列島雑魚譚


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zackology essay 05

 

 

お正月の雑煮を12月頃釣ったマハゼを焼いた焼ハゼのダシで作る家庭は東京では少なくなった。写真は筆者・MANAの住む中野新井薬師近くの魚屋さんが扱っていた。(2001.12)

Photo by MANA

雑魚名考―その1

魚の名前には

古代人の夢が詰まっている

 

ハゼは、なぜ“ハゼ”という名前なのか

 ハゼは、なぜハゼという名前になったのだろう。そして、ハゼにはどんな意味があるのだろうか。さらに、ハゼを漢字で書くと、鯊や沙魚だが、どうしてこの漢字があてられるようになったのだろうか。カジカと鰍についてはどうだろう。

 広い意味では、わたしたちが、ふだんから何気なく使っている魚の名前は、どのような意味を持っていて、どのように日本語としてできあがったのかということである。魚名起源探訪の旅にでてみようと思う。

 ちょっと調べ始めたら、これはたいへんな旅になる、もしかしたら僕にはとても手におえない行き着くことができない世界に入りこんでしまうかもしれないと思うようになったのである。

 

果てしない魚名探索への旅

 

 ところで、タイやマグロといった魚の名前、じつはその大半の語源が諸説いりみだれて、正確にはわかっていない。この本の中で、確信の持てる名前がどれくらいあるか整理しようと思っているが、「ハゼ」のことについても調べれば調べるほどわからなくなってくる。

 もちろん、魚名研究を語るときに忘れてはならない渋沢敬三著『日本魚名集覧』(1943年)と、その第3巻を単行本にした『日本魚名の研究』(1959年)や、在野にいて精力的に地方名を収集整理し、そうとう思いきった推論を展開している、榮川省造『新釈魚名考』(1982年)や、現代博物学の博覧強記でなる怪人、荒俣宏『世界大博物図鑑第二巻魚類』(1989年、第三巻に貝類)、魚類学の専門の先生では、何を隠そう、私が書く文章のネタ本としてたいへんに尊敬する田中茂穂『実用魚介方言図説』(1941年)、『食用魚の味と栄養』(1943年)、数ある本草書のなかでは、田中茂穂解説注釈付きだけに江戸期本草学と現代に伝わる魚名との橋渡しの役割を果たしてくれる、貝原益軒『大和本草第2冊』(1992年、原典は1708年)などなど、一応は目を通してきたつもりである。

 現代から過去の魚事典や、魚介にかんする随筆類というものは、マゴ引きや、ヒマゴ引きの集積結果だから、ほとんどの場合は、参考程度のものでしかない。本当のことを知ろうとすれば、この本のここに出ている理屈は、もとをたどればどの本のどこに行きつくのかという原典探索の、限りない旅に出ていかないと気が済まなくなる。ようするに、一介のサカナ好きの文章書き屋が、好事家の世界に迷い込んでいってしまうことからは逃れられないのである。

 アチックミューゼアムとよぶ、まさに屋根裏部屋(アチック)の博物館兼研究室からスタートした日本常民文化研究所(現在は神奈川大学に名称とともに組織移管されている)を作り、私財を投じて若手の民俗・歴史研究家や全国に散らばった在野の研究家たちを支援し続けた渋沢敬三。財界人として活躍しながら、自ら作ったアチックを根城にして漁業史研究に先駆的な業績を残した。本草家たちが百科全書的な集積、整理をしてくれたお蔭で近世すでに消えかかっていた魚名が現代に残ることになったが、好事家の域を出なかったそれまでの魚名研究を、渋沢は五年余りをかけて真摯に捉えなおしてみた。

 昭和18年にまとめた『日本魚名集覧』は、全三巻、A5判にして2千頁にわたって日本産魚類の和学名1230余に対して、それぞれの地方方言としての魚名や消えてしまった魚名、あるいは宮中や武士の女性たちが使っていた女房言葉や漢字魚名など参考魚名を併せて一万九千余を載せている。古今の文献はもとより、全国の水産試験場や小中学校で作られたガリ版刷りの未刊レポートなどにまで目を通し、また新たに協力者による地方方言に含まれる魚名のバリエーションを調べて整理分類して刊行した。その資料を元にして『日本魚名の研究』がまとめられた。

 

 この本は、次のような書き出しではじまっている。

 

――生物の一つである魚類の存在は自然現象である。これに反し魚名は、人と魚との交渉の結果成立した社会的所産である。名の実体たる魚類を基準として魚名を研究する時、自然的所産である魚類は常にコンスタントであるに反し、社会的所産である魚名は時と所と人とにより多くの場合複雑なる変化を示す。

 

 魚名、和名や学名は1230余に整理されているにもかかわらず、地方ごとに同名異種、異名同種が次々に現われ、調べれば調べるほど「複雑な変化を示す」膨大な数にのぼる魚名方言を整理し、魚名起源探索の果てしない旅を続けた渋沢にとっての目的地とはどこにあったのだろうか。

 

魚名には原始日本語が残されている

  宮本常一や網野善彦や二野瓶徳夫ら民俗学や歴史学、経済史学者によって渋沢敬三論が発表されているので、あえて整理紹介するまでもないことなのだが、私にとって、魚名方言の不可思議さや面白さを教えてくれ、ザッコロジー的魚名起源探求のトビラを開けてくれた、次の二つの点を指摘しておきたい。

 

 第1点は、渋沢が膨大な魚名整理によって得られた「中国を含めて外来語起源の魚名がほとんどない」という発見である。

 

 渋沢が魚名の分類をしていく中で、タイ、マグロ、アユ、コイ、ブリ、ボラ、アジ、ハゼ、カジカ…など、「一見意味の通じない魚名」を「一次的魚名」とし、マダイ、チダイ、クロマグロ、マハゼ、ニクハゼ、シマアジ…など、「一次的魚名を土台として分化した魚名」を「二次的魚名」と名づけている。

 この一次的魚名については、植物名の場合にはゴマやニンジンなど中国やその他の外国から渡来したときに、名称も一緒に輸入されてそのまま日本語化してしまった例が多いのに比べ、ほとんどが意味不明で、「少し語気を強くいえば古くから用いられた魚名の大部分は古来からの日本語だといえるかもしれない」と、魚名が原始日本語の可能性を指摘している。古代法典であり祭祀儀礼をまとめた延喜式内の神へのささげ物としての神饌に使われた魚名から、淡水魚ではアユ、コイ、フナ、サケ、アメノウオ、海水魚ではカツオ、クエ、タイ、サメ、サヨリ、サバ、イワシ、カタクチと名称が判明している十三種についての多方面からの検討を加えていることなどから、魚名研究によって古代日本人のなぞを解明できないかという、ある種のロマンがあったのではないだろうか。

 

 第2点は、メダカが『集覧』に掲載した分だけでも2800の方言を持つという点に着目した点である。

 

 全国統一したメダカという名称(「優性魚名」と命名)の背後にある、各地方ごとに勝手に名づけられたメダカの方言(「劣勢魚名」)の多さは何を意味するものか。ハゼやカジカの仲間たちの方言の多さと、異種同名の混乱を引き起こすカギがここに隠されているように思ったのである。  

 次回は、この魚名探索の旅のサワリ部分を、ハゼとカジカの仲間の名称起源をたどることによってみてみることにしよう。古代から中世にかけてハゼの仲間の呼び名は、「イシブシ」「カラカコ」「チチカブリ」と呼ばれていたが、「ハゼ」という名称はいつごろから使われるようになったのだろうか。

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