列島雑魚譚


 

zackology essay 02

 

 

春告げ魚白魚と桜草

 

白魚献上

 だれが教えるでもなく、二月の末から三月にかけて、海水でそだった親魚がいっせいに川に溯っていく小魚がいる。白魚である。

 春告げ魚(春告魚)ともいわれ、五、六センチの白く透き通った細みの魚体に、陰のようにみえる模様が葵の紋に似ているということから、江戸時代、徳川将軍への献上品として、各藩では漁獲を規制したり、特定の漁師だけに漁獲を認めるなどの保護を加えた。小魚ながら、大出世した魚である。

 「白魚」には、サケの仲間のシラウオ科のシラウオと、ハゼ科のシロウオとがいる。漢字で書くと「白魚」、読み方に、ラとロの違いがあるだけで、名前こそ似ているがまったく別の種である。産卵場所が砂質を好むのがシラウオで、玉砂利を好むのがシロウオという話も、和歌山の川漁師さんから聞いたことがある。遡上河川の低質や環境選びも異なり、生態も違えば、味覚もべつものの魚だ。

 福岡県の室見川や和歌山県湯浅の広川や京都府の舞鶴周辺ではいまでも季節になると、河口に仕掛けた定置状の網や四つ手網で捕獲し、活きたまま酢醤油でズルっと飲み込む。「おどり食い」を楽しむ映像がテレビで毎年放映される。早春の風物詩ともなっている、こちらがシロウオ。活きていてこその味を楽しむ。湯浅川の河口のシロウオ獲りにかけては名人といわれた西岡秋次さんから、四手網の仕掛けや名人ならではの工夫を取材したことがある。そのとき、死んでしまった冷凍もので調理した天ぷらを、「食べてみたい」と、あえて無理を言って作ってもらったことがある。口に刺さるような感覚が残って、正直うまくはなかった。

 その点からすると、漁法こそ同じだが、鮮度がよいかぎり、活きでなくとも、いろいろな調理法が楽しめるのはシラウオの方である。最近では、中国からの輸入物も正月明けからでまわっているから、すしネタや、ごく普通に近所の魚屋さんにいけば買うことができ、家庭でも天ぷらや、卵とじでおいしく味わえる。

 「月もおぼろに白魚の篝もかすむ春の宵」、 歌舞伎三人吉三の白浪ものの名ぜりふにもなっている。江戸の将軍様の口に上った献上魚もこのシラウオである。

紅白のお土産

 金井紫雲というひとの『魚介と芸術』という昭和8年刊の本に「紅白のお土産」という小文がある。

江戸名所図会巻の1「佃島 白魚網」より

左上の記載―白魚の価あるこそ恨みなれ 芭蕉

同書本文記載―「この地はことさら白魚に名あり。ゆゑに、冬月の間、毎夜漁舟に篝火〔かがりび〕を焼き、四手網をもってこれを漁れり。都下おしなべてこれを賞せり。春に至り、二月の末よりは川上に登り、弥生の頃、子を産す。云々……以下略

 昔は白魚(シラウオ)と桜草(サクラソウ)が隅田川の名物で、尾久あたりまで屋形船をくりだして溯り、白魚を漁り、岸に着けて桜草を摘んで紅白にして土産にしたというのである。早春の風流このうえない洒落た船遊びがはやった時代があったと書かれている。

江戸名所花暦 巻の1春の巻「尾久原 桜草」

同書本文「尾久の原」―「王子村と千住とのあひだ。今は尾久の原になし。尾久より1里ほど王子のかたへ行きて、野新田の渡しといへるところに、俗よんで野新田の原といふにあり。花のころはこの原、一面の朱に染むごとくにして、朝日の水に映ずるがごとし。またこの川に登り来る白魚をとるに、船にて網を引き、あるひは岸通りにてすくひ網をもつて、人々きそひてこれをすなどる。桜草の赤きに白魚を添へて、紅白の土産[いえづと]なりと、遊客いと興じて携へかへるなり。」

