として、前2条を加えたのでした。入会権は、このように入会権は、権利の行使実態を各地方の慣習に従うかたちで、民法に明確に規定されました。

 一方の漁業権は、漁業という生産活動が国の中で農林水産という一つの第1次産業として国民の食糧供給を担う重要な産業であったことから、「海の入会権」として、旧来からの漁村地区と地先漁場の所有的帰属関係と漁場行使の漁業慣行を、陸上の「入会権」のように、物権として財産権を規定するだけで、あとは地方の慣習に任せるということではすまなかったのです。

漁業慣行を整理し、旧来からの財産権としての「海の入会権=漁業権」を規定するだけでなく、その行使内容まで細かく規定し、「営利の目的をもって水産動植物の採捕または養殖を業とする」漁業の定義や、「漁業を為すもの及び漁業権を享有するもの」とする漁業者の定義を明確にした漁業産業維持発展のための基本制度を「漁業法」として定めたのでした。

 つまり、オカの山林原野の入会採取等慣行に基づく財産権は、民法に「入会権」として規定され、「海の入会権」とわたしが呼ぶ全国各地の水面の漁業慣行に基づく財産権は「漁業権」として「明治漁業法」に規定されることになったのです。

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 「漁業法の哲学」

 

 では、海の入会権は、漁業法にどのように「漁業権」として法文化されたのでしょうか。この説明で、先述した入会権のところでとくに説明を加えなかった、「持ち分の譲渡」とか、「権利の分割」とはなにか、なぜ自由に、普通の土地のような財産権と同じように譲渡したり分割請求したりすることができない権利なのかも、自然に理解できると思います。そしてとりわけ、漁業権が知事の免許によって生ずる権利であることの意味がわかると思います。

  つまり、入会権については、民法で権利内容にふれず「地方の慣習に従う」とだけ規定して物権として財産権を法文化したのに対し、明治漁業法においては、漁村が江戸時代から「一村専用漁場」としてきた地先漁場を漁村=漁民集団として管理し、その漁村を構成する漁民各自が漁業を営むという、漁業権を管理する主体と利用(収益)する主体を分けて権利の帰属を明確に規定することに成功したのです(図―2)

 

 

@1漁村1組合主義―まず、江戸時代の漁業慣行であった「一村専用漁場」を持っていた漁村を、まず、集落(ムラ)単位に一個の「漁業組合」を作らせました。これを、1漁村1組合主義の原則という場合があります。

A組合員の定義―そのムラに属する漁民を漁業組合の「組合員」として位置付けます。

B漁業権の構成―そして、一村専用漁場の管理と利用の漁業慣行を「地先水面専用漁業権」という漁業権に構成しました。

C漁業権の免許―この漁業権の権利主体として、一ムラに一個の漁業組合に漁業権を免許することとしました。

D漁業権の管理―この漁業組合に漁業権の管理を任せ、管理主体に位置付けました。

E組合員の各自漁業行使権―漁業組合の組合員各自が、漁業を営む「漁業行使権」の権利主体として、漁業によって各自が得た収益については、組合員に帰属する。

という法律の構成を作り上げたのです。

 現在の共同漁業権に引き継がれている地先水面専用漁業権の漁業権のことを「組合管理漁業権」と呼ぶ場合がありますが、漁業権の本質を言い当てて、みごとに表現されています。(「組合管理漁業権」に対応する言葉が、「経営者免許漁業権」であり、定置漁業権のような漁業権をいいます。)

このようにして、個人や法人が、物や権利を所有したり共有する場合の一般的な権利の概念とは、まったく異なる、権利の管理主体と権利の利用から生まれる収益の帰属主体とが分離した「海の入会権」の近代法制化が明治漁業法として誕生したのです。

 さらに、明治漁業法の制定当時には規定されていなかった、漁業権の物権性を明確にさせる規定、権利の侵害者に対しての罰則規程に加え、入会権では「共有の性質を有せざる」他地区から入域採取など第三者の所有に該当する入漁権規定が、明治43年全文改正明治漁業法に盛り込まれ、「海の入会権」の法律的な構成と権利の性質の基本規定が完成しました。そして、現行漁業法においても、漁業協同組合と組合員との関係に、そのまま引き継がれているのです。

