列島雑魚譚


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zackology essay 07

 

 

雑魚名考―その3

源氏物語にも登場する

イシブシとは?

 

 ハゼという魚名が1500年代以前の文献に見出せないのは、不思議なのだが、ないものはないのだからしようがない。前節で、元禄10(1967)年に出版された『本朝食鑑』の記述から「ハゼ」の名称起源について書いたが、一つ書き忘れたことがある。

 

「ハゼ」の呼称はけっこう全国に広がっていた


 1600年ごろに「ハゼ」という魚名が江戸を中心とする江戸方言として全国に広がっていったのかという疑問である。『本朝食鑑』が江戸で発行されたころには、「ハゼ」が全国的に使用されてきた一次魚名として認知されていたのだろうか。最近、『庖厨備用和名本草』(ほうちゅうびようわみょうほんぞう)という日常食と薬効について書かれた本草書の魚介類の記述部分に目を通していたら、「ハゼ」というカタカナ表記がされている記述があった。この本は、向井元升編著、貞亨元年発行とあるから、1684年、五代綱吉が将軍になりたてで、まだ奢侈な風俗を禁止していた頃である。『本朝食鑑』より10数年前の出版で、著者は長崎に住み晩年京都に移った独学刻苦の医者である。


 「鯊魚 倭名鈔ニ鯊魚ナシ…中略…本草ヲ考ルニ一名鮀魚、一名沙溝魚、一名吹沙魚、南方渓澗ノ中ニ生ス云々河魚也」

 

とあり、「元升曰ク此説ヲミレバ」として「ハゼノ類ナルニヤ」とカタカナで「ハゼ」と書いている。

 ようするに、関西や九州方面でもすでにこの頃「ハゼ」という魚名が認知されていたらしいということがわかる。著者が、長崎育ちで京都で活躍したというだけでなんの証明もないのだが、「おそらく」という程度で、記しておく。「本朝食鑑」においてもそうだったが、元升も、カタカナ読みの「ハゼ」を、学としての本草体系の分類された魚介類の漢字に当てはめようとしていることがうかがわれるわけで、このころにおいても、ハゼが小魚あるいはザコとしての位置付けしか与えられていなかったのがわかる。

 中国で分類記述された本草学の原典『本草綱目』(1596年)や明の王圻による図説百科事典『三才図会』の日本版である『和漢三才図会』(1607年)の解釈、翻訳の過程で使われる「俗にいう」ところの「波世」、つまり長い間マハゼを中心とする通称の呼び名でしか使われず、文献には記されてこなかったというように考えていいのだと思う。


源氏の君も酒のつまみにしたイシブシとは


 それでは、ハゼ科の小魚たちは江戸期以前にはどんな名前がつけられていたのだろうか。まず、次の源氏物語の一節を紹介する。有名な「常夏」、「夏が金色に見える。」という「釣殿」での真夏の宴会の場面だから、ご存知の方も多いと思う。ここにハゼが登場することは意外に知られていない。「春って曙よ」の桃尻語訳「枕草子」以来、すっかりファンになってしまった橋本治『窯変源氏物語』からの引用である。

 

「夏の日盛りには蝉も気力を失うのだろうか、時折池の水音を聞かせ、風が梢の緑を筝の琴のように掻き鳴らす他は、眠くなるような静けさだけがゆらゆらと立ちあがっているだけだった。
 私と息子がいて、その周りを数多の天井人が埋めていた。桂川で黒い鵜が漁った鮎、近くの川から齎された石伏といった小魚の類を、さっと炙って食しているところに、内大臣家の公達連中がやってきた。」

 

 このあと、酒をのんだり、氷室からとりだしてきた氷をかき氷にして出してもてなしたりする。「私」が源氏、「息子」は左中将夕霧である。けだるく、眠くなりそうな真夏の日中の宴会の場面に登場してきた「石伏」とはなんだろう。

 「石伏」は「いしぶし」と読み、一般的な解釈では、「ちかきかはのいしぶしやうのもの」の「近き川」は加茂川、「いしぶし」はゴリ(ヨシノボリやチチブ、ウキゴリなどのハゼ科のさかなたち)だとされている。

 それにしても、女社会の描写ではないが、男社会の接待風景が目に浮かぶようである。釣殿とは、庭園の池にはりだして作られた水上建築で、クーラーのなかった時代の涼み殿のこと。若者達に付き合った宴会にもあきて、源氏はごろっと横になって寝てしまう。真夏の過ごし方はかくありたい。たまった仕事に追われて、クーラー漬けでひと夏過ごすなどはなんとも無粋な生きかたかと、ふと思う(関係ないか)。


