列島雑魚譚
zackology essay 01
プロローグ●春の歌
獺ダツ魚ウオを祭る
1年の四つの季節は「春夏秋冬」。どの季節がいちばん好きかと問われれば、ぼくなら「春」と答えるだろう。啓蟄(ケイチツ)という二四節気のひとつのターニングポイントがあるが、このときを境に冬ごもりしていたムシたちがうごめきだす。ムシは、生命あるものすべてを指している。この生命がうごめき出すまでに地中にこもっているムシたちが待ちわびる冬の世界は、ただ眠ってじっとしているだけの時間かというそんなことはないのだ。
一日一日、春に近づいていく準備期間が冬なのであって、ぼくは、子供のころ、冬の中に春の兆しを求めて田の畔の土を崩し、田に置かれたコモの山をひっくり返して、眠っている動物や虫たちを起こして回るいたずらがだい好きだった。蛙も蛇もなぜか隣り合わせて眠っていたり、マイマイカブリや緑色に光るオサムシや、名も知らぬ小さなゴミムシたちが、突如寝こみを襲われたかのように、ごそごそと動き始める。
野山を歩きまわっていると、冬から春へすこしずつすこしずつ気が増え高まっていく季節の流れを肌で感じることができた。だから、陽春の光をあびていっせいに芽吹き、うごめき出すころの生命の躍動の音のなかにいることだけで一年間のすべての喜びを凝縮したような気持ちでいっぱいになるのだ。
街中にも排水溝の流れにも生命の動きがある
ぼくは、ながいあいだ、こういう春を思う気持ちは、中国や日本、広くアジアの人だけの考え方なのだと、おもっていた。そんなことはなかった。ヨーロッパの樹林の中で繰り広げられる春を迎える祭りの前哨戦となる雪合戦は、冬の神との闘いを象徴させている儀礼=遊びであることをしった。
都会のなかにいる人々だけが、こうした四季の移り変わり、ひいては春の訪れを祝い、喜ぶ心を失いかけているのかもしれない。都会の中には自然がなくなったと嘆く人がいるが、そんなことはない。コンクリートの割れ目から雑草の芽が顔を出し、東京港でも1メートルに満たない排水溝のような流れを、じっと見つめているとハゼの子が群れをなして上流へと遡っていくのを普通に見ることができる。
アリ地獄も昔通りチャンと神社の軒下にできているし、モンシロチョウも舞って来る。家の前の妙正寺川をある日、小魚が猛スピードで泳いでいくのを見かけた。神田川の汚れた水の流れをたどって、ボランティアの人が放流した鮎の稚魚が、中野の地まで泳ぎせめて来たに違いないと思った。
春を待ちわびている人だけが感じるのが、生命の息吹かもしれない。薄汚れた都会の空気を吸いながらも、懸命に生きる虫たちの春を探すのもまた楽しいことなのだ。どこにいても春を感じることができる。
そういう目と気持ちをぼくは忘れたくない。だからこそ、雑魚や雑草に関心を持ちつづけているのだと思う。
九九消寒図という冬の過ごし方を、『燕京歳時記』(東洋文庫版。岩波文庫では『北京年中行事記』)という北京の年中行事を記した本で知ったとき、まさに春を待つ子供(大人も)の心を表して妙の遊びがあるものだと関心をしてしまった。わが雑魚譚の始まりを、この九九消寒図遊びのことから始めてみよう。
九九消寒図
中国の古い時代の人々は、陰と陽とが世界をつくりだす基本元素であるという考えをもっていた。
冬は司寒の神・玄冥がつかさどるとされ、あらゆる陽気を押し込めて固体となったものが氷。つまり、陰の気がきわまったものが氷と考えたのである。冬の神・玄冥によって、氷は、太陰の精という称号を与えられていた。
そして、太陰の精が、まさにピークの状態になった時節のことを冬至と呼んだ。旧暦では、11月中旬にあたり、太陽暦の現在の暦でいえば、12月20日頃、一年中でもっとも日照時間の短い一日である。
また、冬至は、陽の気が動きはじめる暦の出発点でもあった。
この日を境に、日差しも伸びはじめ、自然界では、万物の生命がよみがえりはじめる。中国では、お正月よりも、むしろこの冬至の方を大切な一日と考えたようで、現在でも、一年のターニングポイントとして、冬至節とか、冬至祭が盛大に行われる。
この日からはじめられる楽しい行事に、九九消寒図がある。冬至の日からかぞえて、一九(いちきゅう―初めの9日間)、二九(にいきゅう―10日目から19日までの9日間)、三九(さんきゅう)、……九九(きゅうきゅう―73日目から81日目までの9日間)と数える。
きれいな色紙の飾りや、切り絵でつくった81個の梅や桃の花のマークなどをカレンダーのように壁に張っておき、ひとつひとつに桃や赤で着色したり、色紙を張り付けたりしていく。寒い大陸の一日一日、ひとつ花が咲くたびに、寒さが遠のいていき、春が近づいていく。人々の春を待つ思いが伝わってきそうだ。
81個目の花が咲くと、春も深まっている。新暦でいえば、3月初から中旬。今年の場合は、3月10日頃だ。二十四節気にピタリと当てはまるというものではないようだが、おおよそ啓蟄(3月6日前後)のころである。
ウー・ウエンさんという若い北京料理研究家に、「味探検」という東京新聞の連載コラムの取材で会ったことがある。
そのとき、前から気になっていた九九消寒図のことを聞いてみたら、子供のころの楽しい思い出として懐かしがってくれた。最近では、さすがにこんな悠長な遊びは行われなくなってしまったらしいが、それでも少し前の時代まであったということを聞いて、日本でいえば明治の昔ほどさかのぼることはないのだと少しほっとした気持ちになった。「わたしのうちでは『数九』遊びといいました」とウー・ウエンさんは話してくれた。
獺(だつ)、魚を祭る
月令という中国の古い暦の本には、次のような一説がある。
「東風、氷を解かし、蟄虫始めてうごく。魚、負氷に上り、獺、魚を祭る」
東の方角から風が吹くと、陽の気を受けて氷は解けはじめ、地中の虫たちはうごめきだす。魚たちは陽を感じて氷面近くまで浮き上がってきたところを、獺(カワウソ)が生け捕りにして、川岸に整然とならべる。まるで、待ち望んでいた春を祝うかのように魚が祭られている。
ざっと、こんな風景が浮かぶ。後段のカワウソが、本当に獲物を祭るような生態があるのかどうか、生物学者の間でも「獺祭論争」というのが繰り広げられたそうだ。この真偽はともかく、日本にもたくさんいたカワウソたちが、陽春を受けて魚を捕まえている様は、ごく普通にみられたのかもしれない。
「はーる(春)になれば、しがこ(氷)もとけて、どじょっこ(泥鰌)だーも、ふなっこ(鮒)だーも、はーる(春)がきたなとおもうべな」
この歌は、けっこうみんなが知っている歌になっているが、元歌となったとおもわれる秋田の田植え歌では、「泥鰌」(ドジョッコ)と「鰍」(カズカッコ)の四季を思う歌として描かれている。春のセクションはこんな歌である。
「春来れば、田堰さ小堰さ 水コァ出る 泥鰌コ鰍コァせァ 喜んで喜んで 海さ入ったど思うべぁね」
大陸の氷解と獺祭の風景も、日本ではこんな、のどかな春待ち歌になる。魚たちは氷解とともに、春を感じ、活動をはじめる。(初出=「月刊アクアネット」(1999.1)
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