 組合への免許と各自行使権によって構成される漁業権は、このように、法律構成上免許という行政行為による権利であることは間違いないことですが、漁業権の免許制度そのものが、とりもなおさず漁業権の財産権としての物権とみなされる権利が海の入会権であることを示していることにほかならないのです。

 昭和24年漁業法においても、この明治漁業法において形作られた漁業権制度の根幹はまったく変わりなく引き継がれています。

 ただし、専用漁業権と共同漁業権の権利の内容において、1点だけ変わっていることがあります。それは、専用漁業権においては、権利の内容となる対象魚貝藻類は、底着性魚貝藻類に加えてアジやサバなどの「浮き魚」も含まれていましたが、昭和24年漁業法においては、共同漁業権の権利の内容から「浮き魚」を釣りやはえ縄などの運用漁具でとる漁業がはずされました。

 これは、漁業法第1条の「水面を総合的に利用し、もって漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化をはかる」という目的を達成させるためだったのです。漁業法の立法主旨を解説した水産庁経済課編『漁業制度の研究』(1950年)では、この理由を、次のように説明しています。

 「浮き魚(定着性でないもの)を目的とする漁業は、だいたい地先水面で待ち構えてとる漁法の場合は漁業権とするが、魚群を追い求めて漁場を自由に異動して操業する、いわゆる運用漁具(漁撈学上厳密な意味でいっているのではない)でとる場合は漁業権としなかった。

こういう漁業は、だいたい他村の地先にもいって操業しなければ成立しない漁業であるのに、それを権利として地元に持たせることは、海を部落ないし村ごとに区切って固定的な障壁を設けることになり、漁業生産力の自由な発展を妨げ、深刻な部落対立をきたすからである。〔中略〕かかる漁場の利用関係を、漁業権対入漁権のかたちで規律せんとしても不可能であり、別の調整方式で規律しなければならない。」

浮き魚を運用漁具でとる漁業を、共同漁業権からはずしましたから、はずされた漁法は自由漁業や許可漁業や遊漁としてより広域的な操業が可能になりましたが、逆に、こんどは、まき網漁業のような、より規模も大きな漁業が、共同漁業権の漁場に入ってくることを可能とさせてしまうわけです。それが、「別の調整方式」という漁業調整委員会による、「委員会指示」とよばれる、「あくまで自由放任の実力競争にまかせるのではない」制限や禁止その他必要な指示をする方式であったのです。浜本幸生さんは、「委員会指示によって、浮き魚を共同漁業権からはずした担保をとった」という表現をしています。

以上、昭和24年漁業法に、「海の入会権」を漁業権に法文化した明治漁業法以来、共同漁業権の権利の性質は不変のまま引き継がれているのです。これを、浜本さんは、「漁業法の哲学」といっています。

そして、昭和37年の漁業法大改正(法8条関係ほか)や、昨年水産基本法制定とともに改正された平成13年の漁業法大改正(法31条関係ほか)においても、漁協合併による規模拡大や漁業の置かれた状況の変化のなかにあって共同漁業権の権利の性質が変わらることのないように一部改正が加えられましたが、共同漁業権の財産権としての入会権的性質は、なんら変わることはなく、「漁業法の哲学」が終始一環貫かれています。

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 共同漁業権の入会権的性質は現代まで不変です

 

 ところが、最近、漁業権の漁民個々の財産権のとしての性格に疑問を呈したり、漁業補償金は漁業組合のものであって組合員のものではないというような、意見を見かけるようになっています。

 とくに漁業補償金がからむ問題が起きた時に、漁民だけになぜ補償金を払うのかとか、漁民個人への補償金額が多すぎるのではないかという声がでるほか、水面の利用関係が多様化しているなかで漁業権が水面利用の多様化や水面の管理するときに障害となったり、阻害しているのではないか、などの意見があります。

これまでみてきたように、社会や経済が変貌を遂げ、発展したり衰退したりすることがあっても、漁業権の財産権としての権利の性格や重みそのものがその基本的な部分において変更されることなどありえないことなのです。

それは、日本という国の国民が持つことのできるいろいろな財産権のなかで、土地や建物のような不動産の権利本体が社会経済環境がかわろうとも財産権としての権利の性格が変化しているなどとは誰もいいません。土地の利用の仕方や所有や共有のありかた、地域社会経済にしめる価値付けや位置付けは変化しつづけ、よりよい財産権の利用関係を求めての多様な議論が展開されているのです。