奇妙な魚名のイシブシ、チチカフリ、カラカコとは


 元升の記述に出てくる『倭名鈔』とは、4回目の写真に載せた『倭名類聚鈔』の略称である。

『和名類聚鈔』(わみょうるいじゅうしょう)。わが国最初の分類体の漢和辞書。源順(みなもとのしたごう)著。漢字の音読みと、万葉仮名による和名の訓を加えている。第19巻には魚介類の項があり、「いしぶし」「からかこ」など古来から使われてきたとおもわれる魚名を知ることができる。承平年間(931〜938年)に編集された。 和名類聚鈔巻19鱗介部に魚介が記されており、亀の類をあわせた項目に分類され、第236「龍魚類」には、「魚」(ギョ、和名はウヲ、俗にイヲ)から始まり59字が記されている。そのうち、本文でも記載したように現代のハゼの類の魚に該当すると思われる幹事は上記右側の3字である。

 源順著のわが国最初の分類体の漢和辞書。平安中期の承平(931〜938年)年代成立とされ、漢字の音読みと、万葉仮名による和名の訓を加えている。この、巻19が「鱗介部」で、魚介は龍や亀の類を合わせた項目に構成され、「龍魚類」(第236)には、「魚」(ギョ、和名はウヲ、俗にイヲ)からはじまって59字が記されている。
 その中に、イシブシを含めて、ハゼの仲間と思われる漢字を取り出して見ると、

 

 

の3字である。他にも、ハゼやカジカ、及び低棲の淡水魚のカマツカやシロウオ(あるいはシラウオ)を指す漢字が「」、「鮊魚」とあり、その他前期三字を検討する上に必要となる「鮫」(音はコウ、和名はフカ。一名鯊魚も同じ。)ほか数字ある。


 @「」=崔禹錫食経という中国の古書に「」(音はイ[夷]、和名はイシフシ[伊師布之])とある。性状は沈んでいて、石のあいだに棲息している[性状沈在石間者也]。
 A「
」=同書に、「」(音はヨウ[容]、和名はチチカフリ[知知加布里])は、イシフシ「」に似て黒点がある。

 B「魚」=同書に、「魚」+「罔」(音はボウ、和名はカラカコ[加良加古])は、イシフシに似て、ほほの部分に顕著なトゲ状のカギがある。


 この当時の中国からの移入漢字の世界では、現代のハゼの漢字である「鯊」あるいは「沙魚」は、サメ、あるいはフカを指していたらしい。このことは魚名漢字の由来や、中国からの移入漢字と、日本で造語された国字の魚名漢字について書かなければいけない(古代中国では、鮫も、鯖も、鯊も同じサメを指していて、いつから鯖がサバになり、鯊がハゼになったのか。尽きない興味が湧いてくる)のだが、別の機会に譲ろう。

 この3つの字の検討を進めていくと、イシフシもさることながら、チチカフリと現代の魚名チチブとの関係、カラカコは、近世、近代の解説書でいう「鉤」(カギ)の語源の意味からほおにトゲのある魚、つまりカジカやカマキリ〔アユカケ、アラレガコ〕というハゼとカジカや、異名であるゴリやゴズ、はたまた、チチンコやトチンカブリなどのユニークな地方魚名の起源が見えてくるとともに、同じだけ未知なる部分もまた生まれてくるという堂々めぐりとなる。
 ここまで語ってきてきて、ハゼやカジカという現在では優勢魚名として認知された名前と、数多(あまた)ある地方魚名=方言あるいは子ども達の呼称の世界の広がりをかんがえてみたとき、いまでは優勢魚名からは消えてしまったイシフシ、チチカフリ、カラカコの古語魚名の世界は、現代でも地方方言や子ども達の呼称に音韻の変化をへて、あるいはそのものズバリ残っているということがわかってくるのではないだろうか。

 これは、なにを意味するのだろう。つまり、地方魚名や失われた古語魚名の世界というのは、魚を、生物学上の種や亜種として科学的あるいは魚類学的に分類区分けをするための言葉、呼称ではなく、魚を利用する上での実益や遊びのためにその魚(たち)を、形態的あるいは生態的特長をつかんで、一種のニックネーム的な呼称がされているということを、頭にいれておく必要があるのである。古語の魚名は、現代の魚種名からすると異種を同名に含み不正確であるとする見方は、あまりにも無粋ではなかろうか。

 かえって人が日々の暮らしのなかで魚を観察し、また利用し、遊び仲間として認識していた時代の人と生物あるいは人と自然環境との関係が、希薄、断絶してしまった時代だからこそ、人が食用にしたり、遊び相手として見ていた魚の利用や付き合い関係のなかから生まれる自然なニックネームの世界として魚名を見なおしてみると、地方魚名や方言としての魚名についても新しい見方が生まれてくるかもしれないのである。

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