 江戸の俳人、宝井其角の

  白魚の四手にあがる雲雀かな

という句がある。其角が、こうした情景を詠んだのかどうかはわからないが、いかにもこうした江戸の早春譜を感じさせるのには十分な雰囲気が伝わってくる。

 今でこそ、浦和の田島原など数箇所の柵で囲まれた保護区域にしかサクラソウの群落を見ることができなくなってしまったが、わたしが小学生だった昭和30年代はじめには、河川敷の雑木林や竹林にはいると、あちこちに四、五株が寄り添うようにして咲いている微小群を発見することができた。

 まだ寒風ふく川辺で、早春に咲くサクラソウを囲んで、隣近所の家族が一緒にお弁当を食べにでかけたものだ。当時は、我が家だけではなく、どこのうちもまだ貧しく、一汁一菜の食卓が珍しくなかった時代だったが、こども心に、桜草の開花とともにおとずれる一日が待ち遠しかった。家族で、桜の花見に出かけたことの記憶はないが、年に一度の早春のタジマッパラ(田島が原のことをこう呼んでいた)へのピクニックのことはよく憶えている。

雑魚への思い

 タイやマグロの話ばかりがもてはやされるのが世の常というものだが、どういうわけか、各地の漁村の港市場や山里の川を訪れると目がいってしまうのが、ザコと、いっぱひとからげにくくられてしまっているコザカナたちのことである。

 わたしにとって、各地の漁師さんとの取材のあいまあいまに、名前も知らないザコとの出会いが何よりの楽しみである。福井県高浜で蛸壺のなかからでてきた、地元ではオバキューと名づけられた魚は、船に揚げらたとたん、ぽいと捨てられてしまった。後で図鑑で調べると、クサウオの一種のようであったが、ムナビレの間に大きな吸盤がついて、キュウキュウと声を発したような気がした。和歌山県由良の港で、底びき船の漁獲物の中から捨てられる運命になった魚箱の中から顔を出した三十センチ近くの大きなミシマオコゼ。尻尾がまだ動いていたタツノオトシゴ。

 猫またぎと、地元でも無視されてきたババアという、なんともすさまじい名前の魚(タナカゲンゲ)と出会ったのが鳥取の近くの岩美町だった。最近になって、鍋にしてうまいと全国区になって、「ババちゃん」とかわいらしい名前にニックネームが付けられて格上げされた稀なケースもなくはないが、まずほとんどが、日陰ザカナの身で一生を終わる。

 ハゼ科や、カジカの類の魚たちも、子供達の遊び相手としての位置付けがせいぜいのザコである。

 昨年一躍脚光を浴びた、あの有明海のムツゴロウ。諫早一のムツかけ釣り名人にインタビューしたことがあり、針の根元につけた鉛の錘を、一つ一つたくみに削って微妙なバランスをつくりだす技法をつぶさに見せてもらった。そのときの中島名人が、干拓に賛成したといって、テレビのインタビューアーから、いやみな質問とコメントを求められた映像が映し出されたことがあった。何も好き好んで「賛成」の立場にたったわけではないのに、一時的なヒステリックな報道の犠牲になってしまったのだが、あの技を二度と発揮できなくなってしまった名人の苦しみを、ワイドショーのインタビューアーには、知りえなかったのだろうし、知っていてもたぶん理解はできなかったのではないだろうか。

 何か楽しい魚の話をという、アクアネット編集部から電話をもらったとき、そうだ、一度、こうした日陰の身の魚たちのことや、ほとんど儲けにならないような漁に子供のような情熱を燃やしている海や川の漁師さんのことを書いてみたいとはなしたら、即座にOKがでた。どうせなら、一般的にはゲテ物食いの部類にはいる、こうしたザコたちの料理や味との出会いのことにもふれてみよう。第一回目は、年明け間もないということもあって、しょうしょうキレイに早春譜の話題でまとめてみたが、次回からは、名づけてザッコロジー≠フ好奇心で見たり聞いたりしてきたザコたちとザコを愛する人々の話題を、ぼちぼちと紹介してみることにしよう。(初出=「月刊アクアネット」〔1999.2〕) 

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