★ぶらり街道の味探検―1999年7月8日付け東京新聞掲載取材メモ【矢倉沢往還―タニシの歌と飯山の祭り】→「珍味論」


「たにし、たにし、こーとこと♪♪

タニシの歌のルーツを探る

〜田螺のザッコロジー/メモ〜


「たにし たにし こーとこと」

 厚木の郷土史研究家飯田孝さんに厚木街道と相模川の水運についてのお話を伺いたくて連絡をしたら、相模川べりにある自宅マンションの一室に設けられた私設郷土資料室に案内されて、そこで1時間ほどお話を聞くことができた。

2004年9月のある日のこと―この僕の小文を読んだとして、スプリングチェリーさんからメールが届いた。小学校のこどもの夏休みの宿題のテーマが「タニシの赤ちゃん成長日記」という。MANAのページに載っていたタニシソングの楽譜を使わせてもらったと、書いてあった。僕にとっては、すこしでも雑文がお役に立てたのだからとてもうれしい、とすぐ返事をかいた。「赤ちゃんタニシの成長日記」はこちらからどうぞ。とてもすてきなページになっています。

 

飯山観音の競馬

 

 そのなかで、これから取材で飯山温泉にいくつもりで、ガイドブックには、タニシの佃煮が名物と書いてあるけれど、どんな食べ物なのか、を質問してみた。そうしたら、「厚木周辺にはタニシのウタがあるんですよ」と、タニシひとつにしても、こんなにもいろいろな歴史と民俗のできごとのつらなりがあるものなのかと、なんとも楽しいはなしをしてくれた。

 「むかしの人々は、飯山の4月の祭りを楽しみにしていて、何キロも離れた村から歩いて1日がかりで祭りに出かけるんです。そんな文書の記録もありますからお見せしましょう」と、ご自身が調査された報告書や、文献を引っ張り出して説明してくれた。

 厚木市文化財協会編の『星野日記』という明治初年を厚木村に生きた一農民の日記があって、そのなかに、飯山観音には4月末の祭には競馬が繰り広げられるため、近在からたくさんの人が集まってくる様子が書かれている。

 

  (明治19年4月)廿二日 午前曇天 午后晴半〔中略〕后、飯山村馬頭観世音参詣 競馬見物ニ行

  (明治20年4月)廿二日 曇天、雨少降ル 飯山村観音競馬ニ付休業、岩・休

 

とあり、さらに明治24、25年の同じ日記には、祭の日にちが「十二日」として記録されているから、ある時期から開催日に変更があったのかもしれない、というお話でした。

 いずれにしても、近在の人々にとっては、4月の飯山観音の競馬は農繁期に入る前の楽しみであったようで、毎年のように休日にして出かけていることが書かれている。「馬乗りに行く」という記述もあるので、競馬のような催しの他に、馬に乗せてもらえるような趣向もあったようだ。

マツリとマチとイチの言葉の意味について

 

 なぜ、飯山のマチ(祭り)とタニシが結びついたのかについては、調べていくと面白い話しがたくさんでてきた。整理すると三つのテーマが浮かんできた。

 

 @タニシの食料としての位置づけについて

 Aタニシが鳴くかどうかについて

 Bタニシと祭りの因縁について

 

タニシはどこへいってしまったのだろう

 

 いつごろからか、タニシは田んぼや小川から消えてしまった。いや、消えたのか、少なくなっただけで、どこかに潜んでいるのだろうか。すくなくとも、外国から移入してきたジャンボタニシの話題は、最近良くきくけれども、むかし普通に田んぼや水辺に普通にいたタニシはどこへいってしまったのだろう。「タニシ、タニシ、こーとこと」タニシの鳴く声をうたった歌のことを書きながら、タニシのザッコロジーをまとめておきたいとおもうようになった。

 

タニシを食う―タニシの食文化

 

1―厚木名物「田螺の味噌煮」

2―飯山温泉名物「タニシの特別メニュー」

写真右上「柳川もどき」、左上「田楽」、下右「もろみ揚げ」、下左「ぬた」、あと1品は「味噌煮」

東京新聞味探検・bP25(1999年7月8日)「味噌煮に田楽、ぬた…、懐かしいタニシ料理」神奈川県厚木市・元湯旅館

タニシは「ことこと」と鳴くのか?


 参考資料  タニシの歌と祭り

 

【資料1】『日本わらべ歌全集8』(埼玉・神奈川のわらべ歌)柳原書店。1981年刊。297298ページより転載

 

@「たにしことこと (たにし)」

 

たにしことこと

飯山(1)のまち(2)へ 行かないか

いやなこっとこと

去年の春も 行ったらば

山椒の味噌で あえられた

(平塚市南金目[みなみかなめ]) 

 

A「たのしこっとこと (たにし)」

 

たのしこっとこと

飯山のまち行かねえか

おらやだことこと

一ペん行って こねられた

 厚木市酒井)

 

〔注〕(1)厚木市飯山

(2)単「町」と解釈される場合もあるが、特定の日に人々が集まって行なう行事や集りのことを、「マチ」あるいは「オイマチ」と呼ぶことから、各地の神社などで行なわれる「祭り」を意味するとも考えられる。また、そうした祭りのときにたつ「市」や「縁日」をさして「まち」ということもある。