戦後解体を唱えられ続けてきた入会権も、権利の性格は当然不変だからこそ入会権を解体しようとする力が働くわけです。経済的な発展をしようとしたときに入会権という総有の権利のままでは一般の土地の自由売買もやりずらいという阻害要因を解消しようと入会権から普通の土地とおなじ個人所有や公有地に切り替えようとしたのです。ある意味で言えば「解体」ということ自体が入会権の法律的性格を意義付けているともいえるのです。

漁業権も同じことです。

明治以降、日本という国家は、近代法整備の過程で、所有と共有と、もう一つ「総有」とよばれる三つ目の権利を民法、漁業法など諸法のなかで定めたのです。明確に三つ目の権利を法体系に位置付けた国は世界中で日本だけです。べつにそれがえらいとかいいとかそういう問題ではなくて、陸上や海や川や湖における生産と所有や権利の帰属の関係が、文化社会の歴史的背景にも支えられて、日本では総有関係を法律上で位置付ける必然性があったのだと思います(そして、さらに、諸法に定められなかった「慣習」が法例2条の規定によって、慣習権として4つめの権利として位置付けられています)。

「総有」を財産権の権利関係のなかで明快に論述した学者が民法の神様、我妻栄(わがつま・さかえ)です。

昭和41年に我妻栄が、大阪の泉大津漁協における漁業補償金の配分と補償金の帰属をめぐる訴訟にさいして原告(組合員)代理人の要請に基づき執筆した「鑑定書」(「我妻鑑定書」と呼ばれることが多い)の記述に、入会権と漁業権と総有についての論が凝縮されています。この冒頭の、設問1とその鑑定意見を以下に引用しておきます。これまでの私の下手な説明がまったく不用となるほどの明快さです。

 

「鑑定書」我妻栄著(昭和41年1月。浜本幸生編著『海の『守り人』論』1996年・まな出版企画386頁より)

設問1〕 漁業法6条5項3号に定める共同漁業権が水産業協同組合法による協同組合に帰属する場合の法律的性質をいかに解すべきものであるか―近代的な法人に帰属する関係(団体員は社員権として利用する)とみるべきか、団体と構成員とに質的に分属する(いわゆる総有的帰属)とみるべきか。

鑑定意見〕漁業法6条5項3号に定める共同漁業権は、水産業協同組合法による協同組合に帰属する場合にも、その実質的な関係は、組合の構成員となっている漁民が各自その漁業権の内容を実現し(漁業を営み)、組合はその漁業権を管理する(漁業経営一般に必要な施設をなし、各漁民の漁業を監視・調整し、第三者との折衝をなすなどの)関係であると解すべきである。

 

そして、我妻はその解説として、「右の関係は、村落共同体が山林原野の上に有する入会権とまったく同性質のものである。」と書いています。〔図―2〕は、この関係を模式図にあらわしたものなのです。この総有説を論じた「鑑定書」は、裁判資料として未刊行文書であったのですが、ここに記述された内容の重要性を考え、著作権継承者、担当弁護人各氏の了解をえて、上記掲載書に浜本幸生さんの解説を加えて公表したのです。私が編集した本で、手前勝手はまぬがれませんが、「論考」として、研究者や行政司法関係者にも引用文献的位置付けを与えたいというねらいも正直ありました。

総有説を解説した明快な理論もさることながら、わたしが非常に重要だと考えているのが、共同漁業権の前身である明治漁業法の「専用漁業権」が「鑑定意見」の性質のものであること、「その後、漁業法は、明治43年に全面改正を受けたが、その中に認められる漁業権の性質には何等の変更もなかった」こと、そして、昭和24年漁業法においても「その根本方針として、従来の漁業権を消滅させ、合理的調整を加えながら全体的計画の下に、新たな漁業権を設定して賦与するものであったといわれる〔中略〕。しかし、このことは、漁業権ことに共同漁業権の本質を変更するものと考えることはできない」と断じている点である。

