MANA Essay Notes-takasakiya-histry

Notes 中山道 江戸の大商人「高崎屋」って?――高崎屋その1

江戸の食文化を支える

酒・味噌・醤油のトップ問屋だった

 高崎屋が江戸時代の大店であったことなどツユ知らず、本郷追分の一里塚のあった位置にある酒屋だからとちょっと覗いてみた。店にはいると、柱や調度類、酒徳利に記された店名などから、老舗酒店だとはわかったが、とくに特徴がある店には思えなかった。

 ふとレジを見ると、絵葉書が

貼ってあるのに気付く。何かの美術展の案内なのかとおもって、店の人に1枚くださいというと、「近くの文京ふるさと歴史館で、うちの店の歴史のことを展示しているんですよ」という。

 絵葉書の屋敷と庭園の図柄(上記写真)が、江戸時代の高崎屋を描いたものであり、これを描いた画家が、長谷川雪旦であると聞いて、びっくりしてしまった。

 神田明神鳥居脇の天野屋の糀作りのときに調べた、本郷周辺には糀屋や味噌屋が集中していたということのバックグラウンドには、この高崎屋があったということに納得させられたばかりか、「江戸名所図会」や「江戸名所花暦」の挿絵を描いた絵師・雪旦のスポンサーが高崎屋であったということについても知ることができたのである。絵葉書のウラには、雪旦画「高崎屋絵図」について、次ぎのような説明書きが書き添えられていた。

絵葉書の裏の説明書き

高崎屋絵図
天保13年(1842) 長谷川雪旦・雪堤筆 絹本着色

〔文京ふるさと歴史館蔵 渡辺泰男氏寄贈〕
 高崎屋は、中山道と日光御成道(岩槻街道)が交差する本郷追分に店を構え、酒・醤油を商った江戸時代以来の老舗です。この絵は、『江戸名所図会』で知られる絵師、長谷川雪旦と息子雪堤の筆になるものです。二世牛長(高崎屋四代当主長右衛門)の画賛には、天保の改革の取り締まりで家屋敷を縮小することになり、記録としてこの絵を描いたいきさつが書かれています。広大な屋敷、庭など高崎屋の繁栄ぶりが鮮やかな色彩で俯瞰的に描かれ、店の前に積まれた酒樽からは、当時の流通の一端をかいま見ることができます。また、街道を行き交う人々の風俗もこと細かに描写されています。


銘醸ワイン、厳選地酒、輸入ビール (有)高崎屋商店

東京都文京区向丘1-1-17 〒113-0023
TEL.03-3811-0833 FAX.03-3815-5340
ホームページ http://www.hi-ho.ne.jp/ornellaia/         

その2へ続く

 

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