(3)たにし。厚木市飯山では、4月になるとたにしがたくさんとれる。12日には、飯山観音の例祭が行なわれるが、たにしを売る店が多くみられ、「たにし町」と呼ばれるほどであったという(『厚木郷土史』)。

 「飯山のまち」は、この祭りをうたっているのだが、例祭はほかにもあり、14、15日は日向薬師と白ひげ神社の祭りで、伊勢原市内に「日向まち」と呼ぶ縁日がたつ(「中地区民俗資料調査報告書」『藤沢民俗文化』によると8日)。また茅ヶ崎の円蔵で行なわれる「宮のまち」というのも、5月5日の寒川神社の例祭を指していると考えられている(『藤沢民俗文化)。

 しかし、たにしを名物とする「飯山のまち」が一般には多くうたわれ、昭和53年の、「かながわのうた50選」に、「大山(鎌倉)街道飛ぶ鳥は」とともに「相模の童唄」として、掲出の歌が選ばれている。

 県の「民俗調査」によると、この歌は、田からとってきたたにしを茹でて、殻から身を針で突き出すときにうたったものという。「山椒のみそであえられた」とは、たにしを凝人化し、人間に食べられてしまうたにしの「文句」なのである。

 

〔類歌〕○田螺こっとこと、宮田のまちへ、行かねえか、いやなこっとこと、ぜね()がねえ、金がねえ、おお、やだ、こっとこと。(藤沢市村岡小塚=『藤沢民俗文化』) ○田螺こっとこと、みやまのまちへ行かねえか、いやなこっとこと、ゆうべ行ってゆでられた。(同市大庭=同前書) ○たにしたにし、飯山の町に行かないか、いやのいやのコトコト、去年の春に行ったらば、釜の中でゆでられて、さんしょの味噌でいびられた、いやのいやのコトコト。(「郷土よこはま」第37号) ○たにしたにしこーとこと、いやまのまちに、行かないか、祭りに去年も行ってうでられた、今年も行くのはいやですね。(伊勢原市=「民俗調査」第7号、県央部の民俗U) ○タニシ、タニシ、コットコト、日向の市(マチ)に行かねーか。イーヤナ、イーヤナ、コットコト、昨年の市(マチ)に行ったらば、山椒のみそであえられた、イーヤナ、イーヤナ、コットコト。(伊勢原市=「中地区民俗資料調査報告書」)

 

 〔参考歌〕○田螺殿、たにしどの、愛宕参りに参らんか、いやで候々、去年の春で懲りました、お鰌さんのお誘ひに、鷺と鳥と梟めが、あちこち蹴飛ばしてかっこづく、其庇は々々々は、時候が変りますると、づきづきといたみます、何か妙薬御座らぬか、薬は色々ありますが、先づ第一の妙薬は、蟹の腸、蛸の角、雷様のへその緒と、海のどん底の勝栗と、山の頂上の法螺貝と、みんな練り混ぜ用ゆれば、直ちに効能あらはるる、あらわるる。(竹取もの語ヨリ出シカ)(「郷土よこはま」第37号)

 

●上記資料挿入音符(299ページより)

 

【資料2】『あつぎの古謡』(厚木市文化財調査報告書第14集。厚木市教育委員会編、1973(昭和48)年。)より。 「(一)わらべ唄について」中の、遊び唄(動植物の唄)に含まれる(54頁)。

 

タニシ タニシ コウトコト

飯山のまちへ行かねえか

いやの いやの コウトコト

去年の春も行ったなら (去年のまちに行ったらば)

山椒の味噌でこねられた

(いいやま、いいやなコウトコト)

 

(脚注) この唄は厚木を代表する唄で飯山観音の花祭(古くは3月21日22日)法会があって賑わう。この頃のタニシの味噌あえは格別うまい。飯山は花の名所であり、昔は草競馬も催された。タニシをはやしたりタニシに同情したりした唄である。

県央全域年配者はみな知っている。「タニシを東北ではツブ、山梨ではツボと唄っている。東京ではゴットコトで山田の祭となっていて他の歌詞はは同じである。」(わらべ唄風土記)

 

【資料3】レコード「あつぎの古謡」PRA-10041〜42、厚木市教育委員会社会教育課・発行、厚木市文化財調査員・集録、ビクター音楽産業株式会社・製作、1973(昭和48)年3月31日。資料2と同時に発行されたもので、2枚版。16曲吹き込まれている。1枚目のPRA-10041-Aの1番目に「たにしたにし」として載っており、歌は「小鮎小学校音楽クラブ」である。歌詞は、資料2に準拠しているらしいが、レコード版ジャケットに印刷された歌詞は若干違っているので、それも以下に引用しておこう。

 

たにしたにし  唄 小鮎小学校音楽クラブ

 

たにしたにし コートコト

飯山のまちへ 行かねえか

いやな いやな コートコト

去年の春 行ったらば

さんしょの味噌で こねられた

いやないやな コートコト

 

資料1,2,3とも飯田孝氏より頂戴したものである。

2002年10月1日記、03年6月追記

MANA-Mitsuru Nakajima


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