さらに、鑑定書が執筆された昭和41年は、漁業法の37年大改正の4年後であり、8条「各自漁業を営む権利」が、タイトルから「各自」が削除され、「組合員の漁業を営む権利」となり、漁業権行使規則制度の内容が盛りこまれるなどの37年漁業法改正意図をも承知されたうえでの鑑定となっている点も注意する必要があります。つまり、明治漁業法以降昭和24年漁業法と、37年漁業法改正をもふまえて、何回かの漁業法の制改定をへても、共同漁業権の法律上の性格は不変であったことが我妻鑑定書に明瞭に書きこまれているということなのです。

この我妻鑑定書の重みは、のちに、元水産庁長官の佐竹五六氏は、「我妻氏の学風は、実定法の解釈に当たり、理論としての一貫性とともに、現実的妥当性を尊重されていた。法の適用・解釈に当たっては、常に法が機能する現場の情報収集につとめられたのである。であればこそ、漁業補償の実行過程のもつれから生じた事件に関し、裁判官の求めに応じて「共同漁業権」の法的性格等につき鑑定意見書を書かれるに当たって、各地の漁業補償の実体につきヒヤリングするため浜本係長のところへ二度も足を運ばれたのであろう。日本の司法・行政関係者は、何人も「我妻鑑定書」の重みを無視できないのではなかろうか。」(「漁協経営」1999年11月号「書評―共同漁業権はほんとうに「入会権的性質を失った」のか」)と書いているとおりだと思います。

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 平成元年最高裁判決は我妻鑑定書を無視した誤りだらけの判決

 

さきに、漁業権に対する風あたりが強くなってきたと書きましたが、漁業権の法律的性格を考える上において、重要な判決が平成元年7月13日に最高裁で下されています。大分県白木漁協(現在は、その後合併し大分市漁協となり、さらに、大分県下27漁協が2002年に合併して1つの漁協になりました。)の漁業補償金の配分をめぐる総会決議の無効を訴えた訴訟事件の最高裁第1小法廷の判決とは、「共同漁業権は元は入会権的性質を持つ権利だったが、昭和24年漁業法以降の改正をへて、権利の性質がかわり、すでに入会権的性質を失った」というものです。

当日朝日新聞夕刊紙の記事の一部を引用しておきましょう。

 

朝日新聞1989713日夕刊《見出し=共同漁業権は「入会の性質を失った」。最高裁初判断。組合に帰属を認定》

「道路拡幅に伴う漁業補償金の配分をめぐって、共同漁業権の法的性格が争われた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷は、13日「現在の共同漁業権は、古来の入会漁業権と全く性質が変わっており、漁民の総有ではなく法人としての漁協に帰属する。補償金配分も漁民全員一致でなく、漁協の総会決議で決めるべき」との初判断を示した。」

 

ここでは、これ以上に判決文の内容についてはふれません。浜本幸生さんの『共同漁業権論―平成元年最高裁判決批判』(1999年・まな出版企画)は、800余頁をさいて、漁業法を苦労して本文化し現在まで引き継がれてきた「漁業法の哲学」を無視し、さらに我妻鑑定書をも無視した、判決の誤りを、行政実務家としての経験と研究によって詳細に検証し、指摘して書き下ろした著者畢生の遺作論文です。ここにすべてが記されています。

この判決は、その後、法曹時報に掲載した最高裁魚住庸夫調査官の判例解説(判決原案を執筆するのも判例解説執筆の調査官が担当するそうです)の、解説文の内容および、執筆にあたっての参考引用文献リストからも明白なように、「共同漁業権の法的性質」を考察するうえでの基本重要文献として『新漁業法の解説』(1962年・水産社、水産庁漁政部調査官岩本道夫氏ほか執筆)の記述をもとに論旨が構成されていることがわかります。

この最高裁判決が、共同漁業権が入会権的性質を失ったとする主要な根拠にあげたのが、8条改正にありました。『新漁業法の解説』の初版67頁に次のような記述があります。

 

『新漁業法の解説』1962年・水産社、水産庁漁政部調査官岩本道夫氏ほか執筆)

「次に、この組合員の権利は、たしかに沿革的には入会権的な漁場行使の実態をひいた規定ではあるが、そういう実態としての入会権的なものを追認したという規定ではなく、全く別途に組合管理漁業権および入漁権の権利内容として法定されたものであり、入会権の如く慣行による規制にゆだねられているものではない。このことは、今回の改正によって明確になったと考える。ただし、組合員のこの地位は、漁協という団体を構成する団体員としての地位と不可分のものとして与えられている点で、いわゆる社員権的権利である。」

 

 当然にこの記述は、これまで書いてきた内容とは全く異なる、法制定担当官として犯してはならない、根拠のない「思いつき」解説です。それを、当時の制定担当官が法制定意図とは異なる内容の解説を公にしてしまったのだから、影響が大きかったのです。

わたしは、じつは、この本を発行した出版社に長く務めていまして、浜本さんに取材にいくたびに、「君の所は、いつまででたらめの理屈を書いた本を出し続けるのかね」と言われたのですが、実は、長い間、その意味がわからなかったのです。入会権や共同漁業権の入会権的性質について「我妻鑑定書」の世界に興味をもってきたにもかかわらず、「社員権的権利」云々の意味をちゃんと理解できなかったのですから、恥ずかしい限りです。

それが、浜本幸生さんのところに取材に頻繁に通うようになり、昭和37年に改正され、新たにもりこまれた、現行漁業法8条の「漁業権行使規則制度」そのものが、共同漁業権が海の入会権であることを示していることなのだと、だんだんにわかりかけてきたころでした。

それだけに、平成元年の最高裁判決の新聞記事がでて、びっくりして、浜本さんに電話をしました。その頃すでに水産庁を退官されていましたが、浜本さんは、思えば、最高裁判決のあってからは、判決の誤りに行政の現場や漁協のリーダーたちが惑わされないように、とくに漁業権の正確な理解を外に向かって積極的に話されるようになったような気がします。

浜本さんは、この判決があるまで「社員権云々」の記述を、「あれは思いつきで書いた根拠もない蛇足の文だから」と話され、記述の内容を引用して直接批判をしたり、どこがどう違うかとあえて指摘することなく、無視を決めこんできました。浜本さんは、ある意味では古いタイプのよき農林官僚の気骨を備えていたかたでしたから、外に向かっての役所内部批判となる言動はなされない方でしたから、聞いても、第8条は「読むな」というひとことでした。当時の水産庁のトップが『新漁業法の解説』は焼いてしまえ、といったいうほどの、水産庁の37年改正意図とは全く異なる記述には、反論して、誤った記述が正論の記述の文章と一緒に残ることさえおぞましい、というものであったのだと思います。

とはいえ、この判決があったおかげで、漁業権の入会権的性質の本当の意味での面白さがわかり、浜本さんのお宅にちょくちょくうかがいながら『海の『守り人』論』の構想を膨らませることができたのですから、災いを福に転じさせてもらった出来事であったというのが正直な気持ちです。

そして、漁業権を勉強したいのなら、法文は読もうとするな、現場の漁場行使でおこった具体的事件の事例から学べということを繰り返し教えられました。だから、現場の取材で疑問に思った漁業行使についての疑問点を質問すると、電話先で1時間でも付き合ってくれました。

魚住調査官の平成元年最高裁判決解説に、「考察」とする結論的な部分で、「共同漁業権が入会権的性格を失い、改正第8条の漁業権行使規則のもとで組合員の地位は社員権的権利である」とする根拠の背景についての持論を披露して次のような記述があります。

 

「共同漁業権放棄の対価としての補償金の配分手続き」魚住庸夫・「法曹時報」4111268

「現場の漁民の意識としては、現在でも入会漁業権的な漁場支配意識が強いといわれているけれども、総有理論を基礎とする入会的権利関係は、前時代の所産であって、近代社会的経済的機構のもとにおいては早晩崩れ去るべき性質のものであり、かかる権利形態は、徐々に法人が独自に利用し得る権利関係又は共有的権利関係のいずれかに分解する傾向をたどるものとされており、漁業権においても、明治以来の漁業制度の変遷によって、現実にもかかる傾向をたどっていることが報告されている。

〔中略〕全員一致の協議などいうべくして困難であるし、裁判上の分割手続きによるといっても、裁判所が右のような複雑多様な要素を適切に認定して適正妥当な分割をすることが極めて困難であり、結局のところ、これらの事情に詳しい組合員が自治的に衆知を集めて配分方法を決することが、対極的にみて公平妥当な配分に結びつくものと考えられる。」

 

前段は言わずもがなである。経済社会の変化があろうとなかろうと、漁村(漁協)が合併して単協としての規模は拡大して(最終的には、この大分県白木漁協が、その後たどったように、大分市漁協⇒大分県漁協に1県1単協となり、全国1漁協へと移行して)いっても、旧地域とそれに所属する旧漁民による漁場行使が、合併以前の漁業行使と同じように続くこと、そのことじたいが、共同漁業権が「海の入会権」たるゆえんなのです。

後段もまた、浜本幸生さんが全国の漁業補償事例を聞きに来られた我妻先生に「漁業補償金の配分基準は、組合総会における全員一致の賛成によって正式決定される」ことが慣例化して実施されていることを説明して、聞く耳をもつ我妻先生の現場取材主義とは対極のところにある思考方法にあぜんとするほかはありません。

入会権的世界においては、とくに不思議なことでもない入会団体構成員全員一致の合意主義についても、「いうべくして困難」とする判断は、農林漁業の生産の現場とはほとんど無縁のところで知識を蓄積し、思想形成してきたエリート一筋に歩いてきた人にとっては、思いも及ばない世界なのかもしれません。しかし、入会権で結びついた人間集団の入会団体においては、入会権の権利の得喪変更にかかることついては、全員一致があくまで原則なのです。

そして、漁業権の場合も、現行法規においては、漁業権の得喪変更の意思を決定する場合においては、漁業権の行使や得喪変更に該当する関係地区(合併漁協の場合は旧組合=支所など)とそれに属する地域漁民集団(旧組合=支所の構成員)の「3分の2」の多数合意(書面同意等)という「総意」の確認を要すと、全員一致説に準じる合意形成手続きをおこなうことを求めています。さらに、このこの合意形成にあたっては、漁業補償事例を現場で確認した人には理解できることなのですけれども、結果として全員一致の慣行が必ず守られている現場に立ち会うことができます。

それは、漁業補償金の授受にあたって、全員の受領印がそろってはじめて漁業補償の原因となった埋立や海中工事等の工事に着手しているという現実的手続きが、現在も行われているという現場でのルールの存在です。

つまり、この現場で行われているルールこそが、「海の入会権」の全員一致主義の世界が継続し続けていることの証左なのです。

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10 漁業法31条の平成13年改正は共同漁業権が入会権であることの追認

 

平成元年最高裁判決は「共同漁業権は変質して入会権的性質を失った」とするものですが、浜本幸生さんの『共同漁業権論』においては、「変質した」とする漁業法の制改正について、逐一「改正前」と「改正後」の内容、そして、判決文に欠如していた共同漁業権の法的性格を斟酌するにあたって最重要であるべき「共同漁業権の定義」「漁業権は物権とみなす」「漁業行使権侵害罪」等の条項を、水産庁の法制定実務経験者の実践的知識と経験によって検証した結果、結論として「共同漁業権の入会権的性質を失わせるような法の制定改正はなかった」とするものです。

水産庁として、共同漁業権が入会権的性質を失わせるような政策変更についても、当然になかったのです。これがすべてなのです。

34年明治漁業法制定、43年全文改正、昭和24年漁業法制定、昭和37年法改正をつうじて、条項の法文の表現は手直しされている部分はありますが、明治漁業法の専用漁業権制度から漁業制度改革をへて昭和24年漁業法制定以降現在まで、浜本幸生さんの言葉を借りれば「漁業法の哲学」は終始貫徹されてきました。これは、法の解釈の問題ではないのです。水産庁の政策変更もなければ、漁業現場の漁業権行使の実態においても変更はないのです。

2点だけ若干説明を加えておきます。もちろん『共同漁業権論』にすべて論証済みで、わたしなどが説明することでもないことですが、あえて書いておきます。

1点は、漁業権の免許について、さいきんよく目にする最高裁判決の文章を無批判に引用した文章があり、知らないものがその記述を読むと、すらりと読めてしまうだけ「漁業権は戦後免許の仕方が変わったのだ」というだけでなく、冒頭書いたような、共同漁業権が単なる許可によって発生する公権であるかの誤解に導かれやすい部分ですからあえて触れておきます。

現行の共同漁業権は入会権的権利と解されていた専用漁業権にその淵源があることは疑いのないものとしながら、その後段で、

 

「しかしながら現行漁業法によれば漁業権は都道府県知事の免許によって設定されるものであり、しかも旧漁業法が先願主義により免許していたものを改めて、都道府県知事が漁業調整委員会の意見を聞き水面の総合的利用、漁業生産力を図る見地から予め漁場計画を定めて公示し、……適格性のある者に、……優先順位にしたがって免許を与える」(アンダーライン中島追加)

 

という部分があります。この部分は、漁業権の免許制度が、明治漁業法と、昭和24年漁業法のあいだで、共同漁業権の権利を生じさせる上で大きな変更があったかのような記述になっているが、このような変更は全くなく、どこからこの記述が引き出されたのかとあきれるほどの誤りです。もちろん共同漁業権は物権とみなされる私権以外の何物でもありません。

第2点は、昭和37年に改正された漁業法第8条の「各自漁業を行う」から「組合員の漁業を行う権利」にタイトルをあらため、漁業権行使規則制度を創設した主旨です。これも、伊藤正義当時水産庁長官が国会答弁で述べているとおり、「漁協の組織基盤や経済事業を拡充するための漁協合併を促進させるため」であったのです。

合併しようとする漁協Aと漁協Bは、合併後X漁協になったとしても、それぞれの地先漁場に免許された共同漁業権の〔共A〕と〔共B〕は、旧漁協地区〔A支所〕と〔B支所〕のそれぞれの漁民集団(=入会団体)に、〔A支所⇔共A〕〔B支所⇔共B〕と変わらず帰属することを保証した制度が漁業権行使規則です。

 

 

昭和24年漁業法の第8条「組合員は各自漁業を営む権利を持つ」という規定を、37年改正8条では「組合員であり、かつ漁業権行使規則に定める資格に該当する者は共同漁業を営む権利を持つ」にあらためたのです。「資格に該当する者が共同漁業を営む」ということは、合併後も旧来通りの地区漁民集団による入会関係が継続するという規定です。合併したら、共同漁業権も1つだけの免許になり、相互に種類生産性のことなる漁場を自由にゆきかうことができるようなら、合併を承認しない組合が出るのは当然であり、この阻害要因を取り払うために、それぞれの組合に属する入会集団=共同漁業権の入会関係を合併後も継続できる制度を創設したのでした。

『新漁業法の解説』に書かれていた、「組合員の立場は社員権的性格」とか「入会権的なものを追認したものではない」などという解釈する余地はありえない8条改正であったのです。

水産庁の法の改正趣旨を無視して、でたらめな「解説」のみ読んだ人たちによって数多くの頓珍漢な判決がでて、その最たる判決が平成元年最高裁判決であったのです。現場の漁業者たちは、とくに判決文も、解説書もとくに気にして読みませんし、そのごも、浜本さんが「無視」を決めこんだように、正当な解釈による従来通りの共同漁業権の行使関係が継続してきたのが実情であったのだとおもいます。

さすがに、平成元年最高裁判決がでると、明らかな誤りの判決であり、判例として定着するまでには時間のかかる小法廷判決とはいえ、影響力があります。冒頭の国土交通省のように、ここぞとばかり「平成元年最高裁判決があるから、補償金は漁民のものではなく漁協のもの」などという主張を振りかざす問題まで出てきてしまったのです。

水産庁は、この間手をこまねいていたわけではありません。さすがに、最高裁判決批判を政策に表現することはありませんでしたが、最高裁平成元年判決の漁業現場の混乱に対応して、苦慮のあとがにじみ出ている二つの法改正をしました。

一つは、平成5年漁業協同組合合併助成法改正(現在は平成10年「漁業協同組合合併促進法」に改名されました)です。合併後の新組合の定款には、合併によって承継した共同漁業権の放棄・変更するばあいには、その総会の議決前に、合併前にその共同漁業権を有していた各漁業協同組合の組合員であった者の3分の2以上の書面による同意を得なければならない等の手続きを記載しなければいけないということになりました。これに補足して、平成5423日付農林水産事務次官通達があります。

二つ目は、平成13年水産基本法制定と併行して漁業法改正も行われ、なかでも31条改正は、漁業法にもきっちりと最高裁判決対応が必要との配慮で記載したものです。「水産基本法関連法の概要」という平成13年水産庁資料の中で次のように記されています。

 

水産庁「水産基本法関連法の概要」から「漁業権利の適正化」⇒「組合管理漁業権における地元意思の尊重」(平成13年)

「合併により広域化された漁協における共同漁業権等について実際に漁場を利用する地元漁業者の意思を的確に反映させるため、@漁業権の変更等に係る地元漁業者の同意制度、A漁業権の管理に係る地区部会制度を導入」

 

改正内容は、漁協合併促進法の内容をさらに漁業法にとりこんだもので、共同漁業権の分割・変更・放棄に関係組合員の3分の2以上の同意が必要というものです。この二つの対応は、最高裁判決によって漁業現場に混乱が生じた水産庁の対応として、するりと漁業法改正に際してとった水産庁の苦慮の結果の措置といえるでしょう。そして、この措置は、とりもなおさず水産庁が、共同漁業権の入会権としての権利の不変を示しているものだとおもいます。

 

最後にひとこと付け加えます。漁業権は「漁業法の哲学」に根付いてきた財産権であり、都道府県知事の免許ではじめて権利となる「特許」としての公権とは異なる権利であるはずです。「社員権説」を判決した平成元年最高裁判決は、あまりにも誤りが多い判決とはいえ、「社員権説」に、すでに判例にもみられる「公権説」があることは承知していますが、気をつけなければいけないのは、こうした判例や判例を引用して記述する文章については、ぜひとも注意深くよんでみることが必要ではないでしょうか。

じつは、こういう考えを抱くのも、法律の専門家でもないわたしが読むことのできた範囲ですが、この種の判例や論考には、共同漁業権と地区漁民集団との総有関係を論じた「我妻鑑定書」や浜本さんの『共同漁業権』に正確な位置付けを与え、きちっと批判し我妻総有説の重みを乗り越えた論述に今だめぐりあったことがないからなのです。

漁民とその漁民が所属する漁村地区が漁業という産業の担い手であり生産活動の拠点としてありつづける限り、わたしは、共同漁業権という総有の財産権は、漁業という産業を含めて海の利用と管理を考える上で必要不可欠なものであるという考えを持っています。

共同漁業権の財産権として不変の権利を活かすも殺すも、それは漁民と漁村じしんが、漁業を取り囲む地域や人々の対応の中で判断して決めていかねばなりません。漁業権の行使や管理について、確かに一部の漁村地区では、営むことを前提としての漁業権になっていないと批判されてもしようがない実態が生まれてきていることは確かです。しかし、日本の全国広範な海沿いのムラムラの正常な漁業権行使の実態をも含めてひとくくりにして総有の財産権としての漁業権に批判の矛先をむけるのは少々まとはずれのようにも思えるのですが、どうでしょうか。

戦後の農地改革によって農民は自らの耕す土地を得た一方、漁民たちは、漁業制度改革で、漁業を営む権利を得ました。「海の入会権」の総有の財産権は、個々が分割して自由に売買できなかったからこそ、緩やかな資源管理の実践によって日本の沿岸漁業資源がかろうじて守られてきたということは、水産資源研究者たちが指摘してきたところです。総有財産権としての漁業権の「総有的管理」の方向性に、今後の日本の沿岸海域の管理のカギが隠されているのではないでしょうか。

その意味で、漁業権批判を口にする人たちも、財産権である漁業権の性質が変質したなどという姑息な理論展開ではなく、現在、あるいはこれからの日本を取り囲む海の利用と管理について、漁業という産業を食料供給産業+環境保全型産業として、そして、他産業や市民社会とがともに競争しいきる道を探るべきだと思います。そして、変わっていくべきは、漁業権の管理主体である漁業・漁村であることは、間違いないところだろうと思います。他産業や市民社会も納得する漁業権を活かせる道は必ず見つかるはずです。

――MANA

〔本文は、東京水産大学大野淳教授の研究室を中心に集まった水産資源、漁業経済研究者らの研究会「水産増殖研究会」の会報『水産増殖研究会会報』第26号―2002年4月25日に寄稿した文章に、誤植等一部修正して掲載したものです。〕

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